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腐ったほうれんそう
( 19980911 )

Japanese/English

実業界のオジサンたちはくだらないダジャレが大好きらしい。例の「ほうれんそう」というのもその一つだろう。

業務を円滑に進めるためには、上司への報告・連絡・相談が必要、というので、それぞれの第一音節をとって「報・連・相」=「ほうれんそう」というわけだ。

よくこんな下らないダジャレを考えたものだと思うが、今回のテーマはオヤジギャグではなく、この「ほうれんそう」である。「ほうれんそう」がうまく機能していないために、社内の業務がスムーズにいかない会社が増えているらしいのだ。

そんなとき、ある種のマネージャーは「ちゃんとホウレンソウをやれ!」としか言わないが、優秀なマネージャーは「なぜホウレンソウがうまく機能しないんだろう?」と、頭を使って考える。

何かがうまくいかないとき、ただ「やれ!」と言うことは誰でもできる。うまくいかないときに「なぜだろう?」と考えることそこ、マネージャーの仕事だと思うのだが。

そこで、僕は「やれ!」としか言えない哀れなマネージャーに代わって、いったいなぜ「ほうれんそう」が機能しにくくなっているのかを、企業組織の変質の観点から考察してみたい。

「ほうれんそう」が機能しなくなった原因は大きく分けて二つある。一つは資格制度が簡略化されて、すくなくとも名目上、日本企業の組織がフラット化しつつあること。もう一つは、日本企業特有のコミュニケーションシステムである「ノミニケーション」の衰退である。


まず、組織のフラット化によって、上司と部下のコミュニケーションの形態が変わりつつある。今までは、部下は無条件に上司へ情報を伝達するものだ、という前提条件がうまく機能していたが、組織のフラット化にともない、部下への権限委譲が進むことで、上司から部下への情報伝達も必要になってくる。

ところが「ほうれんそう」は、部下が上司に対して報告・連絡・相談を怠ってはいけないという訓示的な含みが強い。「ほうれんそう」と言えばふつうはボトムアップの情報流であり、上司から部下への報告・連絡・相談を思い浮かべる人はいない。

このように、部下から上司への一方通行の情報伝達を前提とした「ほうれんそう」が、組織のフラット化にともなってうまく機能しなくなるのは、ある意味で当たり前である。

部下も、上司へあたえたのと同じだけの情報を必要としている。もちろん職制しか知ってはいけない経営情報もあるだろうが、その場合は、代わりに部下からの情報に対して、ちゃんとリアクションをとるべきだろう。

フラットな組織では、部下と上司の間に対等なギブ&テイクの関係がなければ、情報はうまく流れなくなる。旧来のボトムアップだけの「ほうれんそう」はもはや通用しない。

したがって対策としては、一方的な「ほうれんそう」を要求するだけでなく、上司からの反応・アドバイスも怠らないように職制に指導することだ。これで情報の流れは双方向ともにスムーズになる。


次に、「ノミニケーション」の衰退について。

「ほうれんそう」ということが言われ始めたのは、80年代のなかばだと聞いている。では、それまでなぜ「ほうれんそう」などとうるさく言う必要がなかったのか?

おそらく、勤務時間外に上司と部下が意思疎通するチャンス、つまり「ノミニケーション」があったからだろう (これも下らないダジャレのひとつだね。バカみたいだよ)。

まず「ノミニケーション」とは何だったのかを考えてみよう。勤務時間中に言いにくいことを、酒の勢いで言ってしまおうというのが「ノミニケーション」である。

この「ノミニケーション」によって、上司と部下は職場でツーカーの関係が可能になる。なるほど「ほうれんそう」などとうるさく言う必要がなかったわけだ。

しかし、こうした上司と部下のプライベートな関係が、ときに企業犯罪の温床となることから、日本企業も「虚礼廃止」などの対策を進めてきた。もはや勤務時間外の意思疎通を前提としたツーカーの関係は成立しなくなった。

そこで「ほうれんそう」ということが言われるようになった。今まで酒の席で交換されていたような情報を、これからは勤務時間中に正式な業務として伝達するようにしましょう、ということである。

しかし、この「ほうれんそう」もやはり、上司と部下のプライベートな関係に依存してしまっているのだ。問題は、「ほうれんそう」においては、部下は自分の主観をまじえずに、客観的な情報を上司に伝えなければならないことが求められている点だ。

ここで考えたいのが、情報のフィルタリングという問題である。

たとえばAさんとBさんがある会議に出席したとしよう。客観的にはその会議で起こった出来事は一つである。しかし、AさんとBさんの職務上の立場、問題意識、体調(途中で居眠りしちゃうかも)によって、2人の「会議報告」の内容は必ず食い違ってくる。

そして、AさんとBさんから同時に報告を受けた上司は、この2つの報告から客観的な会議報告を読み取らなければならない。そのためには、AさんBさんのそれぞれが、どのようなバイアスを持っているかを事前に知っている必要がある。

では、上司はどのようにしてAさんBさんのバイアスを事前に知るのか?結局、AさんBさんとの私的な相互理解が必要になるのである。

つまり逆説的なことに、上司と部下の私的関係の排除から産まれた「ほうれんそう」は、個人の主観を含めないニュートラルな情報伝達を前提としているために、かえって、上司と部下の私的な信頼関係に依存してしまっているのだ。

この悪循環を断ちきるには、客観的でニュートラルな情報だけでなく、主観的な情報も許容する情報流を、組織内部に作っていく必要がある。幸い「グループウェア」というツールの登場で、この目的を達成できるようになった。

以上のように、今、「ほうれんそう」が機能しにくくなっているのには、それなりの理由がちゃんとあるのだ。この理由を見つけ出して、本当の意味での組織改革に結びつけなければ、いくら「やれ!やれ!」と言ったってムダだろう。

なのに日本企業のマネージャーは、頭を使わずに、口ばかり使う。

方向が間違っているのに、同じ方向に突き進む。

就業規則にないことをやれば部下は罰せられるのだから、頭を使って組織のしくみを変えていくのは、当然マネージャーの仕事だ。そのマネージャーが頭を使わずに「やれ!やれ!」だけでは、どうしようもない。

...と、思うのだが、どうだろうか。


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