教育とインターネット〜サイバー・スクーリング〜(京都経済新聞1999年1月19日掲載)
古びた「器」
学校に行かない子供が確実に増えている。昨年8月に文部省が発表した「平成10年度学校基本調査速報」によると、平成9年度「学校ぎらい」を理由に年間30日以上学校を欠席した小中学生がはじめて10万人を越えた。6年連続の増加で、中学生では50人に1人が「不登校」の計算だ。
様々な改革にもかかわらず不登校が増えているのは、真の問題が教育の中身ではなく、学校という「器」そのものにあるからではないか。かつて学校は地域社会の「知」を独占していた。だがマスメディアの発達が良質な教育番組やドキュメンタリーを家庭にもたらし、学習塾など民間の教育機関も増え、今や学校は無数の教育資源の一つでしかない。それなのに学校はすべてを教えようとカリキュラムをふくらませ続けてきた。これでは制度疲労を起こさない方がおかしい。
消費社会のメディアキッズ
教育を受ける側の子どもたちをとりまく環境も大きく変わっている。昔の子供の行動範囲は地域社会に限られていたが、今はテレビで世界とつながり、携帯電話で友達と話し、FAXで情報発信する。またゲームソフトやファーストフードなどの商品を通じて、早くから変化の激しい消費社会に組みこまれている。そんな子供たちが、同じ顔ぶれ、同じ場所で、同じカリキュラムを同じペースでつめこまれれば、拒否反応が出てくるのも当然だ。
米国では120万人の子供がホームスクーリング(在宅学習)で学んでいる。不登校の子供がやむを得ずというのではなく、積極的に在宅学習を選び、地域社会やメディアの豊富な教育資源を活用している。学校という「器」を時代に合わせて作り直す必要があるのは明らかだ。
ネットワークの中継基地
民間企業はこうした変化をチャンスと見て、新しい学びの「場」を模索し始めている。セコムラインズは昨年9月にインターネットを利用した在宅学習サービスを開始し、他にもベネッセや小学館、学研などの教育業界大手が次々と参入している。学習教材だけでなく、生徒と教師、生徒どうしのコミュニケーションの場を提供するなど、ネットワークならではのサービスが売りになっている。一方的に知識を与えるのではなく、情報が自由に往来する「場」を作り出す。ここには新しい学校のモデルがある。
新時代の学校はすべてを自前で教えるのではなく、世界中に分散した教育資源をむすぶネットワークの中継基地になるだろう。インターネット上には世界中の博物館、美術館、天文台のページがあり、無数の画像資料がある。学校の境界をこえてこうした情報を取り入れれば無尽蔵のバーチャル教材ができあがる。
もちろん子供たちにはネット社会の「落とし穴」について教える必要がある。情報教育ができる教師の育成や、校長・教頭など管理者側の意識改革も緊急の課題だ。
共同作業の「場」
そうなると逆に学校の存在意義がはっきりしてくる。自分の子供時代をふりかえってみたとき、学校生活でいちばん思い出に残っていることは何だろうか。部活や体育祭など友だちといっしょに何かを成し遂げたことではないか。少子化・核家族化の時代、共同作業の喜びだけは学校でなければ体験できない。
子供たちが思い思いに集まって共同作業を行い、また散らばって個別学習をする。ネットワーク社会の新しい学校は子供たちを閉じこめる「器」ではなく、自由に集散できる境界のない「場」であるべきではないか。