think or die :
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TQCという宗教
徳丸壮也『日本的経営の興亡』
1999/09/19

先週の日経新聞朝刊一面「春秋」に若者批判の文章があった。電車の中で地べたに座り込んでいるような若者にとって、周囲の人々は「風景」にすぎず、だから「キレる」と平気で人を傷つけたり、安易な「自分探し」に走ってオウムのような宗教に洗脳される。紋切り型の若者批判だ。

「春秋」の筆者の頭に、「私たちの世代が作ってきた『カイシャ中心主義の社会』と、こうした若者の姿は、実は一枚のコインの表と裏でしかないのだ」という考えが一瞬でも去来すれば、こんな文章は書けるはずがない。

そういうわけで今回のエッセーはダイヤモンド社から1999/08/26に出版された『日本的経営の興亡〜TQCはわれわれに何をもたらしたのか』徳丸壮也著をご紹介する。

TQCと言えば「デミング賞」という名前とともに、戦後の日本企業が世界的な競争力を持つようになった原動力として称賛されることが多いが、この本をお読みになればTQCの見方が180度ひっくり返るだろう。

いや、それは言い過ぎかもしれない。僕もふくめて何らかの形で「QCサークル」や「小集団活動」といったものに参加したことのあるサラリーマンやOLの皆さんなら、「こんなこと単なる時間のムダじゃないの?」と一度ならず思ったことがあるはずだ。

そういう本音を上司にぶつければ必ず次のような答えが返ってくるだろう。「効果が出ないのは、ちゃんと取り組まないからだ」。日本企業の管理者層は、労力を惜しまず取り組めば「QCサークル」は必ず効果が出るというTQC信仰に洗脳された人々が大半である。

この『日本的経営の興亡』という本は、「デミング賞」をシンボルとする日本の(より性格には日本科学技術連盟の)TQCキャンペーンが、ある種の「宗教活動」であったことを膨大なインタビューと資料であとづけている。

この本でTQCに「宗教」という比喩が与えられている理由は単純だ。TQCに率先して取り組んできた日本企業の経営者層は、「TQCをやれば会社の業績は必ず良くなる」と理由もなく信じ込まされてきた。会社経営がそんなにかんたんなら誰も苦労はしないわけだが、なのにTQCが万能薬であるかのように洗脳された経営者が、かなりの数存在したのだ。(そもそも「宗教」とは何か?という問題については、後日、橋本治『宗教なんかこわくない!』の書評で考えてみたい)

多くの日本企業の経営者が「TQC教」に洗脳されてきたということは、裏を返せば自分の頭で経営を考えられない経営者がたくさん存在したということだ。多くの日本の経営者はTQCという答えに安易に飛びついてしまった。そのためにTQCはさまざまな弊害をもたらした。

たしかにこの『日本的経営の興亡』のTQC批判はやや一面的すぎる感はあるが、なぜ日本企業がなかなか「変われないのか」という素朴な疑問に一つのはっきりした答えを出している。

なぜデミング博士のSQC(統計的品質管理)が骨抜きにされ、いつのまにかTQC(全社的品質管理)という「宗教」に変質してしまったのか。それはこの本を読めばよ〜く分かるので、ここではいちいち要約しない。

TQCというものの思考形式を一言でいうと、この本の中でもそう表現されているように「問題解決型」の思考だ。何か問題が起こったとき、その問題に対してどのように対処するか、という思考形式なのである。

その対極にあるのは、よく言われるように「課題達成型」の思考だ。何かの課題を自分で見つけだして設定し、その課題を達成するための手段を考え出す思考形式である。

これもよく言われるように、右肩上がりの経済成長という大前提が崩れてしまった今、経営者に必要なのは「問題解決型」の思考ではなく「課題達成型」の思考である。しかし、これまで数十年にわたって日本中の企業で組織的に展開され、日本企業の経営者の脳髄にまでしみこんでしまったTQCの「問題解決型」思考形式は、ある種の悪循環を作り上げてしまっている。

(僕はこの本を読むまで、日本全国にQCサークルの組織があり、その組織網は日本共産党や各種宗教団体の組織化手法をお手本にして作り上げられたものであることを知らなかった)

つまり僕らのような若手サラリーマンが日常業務に対するカイゼンという形で、はじめて経営の「け」の字に触れるとき、そこには「QCサークル」や「小集団活動」という制度がある。この制度は基本的に「問題解決型」の思考形式を参加者に強いるような制度なのである。

そのような「QCサークル」的「問題解決型」思考に慣らされた社員の中から、将来の幹部が育っていくわけである。今、多くの日本企業で経営の中枢にいる人たちも、おそらくは「QCサークル」による小改善の積み重ねという思考形式を「正しい」ものとして仕事をしてきているに違いない。

だから何の疑問もなく「ちゃんと取り組めば、成果は必ず出る」という言葉が口にできてしまう。日常業務には必ず何らかの「問題」が潜んでおり、それを一つひとつしらみつぶしにカイゼンしていけば、積もり積もって必ず会社全体の業績カイゼンにつながるという、とても単純な足し算の発想をしてしまう。

しかし今の日本企業に必要とされているのは、そのような小改善の積み重ねよりもむしろ、ブレイクスルーになるような課題を創り出す発想だろう。所与の問題という「モグラ」をたたくのではなく、自分でダーツの的を創り出す発想である。

自分たち自身が「問題解決型」思考の呪縛から逃れられず、部下たちにも同じ「問題解決型」思考を押しつけてしまっているという悪循環に、いったいどれほどの管理者層が気づいているだろうか?この本を読みながら自分のサラリーマン生活を思いめぐらしてみると、やや絶望的な気持ちにならざるを得ない。

逆に言えばそれほどまでにTQCという「宗教」は日本企業の社員一人ひとりの頭の中に深く巣食っているのであり、この「負の遺産」を払拭するのは容易なことではない。

あの「春秋」の筆者も、一部の若者たちが「オウム」に走っているように、自分たちの世代も「TQC」という宗教、別の言葉で言えばTQCによって正当化された「カイシャ中心主義」という宗教に洗脳されてしまっているという現実が見えなくなっているのだ。

(ちなみにTQCが最終的には経営者によって会社内部の「綱紀粛正」の手段にまで堕落させられてしまうプロセスも、この本で豊富な実例をもとに論じられている)

若者たちが自分の頭で考える力を失ってしまったのは、オジサン世代が自分の頭ではなく「カイシャの頭」で考える人生を正当化してきたことの必然的帰結だとは言えないだろうか。「カイシャの頭」でしか考えられない大人が、どうして子供たちに自分の頭で考えることを教えられるだろうか。

なぜオジサン世代が「カイシャの頭」で考えるようになってしまったのか、その理由の一つが「TQC批判」という形でこの本で与えられている。

ただ、たぶんこの本、オジサン世代には売れないね。だって二段組450ページの大著を、いそがしいオジサン世代が読むわけがないから。カバンに入れて歩くのもちょっと重い。でも僕らの世代にとっては必読書だ。多少の勇み足はあるものの、今までの日本企業の何が間違っていたのか、TQCという具体的な論点を掘り下げた点で得難い書物だ。