米国が好況に沸き、日本の景気が悪くなると、決まって米国と日本を引き比べて日本のここが悪いあそこが悪いと自虐的な批判をしたがる日本人がいる。もちろんこのページもその手の自虐的な日本批判が満載だが、その反動としてもっと日本をほめよう、日本人の良いところを見つけて評価しようという意見が出てくる。
別のエッセー「遠い銃声」でも触れたが、先月末(1999/03末)の新聞各紙に「ニッポンをほめよう」という、完全に森林資源のムダづかいでしかないヒドい広告が二回掲載された。一回目は見開き二面で、吉田茂の顔写真が左半分全面にあり、二回目は爆笑問題の二人の写真入の全面広告だった。その二回とも、日本もそう捨てたものではないことの証拠として、若者の作ったアニメーションが世界を席巻している事実をあげていた。日本の未来は暗いというけれど、日本の若者はなかなか大したものだ、というわけだ。
今日(1999/04/12)の日経朝刊「オピニオン・解説」面にも、同じような論調があった。小渕首相が発足させた「産業競争力会議」批判なのだが、ざっと要約すると次のようになる。
要約:産業競争力会議のメンバーは製造業に偏っているが、新しい日本の競争力は非製造業にある。日本人は創造性で劣るから、非製造業のような付加価値の高い分野ではだめだろうという見方は間違っている。ファッション業界の三宅一生、ミュージシャンの坂本龍一、映画監督の黒沢明、世界最強のゲーム業界、宮崎駿のアニメなどは日本人の独創性の証拠だ。そうした独創性の芽をつんでいるのが規制だ。規制緩和で日本の非製造業の競争力を強めることが、グローバル経済下での日本の国際競争力の向上につながる。以上。
規制緩和で国際競争力を高めるという耳タコの展開はまあいいとして、日本の非製造業の潜在力の例示として、三宅一生や坂本龍一をもってくるのがいかにナンセンスか、この記者はまったく分かっていないようだ。(映画監督の黒沢明とは、ずいぶん高齢の人物に日本の未来を託したものだ。せめて北野武くらいにして欲しいものだが)
確かに日本のクリエーターは世界で高い評価を受けている。日本人にオリジナリティーがないというのは間違いで、独創的な才能は確実に存在する。しかし、それと日本の非製造業の競争力とは全く関係ない。理由はかんたんだ。じゃあ日本企業はわがままなクリエーターたちをサラリーマンとして雇えるのか?答え。ぜったいに無理。
これまで日本企業が製造業の分野で欧米と互角に争えたのは、製造業における「独創性」がチームワークにもとづいているからである。現場の管理者をまきこんだ品質管理運動、下請け業者を巻き込んだJIT生産方式など、日本製造業の強みは平凡なサラリーマンが束になったときの知恵なのだ。
したがって社会も、政治も、教育制度も、職場環境も、人間関係もすべて、平凡な人々が集団としての創造性を発揮すべく作り上げられてきた。だから日本は機会の平等よりも結果の平等を追求してきたのだし、学歴社会といいながら会社に入ってしまえば高卒も大卒も給料にほとんど差のない年功組織を作ってきた。
しかしこうした社会は、非製造業の創造性と真っ向から対立する。それをこの日経の記者はまったく理解していないようだ。
坂本龍一でも、黒沢明でも、『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明でも誰でもいいが、こうしたクリエーターたちは製造業中心の日本社会の、いわば「周縁」に位置する存在ではなかったか。サラリーマン的な集団生活になじめない強烈な個性だからこそ、世界に通用するオリジナリティーを発揮できたのではないのか。
「ニッポンをほめよう」の広告が、ほんとうに独創的な若者に期待を寄せているなら、そして今日の日経の記事を書いた記者が、日本の非製造業に創造性がないなんてウソだ!と本当に思っているなら、まず見なおすべきは「出る杭が打たれる」サラリーマン社会なのではないか。
歓送迎会でゴルフのスコアを自慢したり、自分の経験だけでものを言って、やたらと声が大きいだけ、といった人物でなければ出世できないようなサラリーマン社会に、こうした優秀なクリエーターたちが生き生きと活躍する場があるわけがない。
規制緩和はけっこうだが、何でも政治が悪いのだと政府をスケープゴートにして日本の非製造業の競争力のなさを嘆くのは大間違いだ。規制緩和の前に、自分たちが生きているサラリーマン社会が変わるのが先決だろう。集団の力がものを言った製造業の時代から、個人の力がものを言う非製造業の時代へ。変わる必要があるのはサラリーマン社会の方だ。
そうでなければ、日本企業はいつまでたっても赤ら顔の「お山の大将」しかリーダーにすることができず、独創的な人材を「和を乱す」といって窓際に追いやり、創造性を経済的な競争力につなげることはできないだろう。かくして坂本龍一はニューヨークへ脱出し、三宅一生はパリへ脱出し、才気あふれる人物は息苦しい日本からじゃんじゃん流出していく。
日本が物作り偏重から脱出するというのは、日本が個人プレーをゆるす社会に脱皮するということに他ならない。それができなければ、いくら規制緩和をしたって日本の国際競争力は高まらないのだ。極言すれば、ステレオタイプのサラリーマンがどれだけ減るか、そこに日本の未来はかかっている。