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![]() 斎藤緑雨『油地獄』(3) ( 20030406 ) この閑雅なる小座敷の窓に倚ってひと待ち顔に見ゆるはこれなん阿部川家の令嬢きな子なり「ああ好い天気なぜか雨の降らぬ時はお天気だ呑雄さんが来ればいい呑雄さんは男だ・・・・・・男か知らん・・・・・・女でないからは男だ男と女と手を執って歩いたら夫婦と見えるだろう若しも合乗りなら何と言うだろうか」ひとり思いを凝らしつつあり (註)きな子の年齢容貌等は前章に委しければここには記しなきも無論佳人なり女学生なり令嬢なる者の感想は実にかくのごときものなるべし面白し、つつあるは著者の一癖なり御座遊ばされのようやく進化せしものとか聞く 鳥影の瞳孔に映ずると共に入り来るは小酒呑雄なりきな子は顧みて嫣然微笑せり呑雄は先ず唇を開いて徐ろに舌の作用を試みたり (註)瞳孔に映ず唇を開く舌の作用等いずれも俗を離れたるものにて小説を人身窮理とは密接の関係を有するなり、呑雄の身分骨柄もまた前章に委し英仏独魯をも最早甘く見て白露伯剌西爾の流行を追う男なりとの事なれば言わずしてその才子たり好男子たるを知るべし、けりたりせりなり等数々あるは釘の折れにあらず一々句切りをよくして読者に会得し易からしめんとの慈善心より出たるなりと <呑雄>きな子さん貴嬢は学校へ入らっしゃいますか<きな子>参ります然し日曜と大祭日は休暇でございます<呑雄>お弁当をお持ちなさいますか<きな子>課業が午後にわたる日は持って参ります<呑雄>貴嬢は将軍のお子でしょう故に将軍は貴嬢のお父さんですね<きな子>そうで御座います貴郎も親のお子で・・・・・・<呑雄>勿論です貴嬢は私をお愛し下さいますか<きな子>実に貴郎をと嬌羞を含んで答えたるが急に心づきて口篭り愛らしく且豊かなる頬の辺りに一点の紅を潮するを見たり (註)呑雄ときな子の間答うは真正の恋を写せし者にて幼稚園の教科書となる訳ではなし字々句々愛の泉の滴りなり、嬌羞を含んで紅を潮すとは顔に紅葉を散らしけりの上下を着けたる形恋はこうしたものかいなと俗曲にも言えり紅は一点でも二点でも多きをよしとす満点なれば難なく及第すれども一つ余れば大津へかえる 室を隔てて母の声と覚しくしきりにきな子を呼び立つればきな子はハィと起たんとするを呑雄は何思いけん彼が袂をとらえたりきな子の心臓はここにおいてはなはだしく鼓動を感じたり(下略) (註)母は意中人よりもあり難し五倫の道を書き分けたる著者の筆周密なり、心臓の鼓動を知りしは聴音器の力を借りるなりと小説と窮理とはいよいよ離るべからず この書の趣向は園遊会舞踏会親睦会演説会等いろいろありて局を呑雄きな子新婚の広告に結ぶ○世間にてはこの書をほめたたえて筆力雄健趣向豊富と言う (今)あんま針 上の巻 取って見ました頭の物 (註)あんま針とは按腹鍼治の謂いにて揉みぬくという謎にはあらずもって小説に題したる著者の着眼妙というべし、ジョウの巻と言わずカミの巻と言うは按摩上下二百文と呼び歩くよりの穿ちなり、取って見ました云々も一歳旅のやどりにおいて按摩取りということを聞きての思いつきにやあらん上の巻ゆえ頭の物とは意匠飽くまで奇抜なり傾城夕霧曰く針と按摩でようようととむべなるかなことや、この人二度目の著書を鍋焼温飩と言いしや知らず三度目を茶飯あんかけと言いしやなおさら知らず 花曇とやらの空合い、何となくどんよりとして、あでやかな桜の花も、露の瞼を重たそうにしばたたき、無情・・・・・・、群がっていた花見の人が、入相の鐘に促されて、未練もなく帰り去るのを、うらみを含んで見送るようです。 (註)朝かと見れば昼、昼かと見れば夕、春三月弥生の空の定まりなきを説く打ちつけならで優しかりけり、可笑しかりけりと混じたまうな、露の瞼はどの辺にあるか知らねど植物にも生活の道具ありて動物の如く飲食し成育するものゆえ目も口も鼻もあるべし単花複花雄蕊雌蕊ぐらいを覚えてからこの小説を読むがよし著者かつて意地きたなき男を形容して「餅と酒とが胃の腑の中で決闘を試みます脳髄の政府は食欲の法律を設けてこれを禁固罰金に処しました」と言い大いに両刀利きの肝を寒からしめとか絶技と申すべし、桜が見送る時モシエと艶ッぽく言いし由なれども猥褻にわたるの嫌いあるをもってはぶきたりといずれこの桜は何かの精霊にてウロのうちに罪深き者をかくまいあることと思わる 太陽は今まさに没します、没すれば日は暮れます、暮れれば地球の半ばは夜です。 (註)夜の来る手順は実にこの通りなり嘘もなく偽りもなく掛け値もなく買いかぶりもなし御信切さまイヨこまかいと申します願わくはここの道理を浄海入道に噛分けさせたかりし 御覧なさい待乳山を、満ち汐に沈ませられて、梢を漕いで行く屋根舟が、三絃の音をさざ波に残して、枯芦のある洲に隠れ、隅田河の流れも、岸の方から黒みわたり、筑波の裾の紫も、濃い鼠色に変じて、空には星が、そろそろ笑いながら、覗き出しました。 (註)隅田河原の晩景歴々手に取るごとし影は倒うる半楼の紅などと手軽く見捨てては相済まず小説と大理石と蒲鉾と何やらとは肌目のこまかきを上とすればなり、初めの一句端唄より脱化し来たりたるようなれば世にはこれを小細工なりと罵る者あれども非なりそういう初音を聞きに来たと書いてなきが何よりの証拠ならずや星はかんらからからと笑うかクスリクスリと笑うか言うまでもなけれど故式亭三馬ばかりは知らざりしと否知らざるにあらず三馬時代には星が笑わざしりならん あわれ都鳥、今宵は仮寝を誰と契りましょうか、鳴きつれて塒へ帰る鴉、影ははるかの森に留めて、今は静かと言うよりも、寧ろ淋しいと言った方が、形容には適当します。 (註)花曇り、都鳥、また端唄か、のうのう扇拍子はざんざめかず、桜あり枯蘆あり都鳥あり四季混題ならぬぞ嬉しき、この都鳥夫定め最中の容子寡婦さまと見えたり、不文の徒は静かと思うならんがこれは寂しいのであると教えられたるは著者が罪障消滅の為ではなく後進者に引導渡したまはりたるなり この墨田堤を、一散に駆け来る車、輪が二つあります、乗って居るのは女です、夜目にはしかと見えませんが、年のころは二十一二、色は白く島田です、車夫は汗を拭き拭き、襦袢のしシミの材料を、我知らず造っています。 (註)筆の至らぬ隈も無し絶奇絶妙構思新たなり、シとミの間字が抜けて居るのではなし材料と聞いて気を廻すべからず欠伸の原素などという事この著者の書にはいくらもあり 車や提灯をつけんか、 巡査は叱りました。 ハイ只今、 車夫は答えました。 蝋燭がないの? 女は問いました。 (註)よくある事註に及ばず変化自在妙々 提灯を点けてから、速力は前に倍しました、あたかも韋駄天の如くです、ガ、酒代の有無は知れません、三めぐり前迄来た時、横合いから出た一人の男、いきなり女の頭の物を、奪って逃げました、女は驚いてアレーと一声、 盗賊!盗賊! 叫んでも及びません、発矢――、雲を霞です。 次へ無断転載禁止
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