つい昨日「魂」というオカルト用語を駆使する会社員について書いたばかりだが、今日その会社員とメールをやりとりしていたら、背筋も凍るような返事がもどってきた。今回はそれについて書いてみよう。
発端はその会社員から送られてきたメールだった。西欧人が一人参加する会議の前に、日本人だけで打ち合わせをして意見調整をしておこうという提案だ。僕はどうして日本人だけでわざわざ意見調整をしなければならないのか、どうしても理由がわからなかったのでそれを問いただす返事を出した。
それに対して会議での意思決定を早くするためだというメールが返ってきた。しかし西欧人抜きの日本人だけで事前協議しても、その協議の内容や議論の経過を逐一英語でその西欧人に報告しなければならないのだから、意思決定が早くなるはずがない。むしろその西欧人は自分のいないところで打ち合わせがあったことを批判し、議論は余計むずかしくなるに決まっている。
この会社員の英語力が低いこと、勤続二十年近くの生え抜き社員であることを考えると、またしても日本の伝統的「根回し」かと、なかばあきれながら、西欧人抜きの事前協議が無意味であることを理路整然と書いて送った。
すると今度は、実はアンオフィシャルな場で僕の個人的な意見が聞きたかったのだ、という返事が来た。その理由は、僕が会議の席で発言することが少ないので、本当は言いたいことが胸にたまっているのだろう。だからアンオフィシャルな打ち合わせで言いたいことを言ってほしいということなのだ。彼によれば、プロジェクトのメンバーの中でも、僕との意思疎通がいちばんうまくいっていないと感じるので、それを何とか挽回したいのだという。
正直言って僕は余計なお世話だと思った。僕の会議での発言回数が少ないのは、とくに反論や意見がないからだけであって、逆に言いたいことがあるときははっきりと主張する。多くの日本人がそうするように、あまり意味のない無駄話は会議時間中にはできるだけしないようにしている。それが彼から見ると、発言が少ないということになってしまうらしい。
しかも、僕も子供じゃないんだから、言いたいことが胸にたまっているかどうかくらい自分でわかる。言いたいことがあれば言うし、言っても無駄なことは言わない。さらに、仕事の上での個人的な感慨を職場でもらしたところで何の意味があるというのか。それで合理的な西欧人の上司が同情して、状況を良くしてくれるとでもいうのだろうか。
ビジネスの場はあくまでオフィシャルな場であって、それが事前協議であれ何であれ、アンオフィシャルな個人的な意見を告白して、日本人どうしで馴れ合うことには何の意味もないではないか。もちろん職場の同僚と個人的に付き合うのは良いことだが、そうしたいのであれば休日に一緒に遊びにいったり、自宅に招待したりすればいいのだ。どうして勤務時間中の事前打ち合わせで、親睦を深める必要があるのか。
まったくあきれて物が言えないということをそのまま書くと相手を完全に怒らせるので、アンオフィシャルな場での意見交換は利益より弊害が多いということを、ふたたび理路整然と書いた。
そのメールを書き上げたとき、ふと彼からの最初のメールの一部分を思い出した。その部分には、「行間を読まずにメールで意見を交換すると誤解が生じるので、事前打ち合わせで直接会って話をした方がよい」という内容のくだりがあったのだ。そこで、次のようなことを最後に書きそえてメールを送り返した。「この会社のみなさんの行間を読むのは難しいですね。あと2〜3年すれば僕にもみなさんの行間が読めるようになるでしょうか」。もちろん本心で書いたわけではない。遠まわしの批判として受け取ってもらえるだろうと期待して書いたのだ。
ここまでのメールのやりとりを見てわかるように、この会社員は自分が何を言いたいのか、まったく整理できないままにメールを書いている。最初は意思決定を早めるための事前協議だと言っておきながら、次のメールでは僕の個人的な意見を知りたかったからだと、言っていることが支離滅裂である。しかも自分の言っていることが支離滅裂であることの自覚がまったくない様子なのだ。
さて、問題はそういった僕のメールに対して返ってきた彼の最後のメールである。そのメールの冒頭には、背筋も凍るようなことが書かれてあった。「それに意義があるかどうか、良いか悪いかは別にして、この会社の再生のために働く気があるのなら、入社して3か月あれば行間が読めるようになるはずです。少なくとも理解しようという気があれば。」
ちなみに僕はすでに中途採用で入社して一年以上たっている。彼は暗に(別に「暗に」でも何でもないのだが)僕が会社のために働く気がないことを批判しているのだ。会社のために働く気のない人間が、どうしてドイツ語まで勉強する気になるだろうか。
まず驚くのは、僕が行間が読めることを良いと思っていると、彼が思っているらしいということだ。彼は自分たち日本人が内輪でいかに閉鎖的なコミュニケーション社会を作り上げているか、そのことをまったく自覚していない。その証拠として、同じメールのなかで彼は僕に対して「あなたは日本的な事前協議が無意味だというけれども、西欧人のトップマネジメントは、西欧でも”根回し”は非常に重要だと言っていた」と書いている。彼の英語力でどこまで西欧人の意見を正確に理解できているか、非常にあやしいが、彼は西欧人の言っている”根回し”と、自分たち日本人がやっている”根回し”が同じものだと勘違いしているのだ。
西欧人の言う”根回し”とは、ロビー活動のことである。社内政治で優位に立つためにトップマネジメントを取り込むための活動なのだ。そのためにトップマネジメントとの定例会を持つ約束を取り付けたり、自分の主張を何度も売り込みに行ったりする。それは限られた企業の経営資源を勝ち取るための政治闘争である。経営資源が限られていることを考えれば、きわめて合理的な行動だろう。
それに対して日本人が言う”根回し”とは、利害調整のことだ。後になって誰も文句を言いださないようにするために、事前に利害関係のありそうな人々と打ち合わせをして、交換条件を提示し、こちらはこの部分で折れるので、そちらもこの部分は折れてほしい、という手打ちをする。みんなの損を最小化して丸くおさめるための事前調整が日本人の言う”根回し”であって、西欧人の言う”根回し”とは根本的に性質が異なる。
西欧人の”根回し”は公然たる政治闘争で、日本人の”根回し”は「根」という言葉どおり、目に見えない地下で行われる裏取引である。
この会社員は西欧人が言う”根回し”を、自分の思っている日本的な”根回し”と理解し、「ああ西欧人も日本人と同じようなことを大事だと思っているのだなぁ」と感心しているのである。だから彼は僕と事前協議することが、西欧人にとっても納得のいくものだと考えていたのだ。残念ながら彼は、進駐軍にチョコレートをもらって嬉しがっていた、終戦直後の日本人の子供たちと大きく変わるところがない。無意識のうちに西欧人の権威を、自分の理論のうしろだてにしてしまっているのだから。
ずいぶん話が脱線したが、彼の最後のメールの話だった。「それに意義があるかどうか、良いか悪いかは別にして、この会社の再生のために働く気があるのなら、入社して3か月あれば行間が読めるようになるはずです。少なくとも理解しようという気があれば」。なんど思い出しても寒気のする言葉である。
この寒気の最大の原因は、会社のためであれば、その行為に意味があるかどうか、良いか悪いかはどうでもいいという職業倫理だ。これは会社員としては最悪の倫理観である。この文章の後半部分をすこし言い換えてみれば、どういう風に最悪なのかがすぐにわかる。
「それに意義があるかどうか、良いか悪いかは別にして、この会社の再生のために働く気があるのなら、牛肉の偽装もできるようになるはずです」。「それに意義があるかどうか、良いか悪いかは別にして、この会社の再生のために働く気があるのなら、『飛ばし』もできるようになるはずです」。最近の企業の不祥事はすべて、このような最悪の職業倫理から生まれたのではなかっただろうか。
仕事の上で何かをするときに、それに意義があるかどうか、社会一般の倫理的規範から考えて良いか悪いかということは、断じて「別にして」いいようなことではない。これらの価値規準は、少なくとも「会社のため」と同等か、それ以上の重要性をもつべきものだ。それをこの会社員はいとも簡単に捨て去ってしまっている。しかもそのことにまったく無自覚である。
どうだろうか。きっとこのページの読者も背筋が寒くなってきたに違いない。幸いなことにこの種の社員は、遅かれ早かれ淘汰されることになるだろう。西欧人の合理主義とプロテスタント的な職業倫理は、彼のような会社員が生き延びることを許さない。
その証拠に日本的な利害調整型”根回し”しかできない日本人トップマネジメントは、経営資源をめぐるロビー活動としての西欧的”根回し”に敗退し、徐々に権力を失っている。自分があまりに日本的であることに無自覚な人々も、昨日のメールに書いたように肩身の狭い思いをし始めている。おそらく業績の転換点を迎えている他の日本企業でも、同じようなことが起こっているに違いない。
その向こうにどんな企業文化が生まれるのかはまだ分からないが、少なくとも日本人ばかりの息詰まるような密室からは抜け出せるに違いない。