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![]() 斎藤緑雨『油地獄』(2) ( 20030406 ) きっと見棄ててたもんなや何でお見棄て申しましょう夜更ぬ内に泊まりへとやがてふたりは立ち上がり足を早めて行く折柄遣らぬとばかり大手を広げ立ちはだかれる曲者あり (註)男か女か降ったか湧いたか一切の判断を読者に任す作者もまた狡猾なるかな、行く路をふさぐは曲者に限らずあるいは追手なるやも知るべからざれど昔蒸気ばんぶの備えなきこれ時代には江戸の地を火事早しと定めありしにより文章もまた多く直入法を用う 両人はびっくりあと退り月の光に透かして視て女は思わず声をかけおまえは先刻ふもとにてと言わせも果てず曲者はからからと打ち笑いオオサうぬらが聞くままに路を教えてやったれどどうやら臭いふたりの容子今宵の獲物と目をつけて先へまわって待っていた女はもとより金があるなら隠さず渡して置いて行けとさも憎さげに罵れば両人は顔を見合わせてそんならおまえは物取りかと (註)鳩に三枝の義理張りあり曲者あに礼節なからんやたとえ女を奪い金を奪うにもせよ手続きを明言せざるは敬礼の欠くるものありとし一応その手段と目的とを陳述す、こなたの男女も念のため物取りか否かを問い合わせ、風俗極めて淳朴なり君子国の名ここにおいて顕わる わななき震うを曲者は目じりにかけてあざ笑い今さら語るもおこがましいが知らざァ言って聞かせよう生まれは遠州浜松在餓鬼の時から手癖が悪くゆすりかたりやごまの灰綽名に呼ばるる小天狗の旅から旅を高飛びも誰も白波の夜働き六十余州をまたにかけ (註)震えながらも急には逃げず眺めながらも急には取らず秋より冬へかけて夜は長ければ悠々とやるなり、自画自賛の履歴を長々と陳べ立つまこと曲者なり深山のうちとは申せその頃は警察の事務整わず査公もなければいかなることを方言するも嫌疑の種とはならざりしよし曲者のためにはありがたき御代なりしなり 履歴を陳べおわりて後やるやらぬの争いよりとど曲者は大刀をぬき放ち善助は枯れ枝を拾うて切り結び一上一下虚々実々と双方剣道二三十年練磨したるごとき例の文句あるなれども別段註すべきほどの事なくいたずらに長文にわたればわざとはぶきぬ 刃の下をかいくぐり飛びのくはずみに善助はその丈の谷間へ真っ逆さま足滑らして陥りつあとには生死白雲のむらがり湧きて音もなし (註)善助の落ち方はななだ奇なり逆さまになって後足を踏み滑らしたるがごとしはずみというは恐ろしいものなり作者の頭上へも定めて奇想というもの天外より落ち来たりしなるべし 曲者は刃を納め最前より地にひれ伏し男の安否を気遣いいたるお梅の襟髪引っ立てておぬしの命を取るとは言わぬサァたて来いと促せばお梅はたま消え胸つぶれ逃ぐるに路も泣き叫ぶを面倒なりと曲者は情け容赦も荒々しく (註)おとこの身の上を気遣はば及ばぬまでも加勢すべきはずなるに地に伏しいたりとあれば恐らくは万歳楽を唱えて掛け守りの観世音を祈りいたるならん、逃ぐるに路はいくらもあり善助に続いて谷へ飛び込まば一蓮托生の望みを遂げ得らるべきなれどさては物語の寿命も絶ゆるにつきおとなしく泣き伏させおき無下に息のねをとめぬは即ち作家の霊妙なるゆえんなり、なさけ容赦も荒々しく云々は前のにくからぬ同様戦場の茶立て虫獅子身中の虫と間違えるべからず 帯際取って引き立つる折りしもかたえの森陰より顕われ出たるひとりの武士狼藉者めと曲者の脾腹をひと当て強く打つ打たれてさすがの曲者もウンと言いさまのけぞったり (註)曲者は忽然出て武士は突然現る相照応せりもっとも武士が狼藉者というをもって見れば今し方来たりたるにはあらず先刻より曲者の所行を隠れて見いたるものかと思わるしからば善助の危難をも救いやるべきなれどこれは間に合わざりけん残念なることどもなり武士のいでたち何とも書いてなけれど多分大小は帯びいたるならんただ武士といえば直ぐ合点のいくも文章の妙なりこの作者美人を形容するに下の二句のほか用いざりしと曰く沈魚落雁羞花閉月曰く小野の小町か衣通りか 第三襲はこれぎりなるが襲を重ねて善助の命不思議に助かりお梅にめぐり会うお梅は諸所さすらいて名代の毒婦となる結局悪人滅びて善人栄えるめでたしめでたしという筋なり○この書の著者はつまびらかならざれど思うに馬琴に酔うてならず春水を拝んでならず折衷ともなく混交ともなく自然に発したる一種の体なるべし兎も角古きものには相違なし (今)塞翁馬 第十章 窓の梅 (註)塞翁馬とは唐土塞上に住まうたる翁の飼い馬との意なりこの馬禍福吉凶の測り知られざる入り訳を仕方をもって翁に呑み込ませたるより人間万事塞翁が馬と俗にいえり著者はすこぶる俗嫌いなればかくは高尚に塞翁馬と題したるなり上野の桜など言わば俗なれども東台花と言わば雅なるものとよ、この人女を女と書いたることなく花顔柳腰豊頬曲眉蘭身寰ソ等の文字を用い日々往復する手紙にも嘉平月念八日などとしたためしよしある雑誌に見えたり州崎新地を東廓と呼び濁らばをかぶらの足を洗うべしと言いたる春水親父を地下に愧死せしめたるはあるいはこの人ならんか兎に角塞翁馬なる語は酔金にも玉屑にもなし斬新斬新意匠の高きこと驚嘆するに余りあり、窓の梅は窓近く咲きたる梅の花なり窓の月は菓子屋にあり窓の梅はここに在り優美なるかも優美なるかな 青皇令を司る、世は春とこそなりにけれ衣更着の風なお寒けれどもきのうの宿雨まさにはれて紙鳶翩々空に飛ぶあに春信の通ずるなからんやり辺の梅早く既に花を着けて初雪の日認めたる犬の足痕のごとく清き香を窓近く伝えたり (註)俄かに見ば帝国憲法を読むとも題したる論文のごとくなるも魂そえてゆるゆると見ればやはり小説なり「原漢文」と書き入れるべきを職工が組み落とせしならんという者あれど実はしからず和漢を兼ねたる文章の妙は隠れたるところにあり連篇累讀月露の形に出でず積案盈箱惟是風雲の状と言いしは李諤が一世の粗怱なり、宿雨なれば昨日は勿論なれど是亦著者の識高き一つの証拠にて昨日の雨とのみにては俗ゆえ音府一隅を探って宿雨という字を得たるなり翩々の二字もその辺なるべし昔戯作者ととなえし頃は東西の東は何の韻でござると澄ましていたものなれど今の小説家はなかなかむずかし、犬の足痕を梅の花にたぐえたるは美術を知らぬ思いつきなるが今これを訂正して梅の花を犬の足痕に見立てたるは流石に活きてはたらけり文章の巧拙は体裁のよしあしによることならん 園に臨める一室は南を受けたれば日あたりよく玉と名づけられたる手飼いの猫のうたた寝せんには最も適せり柱あり天井あり畳六ひらを敷きうべければ地は即ち三坪と覚ゆ (註)猫のために建てたりとにはあらず南向きの家は借賃も高く望み手も多しとのことを暗にキカセて日あたり好きをほめたるなり、六畳敷が三坪ならば三坪は六畳敷にて間口九尺奥行き二間なり著者の用心周到なるを知るべし 床の間には何某が丹精篭めたる一軸を掲ぐ彩色を施しあるを見れば書にあらずして画なるべし傍らに置かれたる自鳴鐘は浅草上野の鐘に代うべく今や短針はUとVの間にあり長針は\と]の間に在り依って二時四十八分なるを知る憾むらくは視線の達し難きを以ってその何秒たるやを認め得ざりき (註)句々真に逼る毫も誤なし何等の巧手、初学もしこの種の文を作らばあちらに躓きこちらに転び木の根岩角路を遮り句調も語格も何ッちもいらぬ思いあれども大家となれば格別にて毛筋ほどの渋りも見えず、時計というは俗臭しゆえに自鳴鐘というコリャ自鳴鐘をもてと召使に命じたるに山藷ではいかがとお出入りの八百屋が答えたりとか因みに記す長短両針とも]Uのところにあつまれば十二時なり午前も午後も同じ事 右なる障子の桟の第三段目に塵の少し残れるは下婢が掃除の届かざるなるべく敷き詰めたる絨毯のやや古びたるは主が心に早晩新調せざるべからざることを刻まれつつあるならん (註)細を穿ち微を写す註の入るべき穴もなし著者の胸武蔵野よりも広くすこぶる想像の力に富めり感ずべし驚くべし 次へ無断転載禁止
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