think or die :
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永久に問われない消費者の罪
私的制裁の支配する日本社会
2002/08/27

某食品メーカが、農水省の制度を悪用して申請対象外の牛肉まで政府に買取申請をしていた牛肉偽装問題に関連して、同社が社内処分として会長を名誉会長にするなどの決定を2002/08/20に発表したが、農水省から「名誉会長や最高顧問の職を設けるのは国民の理解を得られない」との批判をうけて、2002/08/26に会長を完全引退させる方向へ変更した。これは周知の事実だろう。

この件について僕は以前からこのページで何度も書いていることを、もういちど確認したい。つまり、法律にもとづかない制裁は単なるリンチでしかないということである。

同社が違法行為を行なったという点で、刑法(詐欺罪)などの法律にもとづいた処罰をうけるのは当然である。それについて、そもそも牛肉偽装事件を誘発するような欠陥のある制度をつくった農水省が、立ち入り検査でどこまで厳密な調査ができるか疑う意見もあるが、いちおう法律にもとづいた処罰がなされる方向であることは確かだ。

僕が問題にしたいのは小売店各社の反応のことである。牛肉偽装問題について同社が「消費者を裏切った」ということが、決り文句のようによく聞かれるが、同社が制度を悪用して裏切ったのは農畜産業振興事業団である。農畜産業振興事業団による買上げ制度は税金によって運営されているので、間接的には国民を裏切ったことになる。

よく分からないのは、それがどうして「消費者を裏切った」ことになるのかということだ。同社の犯した罪は買取対象外の牛肉まで政府に買い取らせたことであって、BSEに感染した牛肉を消費者に売ったことではない。勘違いしてはいけないことだが、同社の製品は今回の事件の前後で変わらず安全なままである。

この点が少し前に問題を起こした乳製品メーカとの決定的な違いだ。乳製品メーカのケースでは、製品そのものが消費者に中毒症状という実害をおよぼしたのだから、消費者に対する責任を問われるのは当然だ。しかし今回の食肉メーカの場合、政府系機関を通じて間接的に国民を裏切ったことにはなるが、小売店の顧客である消費者を裏切ったわけでは決してない。

したがって小売業者が同社の製品を店頭からいっせいに撤去するという行為には合理的な根拠がない。合理性の観点からすれば、安全な食品であるにもかかわらず、それを処分してしまうことで売上は減少し、むしろ各小売業者は株主に損害を与えていることになる。さらに、同社の製品をひきつづき購入したい消費者から、同社の製品を購入する権利を不当にうばっていることになる。

もちろん僕はここまでの議論で、わざと一つの事実を無視している。それは小売業者に対する消費者のクレームである。つまり「おたくはあんな問題をおこした会社のハムやソーセージを置いているのか!とんでもないスーパーだ!」というクレームが消費者から各小売業者に寄せられたという事実だ。

僕が指摘したいのは、この消費者側の態度の問題である。今回の牛肉偽装問題でマスコミはまったく触れていないが、はたしてこのような消費者のクレームは妥当性のあるものだろうか。消費者はいつも神様のように無条件に正しい人々のようにあつかわれるけれども、はたして消費者は小売業者に対してこんなクレームを言う権利があるのだろうか。

僕は思う。こういったクレームは単なる言いがかり、もっと言えば、小売業者に対する一種の「恐喝」ではないか。

というのは消費者は同社のハム・ソーセージが食品としては安全であり、食べることにおいて何の問題もないことを知っているわけである。何度も書くが、この点が以前の乳製品メーカの事件との決定的な違いである。

それを知りながら「同社の製品を置く小売業は、同社と同罪だ」というようなクレームを言うことに、合理的な根拠はまったくない。客観的に見れば、消費者が小売業者に対して、根も葉もない言いがかりをつけているとしか表現しようがないのだ。

この種のクレームを言うことによって、あたかも同社の製品そのものに安全性の面で問題があるかのような印象を世間に流布したという点では、最初にこのようなクレームを言った消費者は、同社の名誉を毀損した罪に問われてもいいくらいだと僕は考える。

つまり小売業者に対する消費者のクレームは、法律にもとづかない私的制裁であり、低レベルのいじめでしかない。これを「消費者による社会的制裁」と呼ぶのは消費者側の意識の低さという、重要な問題を隠蔽してしまう。

もっと露骨に書いてしまえば、ある企業が政府の制度を悪用して罪に問われた、そこで消費者はその弱みにつけこんで、いっせいにその企業をいじめにかかったという図式である。大企業に対する日ごろのウップンがいっせいに同社にぶちまけられ、同社は良いカモになったという図式である。これは決して「社会的制裁」というような正義ではない。単なるいじめ、私的制裁(リンチ)でしかない。

2002/08/20の社内処分に対して、農水省が「名誉会長や最高顧問の職を設けるのは国民の理解を得られない」という批判をしたのも、農水省がこうした消費者の「社会的制裁」を無視できなかったためだ。ここで同社の「不十分な」処分をゆるしてしまえば、こんど消費者によるリンチを受けるのは自分たちだという恐怖があったためだ。

日本経済新聞は2002/08/27朝刊の社説で次のように書いている(企業名はふせさせて頂いた)。

「悪事が露見した家来は、お上の怒りを恐れ、自ら謹慎して許しを待つ。お上はその殊勝さに免じて……。まるで時代遅れの芝居がかった図式が、この問題にはつきまとう。

○×社の最初の社内処分が、社会の常識に比べてずいぶん甘い内容だったのは間違いない。しかし、農水省がそれを大甘などといって、さらなる処分を強要するのも筋違いである。公僕は法に基づいて不正を刑事告発するのが役目だ」

日経新聞の主張はまったく正しい。しかし、決定的な点をわざと書かずに済ませている。それは、農水省が法律以上の処分を同社に強要せざるをえなかったのはなぜか、ということだ。なぜ農水省は同社の法律以上の処分を強要し、会長を完全引退させるような決断を同社に強いたのか。それは消費者の声があったからではないのか。それも法的な根拠の一切ない、私的制裁、いじめの声が。

この社説は以下のようにつづく。

「消費者と市場の厳しい視線をきちんと受け止められず、創業者へのおもんぱかりに終始すれば、○×という企業は、消費者と市場から痛烈なしっぺ返しをくらう。これが社会のルールである。法的な根拠のない役所の指導は、むしろ不透明な裁量・手心行政を生み、利益誘導、あっせん利得など、政官業がもたれ合う『構造不正』を誘発する」

ここで日経新聞は矛盾した議論を展開している。いま引用した後半部分、「法的な根拠のない役所の指導は、むしろ」さまざまな弊害を誘発するという部分はまったく正しい。

ところが、日経新聞は暗に「社会のルール」には法的な根拠がなくてもいいと言っているのだ。このことは「○×という企業は、消費者と市場から痛烈なしっぺ返しをくらう」というきわめてあいまいな表現にはっきりと現れている。「しっぺ返し」とはいったい何のことを指しているのだろうか。なんとあいまいな表現だろうか。僕はこの社説を書いた日経新聞社にきいてみたい。消費者と市場は法律に違反しようが何しようが、どんな「しっぺ返し」でもする権利があるのか、と。

つまり日経新聞はこの社説で、お役所は法律に従わなければいけないが、消費者や市場は法律にしたがわない「しっぺ返し」をしてもよいと書いているのだ。じっさい今回の牛肉偽装問題で、消費者は法律にしたがわない「しっぺ返し」を行ない、結果的にスーパーの店頭から同社の安全面で何の問題もない製品を撤去させることに成功している。

仮に、スーパーが同社の商品を店頭にならべつづけたが、それでもやはり売れ残ってしまった、というのであれば分かる。これなら法律に抵触することなく、同社が市場原理によって淘汰されたということになる。この場合ならば私的制裁や、名誉毀損はない。

しかし実際にはどうだっただろう。一部の消費者のクレームのために、他の消費者は同社の安全な食肉製品を購入できなくなってしまったのである。一部の消費者のクレームのために、どうして他の大多数の消費者が同社の安全な製品を購入する権利をうばわれなければいけないのか。

消費者が小売業者に対してこの種の不法な圧力をかける。こういった図式もやはり、日経新聞の表現を借りれば「時代遅れの芝居がかった図式」である。日本古来のいかにもムラ社会らしい、いじめ、私的制裁の図式である。

以上のように見てくると、今回の牛肉偽装問題には最初から最後まで日本的ムラ社会の私的制裁(リンチ、いじめ)の図式が、通奏低音のように流れていることがわかる。そもそも問題を起こした同社自体が、創業者である会長を頂点とする「ムラ社会」であった。そのために内部の不正を未然に防ぐことができなかったばかりか、不正が行なわれた後も、一部社員の内部告発によるほかに自浄する方途がなかったのである。

そして問題が明るみに出た後、同社と族議員と政府の三つどもえの「ムラ社会」の存在が明らかになった。つまり牛肉の買取制度そのものが業界に支援されている族議員の意向を反映した、身内に甘いザル法であることがわかった。

さらに同社に対する「社会的制裁」が全国でおこり、日本にはいまだに「ムラ社会」的な私的制裁が存在することが明らかになった。同社は以前問題を起こした乳製品メーカのように問題のある製品を販売したわけではないのだから、買取制度の悪用についてだけ刑事的な責任を問われればよいはずだった。なのに正義を標榜する消費者のクレームによって、法律にも市場原理にももとづかない私的制裁(リンチ、いじめ)をうけた。

消費者が同社の製品をスーパーから締め出すことを「正義」だと感じる感情と、同社のような創業者を頂点とする組織を維持していた感情、政・官・業の癒着をささえている感情、これら3つの感情は、じつはすべて同じムラ社会的感情なのである。ここであえて「感情」という表現を使ったのは、それが理性に基づくものではないということを強調したいためだ。

われわれ消費者は自分たちだけが正しいのだと言う権利はない。問題を起こした同社のような企業を「社会的に制裁」したくなってしまうその感情こそが、実は同社の起こした問題の原因となったのだ。本当にわれわれ消費者が合理的だったとすれば、小売業者に対して同社製品を撤去するよう求めるクレームなど誰も言わなかったはずではないか。何度も言うように、そんなクレームは何の根拠もない恐喝にすぎないのだから。

このように考えてくると、今回のような問題の根がいかに深いかということが分かる。たとえ同社が適切な刑事罰をうけたとしても、今回の問題について消費者がとった行動がきちんと批判されない限り、同じような問題はいつまでたってもくりかえされるだろう。(そしてどのマスコミ各社も消費者による私的制裁が恐くて、消費者の行動を僕のように批判することはできないだろう。そしてお役所と大企業を悪者あつかいする茶番劇を演じつづけるだろう)

本当に今回のような問題が二度と起こらないようにするためには、われわれ全員が私的制裁のような非合理にもとづく生活をやめて、合理性を尊重する生活をはじめなければならない。

しかし例によって悲観的な僕は、おそらく日本人にそれをするのは無理だろうと考えている。日本人は合理的に運用されるべきことがらにまで、徹底して情緒的な国民なのである。

※追記:ちなみに日経新聞社説のトーンはここ数日間で大きく変わっている。以前は農水省といっしょになって同社の制度悪用を非難する調子だったが、最近になってようやく政・官・行の癒着を批判する調子に変わってきた。その間、1面の春秋がこのトーンの変化をリードしていたように思う。