最近の経済誌は10年前とは違った意味でのジャパン・バッシングに事欠かない。別のページで「ダイヤの没落」として取り上げた英『エコノミスト』の同じ号では、世界の金融センターを個別に分析する特集が組まれている。
そのなかで、もちろん金融センターとしての東京の凋落ぶりも批判的に分析されている。「東京のビッグバンは聞こえほどでもない」という副題の示すように、今のところ日本の制度改革は中途半端なものに終っているという主旨だ。
ロンドンにならった日本版ビッグバンがどこまで有効かは、一に外資をどれだけ引き付けられるか?二に大蔵省による支配を抑えられるかにかかっていると、この記事は書いている。
現状、外資が日本の金融機関と手を結ぼうとしてもうまくいかない。この記事によると、その理由は、日本の銀行はリスクを海外のパートナーに押し付けて、自分はいいとこ取りするから。そして、手ぬるい会計基準のせいで「とばし」が横行し、そもそも日本の金融機関は危なくて手が出せない。一方、大蔵省による護送船団方式も健在で、大銀行ほど公的資金の拠出の恩恵を受けている。こんなうわべの改革では、東京は金融センターとしての地位を失うだろうと結論づけている。
先日、僕が毎週楽しみにしている会社のマンツーマン英会話研修で、日本がアメリカから輸入するのはソフトウェアがほとんどだ、という話が出た。
たしかに日本はアメリカから多大な影響を受けているが、アメリカで作られた「モノ」がそれほど売れたためしはない。ハリウッド映画にしても、ハンバーガーチェーン店にしても、外資がアメリカの看板のまま日本で大きなシェアを握れているのは、ほとんどがサービス業だ。
裏を返せば、製造業に関しては日本国内では日本製が圧倒的な力を持っているということになる。アメ車やベンツは、いつまでたってもマイナーな商品だ。また、カンバン方式など、日本が世界に誇るマネージメント手法は、大抵の場合製造業のラインのノウハウだと言ってもいい。
ところで、先日の日経新聞で、今回の経済振興策で情報インフラ関連の公共投資が微々たる額にとどまり、旧態依然の建設業中心になってしまったのは、情報通信分野に政界との有力なパイプがないからだ、という指摘がされていた。「建設族」の議員はいるが、「情報族」議員がいないというのだ。
金融業における護送船団方式と、世界に誇る製造業の現場ノウハウ、そして「情報族」の不在。この3つの状況から、日本はモノづくり現場は一流だが、民間のマネージメントは四流だと言えないだろうか。つまり、日本は一流の職人を育てるしくみはあっても、一流のリーダーを育てるしくみがない、ということだ。
金融や流通など、代表的なサービス業が国家による規制の恩恵にどっぷりつからざるを得なかったのは、民間に第三次産業に関する最新技術の知識がなく、ブレーンとしての官僚の技術力に頼らざるをえなかったからではないか。「日本の銀行・証券は、ひ弱で、腐敗しており、近代的な財務テクニックに欠け、国民の信頼もない」(上掲の『エコノミスト』誌の記事から)。
そして、ソニーやトヨタなど、ごく一部の優良企業をのぞいて、日本の製造業がグローバル化の波に乗りきれず、大きく業績を悪化させているのは、優れた製造ノウハウに対応する、優れたマネージメントが存在しないからだろう。
今後の経済を担う情報通信分野のリーダーさえ、「情報族」議員の不在を嘆かなければならないのは、結局、お上に頼らなければやっていけない弱さを露呈しているにすぎない。
こういう風に見ていけば、日本の民間企業が誇れるのは製造ノウハウだけで、マネージメントの欠如をお上にすがって補おうとする、官民補完体制が見事に出来上がっているとは言えないだろうか。
日本の民間企業が官権力からの自律性を回復するひとつの方法として、一流のマネージャーを育てる努力が必要なのではないか。大蔵省で腐敗していく東大生バッシングも結構だが、それを言うなら、そうした官権力に対抗するだけのリーダーシップを取れない民間の非力も批判すべきだろう。民間のマネージメントが強固なら、お上にすがる必要などないはずだからだ。
思うに、日本企業のマネージャーには、現場のたたき上げタイプしか存在しないのではないか。たしかに現場の経験を持っている人間もマネージャーとして必要な人材だろうが、変化の大きな時代に対応するには、自分の経験からしかものが言えないというのは大きな弱点にもなる。
この弱点を補完するには、政にとっての官がそうであるように、やはりブレーン的なマネージャー像が求められているのだ。つまり、ドメスティックな経験やノウハウに頼らず、ある程度現場から遊離したところで、高度な知識にもとづいて冷静な判断ができるタイプのマネージャーである。
ところが、日本企業にはそういうマネージャーを育成するしくみがまったくないと言っていい。なんの専門知識もない新卒を採用して、入社直後のOJTにはじまり、ジョブ・ローテーションを経たジェネラリストが幹部候補生である。
民間企業のマネージメントが、経験主義への偏向から脱しなければ、やはりいつまでたっても官僚テクノクラシーから逃れられないのではないか?
『エコノミスト』が触れている日本の会計基準にしても、民間企業が率先して国際会計基準を採用するというより、官が国際基準への移行を法制化してはじめて、民間がしぶしぶそれに従うという構図がある(率先して採用した企業はすでに国際的な優良企業の地位を得ている)。
一事が万事この調子で、東大卒官僚バッシングをするわりには、民間企業が先取のリスクを取っているかと言えば、そんなことはない。
民間企業に一流のブレーンマネージャーが育たないのは、もちろん人事制度の欠陥に一因がある。日本の人事制度は悪しき平等主義にのっとっているので、自発的にブレーンになろうというインセンティブがまったく働かない。その結果、現場ノウハウにたけた似たり寄ったりの社員ばかりが大量生産される。マネージャーが現場ノウハウ型ばかりになるのは不可避である。
日本企業が本当の意味でグローバル化するには、現場ノウハウ型経営を補完するブレーン・マネージャーを、民間の手で育てられるかどうかにかかっているのではないか?