think or die :

1970年代生まれの
人たちのための
エッセー集

think or die home > サラリーマンを考える > 大学生の学力低下はだれのせい?

大学生の学力低下はだれのせい?

「2020年からの警鐘(87)」

1997/11/16

まず記事の本文を通読の上、下記の反論をお読みください。

---- 日本経済新聞社ホームページ「2020年からの警鐘(87)」へ
(注:1999/08/29現在、残念ながらリンク先は削除されてしまっているようです)

やはり日本の学歴社会の問題点についてひどく誤解している人がまだまだいるようだ。それも経済界に権威のある日本経済新聞の記者だから始末が悪い。

11月16日(日)日本経済新聞1面のシリーズ「2020年からの警鐘(87)」は、大学生の学力低下について大学と学生に意識改革をうながす内容になっているが、この記事ははずかしいほどに間違った事実分析にもとづいている。

たしかに大学生の学力は低下傾向にある。この事実認識はまったく正しい。ところがこの記事の筆者は、その原因を大学と学生だけに限定している。大学をアミューズメント・パーク化し、大学生の学力低下を招いている最大の原因は、日本企業の学歴嫌いにあるにもかかわらず、だ。

日本の大学の衰退は、日本企業のリクルート制度にある、という仮設をもとにして、この「2020年からの警鐘(87)」を順に論ばくし、最後に、この仮設をもとに全面的に書き替えた「改訂版・2020年からの警鐘(87)」でしめくくることにしよう。

まず、全3節のうち、最初の節「沈黙する羊たち」は、たんなる事実の確認なので、そのままにしておく。問題は第2節「全県で単位互換」からだ。

第2節の冒頭に引用されている駿台予備校教育研究所部長の発言は、まさにごもっともであるが、この記事の記者はここで思考を停止してしまい、大学と学生の自己改革を訴えるにとどまっている。ほんとうは、さらに踏み込んで、それではなぜ大学は入学者確保に走り、肝心の学生の学力向上を二の次にするのか?と問うべきなのだ。

大学にとって、学生の学力低下がほんとうに致命傷なら、学力向上のための努力をするだろう。なぜ大学はそれをせずに、頭数の確保に走るのか?

その理由は、大学での学生の成績や研究成果を、企業が正しく評価しないからである。企業は学生の採用にあたって、一部の有名校をのぞけば、大学の名前にはたいしてこだわらない。とりあえずどこかの大学を卒業していればいいと考える。

その上、在学中に何を専門として研究していたかなど問題にもしない。大学での研究は実務に要求される「能力」とは無関係だし、もっと言えば、会社の色に染まってもらうためには、ヘンに頭がよすぎるのも考えものだからだ。実際、大学時代の専攻は、入社後の職務と無関係である場合が多い。もともと企業は、大学で学生が習得したであろう専門知識を、実務の上で活かすつもりなどまったくない。

つまり、企業が要求しているのは、在学中に自分の専門分野をバリバリ研究してすばらしい卒業論文を仕上げ、その専門知識にプライドをもっている学生なのではなく、成績が悪いのは目をつぶり、むしろ集団にとけこむ協調性があり、妙にプライドが高くない、なによりも会社の指示した仕事を文句も言わずテキパキこなしてくれる、使いやすい素直な学生なのである。

多くの企業が、在学中の成績や研究成果をまっとうに評価しない現状にあって、大学側が学生の在学中の学力よりも、大学としての経営を成り立たせるためにとりあえず頭数の確保に走るのは当然だろう。

仮に、各企業が、学生の在学中のサークル活動や体育会でのリーダーシップなどといったことがらではなく、学習態度や成績、卒業論文の学会での評価など、まさに学生の本分と言うべき事柄にもっと注意を払って採用を決めるようになれば、大学は頭数の確保にばかり気を取られている余裕はなく、本気になってカリキュラムの改革や、学力向上に取り組むだろうし、学生自身も必死になって専門分野の研究に励むだろう。

繰り返すが、大学や学生の学問離れを助長しているのは、ほかならぬ企業の人事制度なのである。現場での実践的な実務能力と、社風にとけこむ協調性を重視するあまり、個人のほんとうの意味での「能力」を軽視してきた企業こそが、現在の大学生の学力低下を招いているのである。

この歴然たる事実に一切触れず、大学生の学力低下があたかも大学と学生の怠慢だけに起因しているかのような書き方をしているこの記事は、分析不足もいいところである。日本経済新聞と経団連の癒着でも疑ってみたくなるくらい、経済界の罪を不問に付している。

では、第2節以降を、以上の論旨にもとづいて全面的に書き替えることで、このページをしめくくりたい。


「受験戦争の弊害を避けるという大義名分で進んだ入試の多様化は、少子化のなか、入試科目の削減という形で入学者確保の手段に使われた。それが学力低下の一因だ」。駿台予備学校教育研究所部長の山口博伸氏はこう指摘する。

経済学部が英語の試験だけで入学できたり、工学部なのに物理や化学の学力が問われない。受験生はかつてほど勉強しなくなり、ひいては「大学卒」の学力のない「学士」を続々、生み出す原因になっている。

2020年はそれでなくても「学歴」の価値は下がる。企業は何より、「能力」というあいまいなものさしで人を採用する。その「能力」とは、会社の色にそまる協調性を言い換えたものにすぎない。そこでは、依然として、モノも考えず、学力も乏しい「学士」がもてはやされる。逆に、独自の考えを持ち、専門分野の能力にプライドをもっている「学士」は、使いにくいときらわれる。そのため、大学もいままでどおりの「学士」しか送り出せず、少子化で激しくなる生き残り競争に勝ち抜くために、頭数を確保するしかない。外国の大学との格差は広がるばかりだ。

(中略)

野田学長は「2020年には日本の大学の半分はいらなくなる」とみる。だから、新設大学としていろんな試みに打って出ようとする。成功するかどうかは、企業の風土改革にかかっているが、改革への動きはなかなかはっきりしない。学生を学問で判断し、大学には授業の質を求める。わが国の企業は、いわば当たり前のことができていないのだ。

日本の若者を羊にたとえる姜さん。スピーチの最後にこう言った。「留学生はみんな、日本の学生を”かわいそうな人たち”と呼んで、交流するのをあきらめている」。企業の採用担当者たちは、これをどう聞くだろうか。



sub title home > サラリーマンを考える > 大学生の学力低下はだれのせい?
筆者のブログ
「愛と苦悩の日記」
おすすめ記事