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情報システムと事業部制
( 19970922 )

Japanese/English

情報システムを導入したからといって経営そのものが改善されるわけではない、というのはビル・ゲイツの言葉である。しかし、二流の経営は二流の情報システムしか整備することはできないだろう。その意味で、情報システムは経営の質を計る尺度にはなる。

日本でエクセレント・カンパニーと言われる企業のほとんどが、優れた情報システムを整備している。ヤマト運輸の物流システムや花王のダウンサイジングがその良い例だ。

これに対して、経営陣が情報システムというものの本質を「誤解」しているために、情報化戦略が失敗している例も見られる。

一口に情報システムの本質と言ってもさまざまな側面で分析することができるが、もっとも重要なのは、情報システムが企業にとってのインフラであるという側面である。

情報システムがインフラであるとはどういうことか。企業体をマクロ経済との類比で考えてみると分かりやすい。国家にとってのインフラとは、電気・ガス・水道・道路などのいわゆる公共事業によっているものを指している。


補足(1997/12/15):読者の方からこの部分の誤りをご指摘いただきました。「市場の失敗」は、マクロ経済学ではなく、ミクロ経済学の概念です。
おわびとともに訂正させていただきます。

一般的な消費財が民間企業によって生産され、普通の意味での市場原理に基づいて価格決定され、消費されているのに対して、インフラは市場の自由な取り引きによっては望ましい資源配分が望めない、経済学用語で言う「市場の失敗(market failure)」にあたる事業である。

仮に電気代が一般的な価格メカニズムで決定されていたとしたら、莫大な固定費のために、普通の家庭が毎月何万円という電気代を支払わねばならぬことになるだろう。最近、異業種からの発電事業への参入が活発になっているが、それも送電線などの既存設備があるからこそ実現できているのである。

インフラにかかわる公共事業に政府が介入しすぎるのは批判されるべきだが、これらが一般の消費財とまったく異なる価格メカニズムで資源分配されていることは、マクロ経済学の入門レベルの知識である。

このマクロ経済での考え方を、一企業にあてはめてみる。

国家を企業に類比させるなら事業部制をしいている企業の各事業部は、国家の中の民間企業である(この類比の弊害はP・クルーグマンの著書を参照。ここでは飽くまで思考実験として類比しているだけである)。

つまり、利潤を多く上げた事業部がそれだけ多くの資源分配にあずかることができる。事業部別の独立採算を導入することで、市場原理による資源分配が生まれ、企業はより最適の資源配分を実現できる。

しかし、である。情報システムは企業にとっての「インフラ」つまり公共事業である。情報システムに限っては、各事業部の業績に左右されることなく、全社に均等に分配されるべき資源である。

その理由は、たとえ事業部制をしいていしても、その企業が事業部全体として単独決算を行う限り、経営情報は各事業部固有のものではなく、企業全体で共有すべきものだからである。経営情報が企業全体で共有すべきものである限り、情報システムは企業全体としてのインフラである。

したがって、このような本質をもっている情報システムは、マクロ経済の類比で言う「市場の失敗」にあたり、通常の市場原理では適正な資源配分が行われない。

このことは、常識的に考えてもすぐにわかる。

A事業部は業績が良く、B事業部は悪いとする。仮に情報システムまでが事業部別の独立採算に含まれていたとすると、A事業部は活発に情報化投資を行い、月次決算を従来の2週間から3日間に短縮する。ところがB事業部は情報化が遅々として進まず、従来どおり2週間かけて月次決算を完了する。

本社が月次決算を取りまとめるのに必要な期間は、B事業部の遅れのせいで、従来どおりの2週間+αとなる。さて、情報システムを事業部別の独立採算に含めることによって、この企業は月次決算の遅滞による機会損失を被っていることになる。

その機会損失とは、たとえば不良在庫の滞留による2週間分の金利負担や、客先の納期に対応できないことによる売上減などなど、数え上げればきりがない。

企業にとってのインフラである情報システムまで事業部制に組み入れるのが、まったくのナンセンスであることがお分かりいただけると思う。

さらに言うならば、情報システムのような公共財には「排除性」がない。

たとえば田中君がインターネットに接続している間も、中村さんは同時にデータベース検索ができる。田中君の消費は、中村さんにとって消費の妨げにはならない。これを「排除性がない」と言うが、やはりマクロ経済の入門の入門レベルの知識である。

排除性のない財の場合、需要曲線は個々の消費主体の需要曲線のY軸方向の和になることが知られている。平たく言えば、使う人が多ければ多いほど、実質の費用が安くすむということだ。

これも常識的に考えればすぐに分かる。

上記のA事業部では、1億円を投入して基幹システムを構築したが、2000人で利用してもまだCPU利用率が40%程度である。これに対して、業績不振のB事業部はやっとのことで500万円で小さな基幹システムを作ったが、100人で使ってもパンクしそうだ。

A・B両事業部の基幹システムは、本社の決算システムに接続されている。全社として見た場合、B事業部のシステムが性能のボトルネックになっている。

情報システムは「排除性がない」公共財であるという本質を無視して、事業部別に情報システムを構築させると、需要曲線の積算による事実上の費用低減効果がなくなってしまう。もちろんこのケースでは、A事業部+B事業部の人員に対して最適化された基幹システムを、全社で構築するのが正解である。

ここでもこの企業は、情報システムを事業部別に構築させることで実質的に費用を増加させている。

以上のように、情報システムを事業部制に組み入れてしまうやいなや、その企業は機会損失や実質的な費用増など、さまざまな形で損失を被ることになる。情報システムは一企業にとってのインフラであり、公共財であることは、経済学の初歩の初歩レベルの知識さえあれば、簡単に理解できることである。

にもかかわらず、いまだに情報システムを事業部制に組み入れ、本来「市場の失敗」にあたるものを市場原理にゆだねている企業が存在するのは、にわかには信じがたいことである。

組織の枠を取り払って情報システム構築に取り組んだ花王では、いまや月次決算が翌月実動一日目に完了してしまうという。いまだに月次決算に2週間以上もかけている企業に必要なのは、担当者の残業ではなく、経営者が経済学の入門書を読みなおすことである。

日本の経営者はとかく理論を軽視して、安易に帝王学に走るが、行き詰まったときこそ、基礎理論に立ちもどる必要がある。サラリーマンに必要なのは、あくまで論理性なのだ。


参考文献:

  • 伊藤元重『入門経済学』日本評論社、1988年
  • 平坂敏夫『花王・情報システム革命』ダイヤモンド社、1996年


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