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アイコンの存在意義
( 19980627 )

Japanese/English

情報システム関係の雑誌を読んでいると、日本的経営の大企業がいかにバカらしいことをやっているか、唖然とする記事を目にすることがよくある。

たとえば、グループウェアのロータス・ノーツを導入したある企業で、その管理・運用を行っている部署が、「社内で共通に利用するノーツ・データベースについてはアイコンを統一する」、という方針を打ち出したというのだ。この方針のおかげで、社内のノーツユーザの画面には、まったく同じアイコンのデータベースがずらりと並ぶことになったという。

ちょっと考えてほしい。コンピュータの画面に出てくるアイコンは、そもそも何のために存在するのだろうか?

話をコンピュータのアイコンに限定する必要はないだろう。図式化されたシンボルすべてに同じことが言える。たとえば道路標識や非常口の表示、会社のロゴマーク、これらすべての「アイコン」は、そもそもなんのためにあるか?

答えはかんたん。「他と区別するため」である。仮に、一方通行を示す道路標識と、駐車禁止の標識がまったく同じデザインだったら、なんのための道路標識だろうか?「化粧室」を示すマークと、「非常口」のマークが同じデザインだったらどうだろう(ギリギリまでがまんしている人にとって、「化粧室」は「非常口」と同じ意味になるかもしれないが)。

コンピュータのアイコンだって同じことだ。ネットスケープ・ナビゲーターのアイコンと、マイクロソフト・ワードのアイコンがまったく同じだったら、出張報告書を書くつもりがネットサーフィンで仕事をサボってしまうかもしれない。

ノーツのワークスペースにずらりとならんでいるアイコンが、すべて同じだったら、ユーザはアイコンの下に小さな文字で表示されているデータベース名称をいちいち読んで、どれが自分の開きたいものかを判読しなければならない。こんなことをするなら、アイコンなど初めからない方がましだ。

そこで僕は考える。ちょっと頭をつかえば分かるような、こんなにシンプルな命題さえ考えられなくなっている彼らに何が起こっているのか?

彼らは結局のところ、アイコンの本質的な目的や存在意義に考えがおよばないまま、「見た目の統一」という表面的な問題の方にしか目が向かなくなっているのである。「見た目の統一」。なんて日本的なテーマだろう。

アイコンを統一するかしないかという問題そのものは、つまらないことだけれど、このつまらない問題に対して、「統一する」という答えを出してしまう体質には大いに問題がある。この雑誌の記事のように、些細な問題について「見た目の統一」というとんちんかんな解答を出す企業は、重要な問題についても本質的な論点を見逃してしまうことになりかねないからだ。

ここに別の記事がある。もっと重要な問題についても、「見た目の統一」という上っ面にこだわる体質をもった企業についてのものだ。

基幹システムのダウンサイジングにおいて、どのプラットフォームを選ぶか。これは企業の行く末を、10年、20年先まで決定づける非常に重要な問題である。

驚くべきことにこの記事で取り上げられている企業は、プラットフォームの選択に際して、社内の動向しか考慮しなかったというのだ。社内の他の事業所がどのようなプラットフォームを選択しているか、それだけを判断材料にして、重要な基幹システムのプラットフォームを決定したという。他社の動向や、そもそもそのプラットフォームはどのような性質のものか、という本質的な問題の検討は、みごとにやり過ごされてしまっていたようなのだ。

これは2つの問題を含んでいる。一つは、「自分の会社は誰と競争しているのか?」、もう一つは、「多くの製品から一つを選ぶ基準は何か?」という、いずれも非常にベーシックでシンプルな問題である。

まず最初の問題から。どうやらこの会社のマネージメントは、社内の他の事業所に妙なライバル意識を燃やしているらしい。彼らが真っ先に気にするのは他社の動向ではなく、社内だという。内輪での競争にどれほどの意味があるのか?

社内の動向にこだわることに正当な理由があるとすれば、それはただ一つ、社内で歩調を合わせるためである。ところがこの企業は、各事業所でバラバラのシステムを構築しているという。業務レベルでの違いがありすぎて、そもそも統一が不可能だというのだ。

ならば、初めから社内の動向ばかり気にする理由などない。にもかかわらずそうなってしまうのは、「見た目の統一」という無意味な大義名分のためである。同じプラットフォームにすれば、さっきのアイコンの例と同じように「見た目が統一」される。

次に、製品を選ぶときの基準は何か?という2つめの問題だが、これについてもマネージメントは社内の他の事業所の決定に流される傾向が強いという。製品を選択するときに重要なのは、とくにその投資効果が長期にわたる場合、「他が何をやっているか」よりも、「その製品がどのような性格のものか」だろう。

ここでも、社内の動向を気にする理由があるとすれば、それは社内で情報システムを統一することである。たとえば、勘定体系・商品コードなどを全社共通にする場合など。それなら、他の事業所と同じ製品を選ぶ合理的な理由があるが、この記事の企業の場合、どうやらそうでもないらしい。

だとすれば、なおさら社内の動向ばかりを気にする理由などない。ここでもマネージャーたちは、「見た目の統一」という空虚な思想にとらわれている。

ここで呆れてしまわずに、もう一歩ふみこんで考えてみよう。マネージャーたちはいったいどうして「見た目の統一」という無意味なことにこだわるのか?おそらく彼らは、本質的な問題を避けてとおりたいのだ。

彼らとてバカではないから、アイコンを統一したり、社内の動向ばかり気にして、社外にまったく目を向けないことの愚かしさを感じている。しかし、そこから踏み出して本質的な問題を解決しようというインセンティブが、まったく働いかない。それは、本質的な問題に触れることが、「危ない橋」だからである。

社内の人事評価そのものが、本質的な問題に取り組むことをためらわせるような制度になっている。40代もなかばになって、本質的な問題というリスキーなことに取り組むよりも、波風を立てずに「見た目の統一」で事を穏便にすませ、無難に定年まで勤め上げる。そういう空気になってしまっているのだ。

このような空気の中では、「アイコンを統一しましょう」などというアイコンの本質に反する提案をバカらしいと思う社員は育たない。おそらく、それは良いアイデアだと言わんばかりに、あっさりと右にならうだろう。また、開発プラットフォームの選定に際して、「競争相手のA社はどうなんだ?」と考えるマネージャーは育たない。いつもいつも、「他の事業所は?」という問いしか出てこない。

最後に、ではこうした会社はどうすればいいのか?そういう疑問については、かつて中世ヨーロッパで黒死病(ペスト)の流行をとどめる唯一の方法が何だったかということを答えに代えたい。ペストの流行が収まるのは、感染者が死滅して、もう感染する人間がいなくなったときだ。

ペストを根絶するには、ペストに犯された組織が死ぬまで待つのがいちばん早い。もちろん、これがただの風邪だったら、社員もちょっとは努力して抵抗しようという気になるだろうが。

このような記事を読むと、僕は自分の会社がそれほどヒドくなくてよかった、とホッと胸をなで下ろす。


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