think or die :
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HQの役割
事業部制から持株会社へ
1998/01/08

最近の法改正で持株会社が解禁され、さっそくダイエーを始め持株会社設立への動きがみられるようだ。持株会社の目的は、グループ企業各事業へ経営資源を効率よく配分し、事業経営の機動性を高めることだろう。

持株会社へのひとつのステップとして事業部制が考えられるが、事業部制をしいている大企業がすべて持株会社へ移れるわけではない。ほんとうの意味で事業部制が効率よく運営されている会社だけが、あたらしい体制に移行できる。

では、事業部制が効率よく運営されているとはどういうことか。僕は経営学の専門家ではないので、詳細な議論を展開できるわけではないが、各事業部の本社にたいする独立性が、その尺度になるのではないか。

つまり、各事業部がいつまでたっても、本社の顔色をうかがいながら事業計画を立てなければならないような事業部制は、効率が悪いといえる。本社機能は、各事業部の業績(実績)をドライに判断することであって、各事業の計画に口出しすることではないからだ。

このように、各事業部の本社機能にたいする独立性が確保されるためには、その企業全体の業務が、本社に依存しないしくみになっていなければならない。

いくら本社(社長)が、各事業部に独立採算の精神を植えつけようとしても、業務フローそのものが、本社のOKがなければ各事業の経営計画も通らないようなものになっているのでは、事業部制は形骸化している。

逆に、いくら業務のしくみが、本社から切り離されていても、社員一人ひとりの意識に、「本社=お上」の意識が残っていれば、そのような事業部制も名ばかりだろう。

最悪なのは、業務フローも本社のOKがなければ前に進まないしくみになっているし、社員一人ひとりも「本社=お上」という意識をもっているのに、かたちだけ事業部制をとっている企業だろう。

いずれにせよ、ほんとうの意味で事業部制になっていないのに、名ばかりの事業部制をかかげている企業は、かえって経営効率が悪くなる。本社は、経営資源の効率的な分配という本来の機能をじゅうぶん果たせない。

結果として、まちがった「本社不要論」がもちあがり、目先の固定費削減のために本社が犠牲になる。つまり、本社が必要以上に縮小されてしまう。たしかに短期的には、固定費削減の効果があらわれるかもしれないが、かえって病気の根を深くする。

つまり、本社機能の縮小により、各事業部がますます本社への依存度を強める。すると、業務負荷が本社に集中し、本社はますます本来の役割(経営資源の効率的な分配)から遠ざかり、事務雑用に時間をさかれる。すると各事業部は本社の決定待ちで機動性を損なわれ、ますます本社の決定に左右される。すると本社の負荷が高くなり...という悪循環をくりかえす。

そのうちに不採算事業がうまれたとしても、本社がすばやくその方向転換をしてやるヒマがなく、事業部が意地をはってがんばるにまかせ、ますます採算を悪化させる。

このような悪循環におちいった企業は、けっして事業部制から持株会社への発展のシナリオに乗ることはできない。むしろ、高収益事業の利益を会社全体で食いつぶし、ますます採算を悪化させる道に突き進むだろう。

万が一悪循環におちいっている事業部制企業があるとすれば、その企業がまずなすべきなのは、本社機能を一時的に拡大して、各事業部が真の意味での独立採算性をとれるような業務のしくみづくりに協力すること、そして、「本社=お上」という既得権益をみずから放棄することだろう。

その後にはじめて、本社は持株会社にふさわしい規模に縮小され、本来の役割に専念すべくエキスパートの集団をめざす。

そのような方向への決断をするのもまた、本社なのだが...。