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日本人の効率的研修法

How to make Japanese staff understand something

2003/07/09

職場では別に真理を追究しているわけではなく、結果を出し、目標を達成するために仕事をしている。だから社員研修の場では、議論がどれくらい深いかとか、面白いかとかにこだわるのでなく、研修それ自体の効果に焦点をしぼるべきだろう。研修の効果は、事前に決めておいた目標がどの程度達成されたかで測ることもできる。

研修をより効果的に行うためには、内容よりも教え方が大事だ。人をどういう方法で教えるかが、何を教えるかよりも重要なのだ。ところが日本企業で働いている西洋の人たちは、日本人を研修する方法について注意を払わなさ過ぎる。というより、日本人を効果的に研修する方法について、あまりにナイーブすぎると言ったほうがいいかもしれない。多くの場合、彼らは日本人を研修する適切な方法をとりそこねている。

企業における研修は、社員の考え方ではなく、実際の行動にインパクトを与えるために行われる。何かを理解させるだけでは不十分で、研修は人々の行動やふるまいをじっさいに変えなければならない。だから日本人を一定のふるまいをするように説得するとき、講師は日本人を説得するためにはいったいどういう方法が適しているのか、ということに集中した方がよい。このエッセーでは、日本企業で働く西洋人が犯しがちな誤りを指摘してみたい。

その間違いの一つは、西洋人が何かを説明するときに採用する例示だ。例をあげるということ自体は、人に何かをよりかんたんに理解させるのに有効な方法だ。寓話やたとえ話も同じ目的に使われることがある。しかし西洋人はよく、非常に日本的な例示を使ってしまう。たとえば富士山、日本の有名なことわざ、東海道、京都の神社仏閣、浮世絵、石庭、禅、武士道、などなど。この種のとても日本的なことがらはことごとく、日本人の興味をまったくひかない。

西洋人がこのようなきわめて日本的な例示を使いたがる理由を、僕は知っている。その理由とは、西洋人は日本的なことがらが日本人にとって理解しやすいと考えていることだ。たしかにこの理由は正しい。日本人が日本的なことがらをかんたんに理解できるというのは当たり前だ。西洋人は、より難しいことを理解するためには、まずよりかんたんな例示から始めるのが適切だと考えている。これもまた正しい。

しかし、である。研修を受ける人たちに、どうやって何かを学ぶ気になってもらうかにも注意を払う必要があるだろう。日本人は富士山とか、ことわざとか、日本的なことがらでは説得される気にならない。日本人がかんたんに理解できて、しかも説得される気にもなるという適切な例示が、実はある。それはマスメディア、とくにテレビからとった例示である。

日本人は無類のテレビ好きで、一種のTV中毒と言ってもいい。富士山のような例の代わりに、TVのCM、連続ドラマ、アニメ、バラエティーなどの例を使えば、日本人はたちまち研修に興味を示すだろう。しかしここには問題がある。ほとんどの西洋人は日本のTVを理解できない。ならば別の方法がある。最近流行のハリウッド映画を例示としてみるのはどうだろうか。

いずれにせよ日本人は日本的なものにまったく興味を持たない。日本的なものに興味を示す日本人を見つけたとしたら、それは例外的な懐古趣味の人物だろう。

第二に、西洋人はあるものを、他のものとは別個に説明し、定義しようとする。しかし日本人にとっては、他のものと比較することでより理解しやすくなる。もし日本企業で何かを変革したいのであれば、変革の前と後を比較することがつねに日本人を説得するためには有効だ。

これは日本人が何かを他のものとの比較によって理解するのは得意だが、そのもの自体だけに注目して理解するのは不得意だからだ。何かを定義するとき、西洋人は「これは何か?」と問うが、日本人は自分自身に「これはあれとどう違うのか?」と問う。だから西洋人が日本人に何か新しいものを効果的に理解させたい場合は、その意味を定義しようとするのではなく、日本人に身近なものと比較するべきだろう。つまり西洋人のものの理解の仕方は本質指向であるのに対して、日本人の理解の仕方は差異指向である。

第三に、いかなる種類の厳密に論理的な議論も、日本人の聴衆を混乱に陥れるだけだということがある。もし大学にいて真理の探求をすることが目的ならば、議論はつねに徹頭徹尾論理的である必要がある。(しかし学問の世界でさえも、普通の日本人は決して論理的思考が得意ではないことを認めざるを得ないが)けれども、職場では結果がすべてだ。目標を達成するためには、真理が何であるかに拘泥するべきではない。本当に理解していようが、していなかろうが、理解した気持ちにならせることが重要なのだ。

日本人に何かを理解した気にさせるには、厳密な論理は完全に無益だ。その理由は単純である。たとえば新興宗教の教祖が信徒を説得しようと思ったら、厳密な理論も使わないだろうし、完全にばかげた議論も使わないだろう。この場合、もっとも有効なのは擬似理論的な議論だ。日本人を説得する場合にもまったく同じことが言える。特に職場においては、だれも本当の真理を追求することに無駄な時間を費やしたいと思っていない。ただ何かを理解した気になりたいだけなのだ。理解した気分だけが重要なのであって、本当の理解は重要ではない。

だから企業の職場で日本人を説得しようというときは、意図的に半論理的な議論、半論理的な指向を採用すべきなのだ。「半論理」という言葉で僕は、決して本当の真理ではないが、信じるに足るものを意味している。信じるに足ればそれで十分である。それは論理的である必要はない。厳密に論証された議論よりは、信じるに十分なことを与えられる方が、日本人はハッピーなのである。

以上が日本企業で働くすべての西洋人に対する、僕からの非常に実践的な助言である。(日本企業で実際に働く西洋人の読者が何人かいることに僕はすでに気づいている)しかしここで、僕がどういうことを前提にして、以上のようなことを書いたのかを強調しておきたい。その前提とは「職場においては結果がすべてであり、それ以外の何も究極的にはどうでもいい」ということだ。もし職場生活で僕らがこの前提を採用するなら、このエッセーで説明されている助言はつねに効果的だと思う。

そして最後に僕らが問わなければならないことがある。はたして日本人は本当に、純粋な結果指向の組織で働こうという気になるだろうか、という問いである。僕はいまのところ、この問いに対する答えを持っていないが。



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