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カイゼンをカイゼンする思考
( 19990825 )

Japanese/English

日経文庫の新刊、加登豊著『管理会計入門』を読んだ(1999/08/09刊で当の日経新聞社の新刊サイトにまだ登録されていないのは、ちょっと更新のペースが遅いのではという気がするが)。

管理会計の本なのだから、損益分岐点分析や標準原価計算の話が書いてあるのだろうと思ったら大間違い。基本的にこの本は標準原価計算など伝統的な手法を否定するところから始まっていて、ABC(活動基準原価計算)やABM(活動基準マネージメント)、マルコム・ボルドリッジ賞、京セラのアメーバ組織、バランススコアカードなど、どちらかというと最新の経営手法についての本になっている。

原価計算については、たしかに直接経費の製造原価に占める割合が3割を超えているのが普通なのに、いまだに直接材料費/直接労務費/直接経費の三分法に依拠しているのはおかしい。また、多品種少量生産の時代に標準原価と実際原価の差異は製品の原価管理にさほど意味を持たなくなる。

また品質管理については、戦後来日して日本のTQC活動の先べんを付けたデミング博士にちなんだデミング賞を思い出すが、どうやら日本のデミング賞も時代遅れになりつつあるらしい。(審査プロセスのブラックボックス化、受賞に必要な経営資源が膨大、受賞までの活動で従業員が疲弊してしまう弊害などの短所あり)

現在、米国で企業の品質管理を評価する賞といえばマルコム・ボルドリッジ国家品質賞で、製品だけでなく顧客満足の視点や経営システムそのものの品質にまで評価対象を拡大し、既存の「品質」概念を大きく見直している。

このように『管理会計入門』という本の大部分が経営手法の説明に割かれているということは、とりもなおさず、新たな管理会計手法で、日本企業に実務レベルまで定着しているものがまだ存在しないということだ。

やはり日本企業は慣れ親しんだ手法を根本的に見直すのが苦手なのだろう。この本の中で批判されているものの一つが、形骸化したTQC活動である。このページのエッセーでも触れたことがあるが、とくに間接部門では小集団によるTQC活動の意義そのものが問われている。

その原因の一つは、従来のような小さな改善を積み重ねる手法が時代に合わなくなっていることだ。間接業務の効率化でほんとうに効果をあげようと思えば、ある程度まとまった情報化投資がどうしても必要になる。しかしこれは小集団で実行できる性格のものではない。基本的にトップ・ダウンでやるべきものだ。

そしてもう一つが、上にも述べたように、日本のサラリーマンが「小さな改善から根本的な革新へ」という発想の転換ができないことだ。根本的な革新に必要なのは「メタレベルからものを考える」ことであるが、どうも日本のサラリーマンはメタレベル思考が苦手のようだ。ひとつ例をあげよう。

M氏が所属している情報システム部門のTQC活動では、とあるプログラム言語の勉強会をすることになった。だがその言語をよく知っているのはM氏しかいない。なので活動の舵取りはM氏に集中する。

だがその言語はそれなりに難しいのでなかなか学習成果があがらない。M氏も「にわか講師」を勝って出るなどするが限界がある。だとすれば次に出てくるのは当然、活動の進め方そのものを考え直すという発想だ。

ところが日本のサラリーマンは変化の少ない環境で与えられた課題をこなすことに慣れてしまっているので、「活動の進め方そのものを考える」という一段高いレベルへの発想の転換、メタレベルへの飛躍がなかなかできない。結果的にあきらめの雰囲気が広がってTQC活動の形骸化に拍車をかける。

なぜ日本のサラリーマンはメタレベル思考ができないのか?それは今までのサラリーマン生活の中で、メタレベル思考を抑圧されてきた経験の蓄積があるからに違いない。何かを変革しようとしたとき、保身に走った上司、他部門、本社などの政治力でつぶされてしまう挫折を繰り返し経験すると、「〜〜そのもの」を変えようとしてもムダだ、言われるままにやっていればいいという学習効果を与える。

TQCの大原則は権限委譲ということだ。言いかえれば、現場が何かを変えようとしたとき、それを政治力で押しつぶさないというルールだ。ところが日本企業にはこのルールを忘れてしまった管理者がいる。

日本企業のTQCが形骸化しているとするなら、その原因はカイゼンのネタがなくなったからでもなく、参加している社員のやる気がなくなったからでもない。現場への権限委譲が管理者層自身によって長年かけて骨抜きにされてきたからだ。

ただし僕はこれが悪いことだとは思わない。環境変化が激しい時代に組織がトップダウンの性格を強めるのは自然なことだ。だとすればTQC活動もそれに見合って変化すべきである。一方でトップダウンをやりながら、他方でTQC活動が形骸化しているのは社員の「やる気」(なんて管理者層にとって都合のいい言葉だろう)がないからだと現場を非難するのは完全に矛盾している。

ところが日本企業の管理者層は「品質管理の品質管理を考える」というメタレベルの思考ができないので、いつまでたっても旧来の品質管理手法、管理会計手法、経営手法の「小改善」で乗り切ろうとする。

「カイゼン」という考え方そのものを「カイゼン」できるかどうか、それが日本企業の分かれ道だと思うのだが。

[追記]ちなみにこのエッセーを書いた直後、実にタイミングよくダイヤモンド社から『日本的経営の興亡 TQCはわれわれに何をもたらしたのか』というノンフィクションが出版された。そのうち読んで書評を書いてみたいと思う。


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