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異文化マネージャ

What we should learn from Ghosn's success

2003/08/15

米国のフリーランス・ジャーナリストであるデビッド・マギーの書いた『ターンアラウンド:ゴーンは、いかにして日産を救ったのか?』(東洋経済新報社)を読んだ。このWebサイトで一度、ゴーンが日産に貢献したのは有利子負債を劇的に減らす新しい財務テクニックを導入しただけではないかと書いたことがある。しかし本書はゴーンの文化横断的な出自が、彼の改革でもっとも重要な役割の一つを果たしていると書いている。

最近僕自身も企業改革を実現するために、外国人経営者を受け入れている日本企業における文化横断的な側面に興味を持っていたところだ。そんな日本企業の中でも日産がもっとも成功している事例だということは、誰も否定できないだろう。

僕が本書に興味を引かれたもうひとつの理由は、ゴーンについてのほとんどの書物が文化の違いにたいする彼の敏感さの重要性を無視していることだ。彼お気に入りの「コミットメント」という言葉や、マネジメントのツールである「機能横断チーム」、いわゆる「コストカッター」としての彼などなど、こうしたこと以外についてふれている本はないと言ってもいい。ところがこの『ターンアラウンド』という本は、彼のマネジメントの文化的側面に力点を置き、その重要性を正当に評価している。マネジメントの本といえばどうしてもマネジメントの行動について機能的な側面だけを取り上げがちで、なぜそのマネージャがそのような意思決定をしたのか、そのように行動したのか、その背景にあるものを無視する傾向にある。マネジメントの意思決定や行為の理由についての分析的な記述は、あらゆる種類の経営学の基礎となる探求であるべきなのだ。

自動車産業に焦点を当てると、トヨタは相変わらずすばらしい業績を維持しているし、ホンダも売り上げはやや減少しているものの比較的よい状態をまだ保っている。2002年度の財務諸表によれば、トヨタの27人の役員は全員日本人で、うち26人がトヨタかその関連会社に勤続している。この1人の例外は三菱系列の保険会社から来ているようだ。そしてホンダの36人の役員も全員が日本人で、うち35人はホンダかその関連会社に勤続している。唯一の例外は銀行から来ている人物である。

この2社については、少なくともトップマネジメントのレベルで文化横断的な問題は起こりえない。トップマネジメントが全員日本人なのだから。しかしトップマネジメントに外国人がいる場合は、文化横断的な側面はきっと組織全体をうまく経営していくために非常に重要な要因となるだろう。

日産について言えば、7人の取締役のうち4人が日産に勤続している日本人で、残りはルノーから来た外国人だ。24人の執行役員のうち19人が日本人になっている。参考までにマツダと三菱の数値も見てみる。マツダは9人の取締役のうち6人が日本人、33人の執行役員のうち24人が日本人だ。三菱自動車は11人の取締役のうち7人が日本人、さらにそのうち5人が三菱自動車に勤続している人たちだ。つまり取締役の半数以上が外部の人間であることになる。39人の執行役員のうち30人は日本人のようだ。

マネジメントに参画する外国人が増えれば増えるほど、文化横断的な側面がますます決定的になることは当然だろう。確かに日本人どうしでも経営の手法には違いがあるが、日本人と外国人の経営者の間にある違いのほうが大きいということは誰もが認めることだろう。この違いを理解できるようになるためには、文化の違いに対してとても敏感であること、異文化に対する理解をもつこと、コミュニケーション手法を洗練させることが決定的な成功要因だ。

本書を読めばゴーン氏がこれらの要因について十分な資質を持っていることがかんたんにわかる。何よりも彼の出自そのものが文化横断的なのだ。彼はブラジルに生まれた。両親ともアラブ諸国の一つであるレバノン出身だ。父親はブラジルの国籍を持ち、母親はフランスの国籍を持つ。6歳のときゴーン一家はレバノンに帰り、ゴーン氏は10年間そこで育てられた後、大学院に通うためにパリに赴く。ミシュランに勤務している間には、ブラジルと北米に派遣され、フランス企業と米国企業の合併にも携わっている。

このような文化横断的な出自をもっているので、ゴーンは異文化を理解する心構えがすでにできていたと考えられる。西洋文化でさえ、彼のアラブ系の出自にとっては異文化なのだから。彼の文化的な違いに対する敏感さはこれらすべての事実から来るものだ。西洋の文化、たとえば北米や欧州の文化しか経験していない人たちは、たとえ2か国以上での経験があっても、文化横断的マネージャを名乗る資格はない。すくなくとも中東、アフリカ、アジアのどれかの経験くらいはしていなければ、「グローバル」なマネージャを名乗ることはできないだろう。「グローバル」マネージャというのは、北米や欧州のマネージャのことを意味しているのではない。北米も欧州も「グローバル」という意味ではないのだから。

ゴーンは文化横断的な出自を持っているにもかかわらず、社員や社外の人々の前でスピーチをするときには自分の言葉に非常に神経を使っているそうだ。本書によれば、彼はプレゼンテーション資料の一字一句まで自分で点検するとのこと。経営トップは露骨にしゃべってはいけない。率直に話すことと、露骨に話すこととは違う。経営トップは自分の言葉の副作用についてもつねに意識するべきだろう。例えば経営トップが特定の部門の悪い状況について露骨に話したとすれば、もともとの発言意図とは関係なく政治的な問題がそこからただちに生まれるだろう。このような不注意な言葉は、その経営者がいかに意思疎通の重要性に鈍感であるかをよく示している。

文化的な違いに対する敏感さをもっていなければ、意思疎通の重要性に対しても敏感になれない。意思疎通の重要性に敏感でなければ、異文化を理解するきっかけをつかむことはできない。特に西洋諸国に出自をもつ人々が中東やアフリカ、アジアなどの文化を理解しようとするときはそうであり、逆の場合も同じことが言える。意思疎通の重要性に敏感であるために、外国語を学ぶ必要はない。中途半端な外国語学習は、異文化を適切に理解するためには害になることさえある。

例えば日本文化を理解しようとして日本語を習い始める非日本人マネージャというのがいる。しかし日本文化の大きな特徴は、日本文化そのものが言語によってはっきりと論述できないという点にある。したがって日本語を学んでも、日本文化を理解する助けにはならない。日本語の単語には日本文化を正しく理解する妨げにさえなるものもあるだろう。日本文化を理解するためには日本語を勉強すればいいという発想自体が、非常に言語中心的であり、したがって非常に西洋的な考え方なのだ。ゴーン氏は日本文化を理解する難しさを、賢い方向で避けている。つまり、英語で簡潔明瞭な意思疎通を洗練させることによってである。

ゴーンは異文化を本当に理解することは不可能だということを知っているからこそ、日本文化は本当はどういうものなのか理解するのを意図的にあきらめているのではないだろうか。逆に、日本語を勉強するなどして日本文化を理解しようと賢明に努力している外国人経営者は、確実に失敗するだろう。というのは、いつか自分は日本文化を理解できるとはじめから考えてしまっているからだ。外国人経営者が、自分には異文化を理解する資質があると考えるのは単なる傲慢である。その傲慢さは無知と鈍感さから来ている。

最後に彼のマネジメントの機能的な側面について一つだけ指摘しておきたい。本書によればゴーン氏は大胆に日本人スタッフに権限を委譲し、細かい業務には口出ししないようだ。日本企業の外国人管理者は日本人スタッフの細かい仕事にまで首をつっこみ過ぎだが、それは心の底では日本人を信用していないからだ。ある外国人管理者が日本人スタッフの仕事にどれだけ細かく口をはさむかが分かれば、その管理者がどれだけ日本人を信用していないかが分かる。ゴーンの行った権限委譲は、彼が日本人スタッフを信用しているということを示すための道具だった。これは日本人スタッフとの文化的な摩擦を避けるための、もう一つのすぐれた手法だと言える。

以上のようにゴーン氏のマネジメントの成功から、文化横断的な企業経営について多くのことを学ぶことができる。もっとも重要な点は、ゴーン氏が非常に謙虚だからこそ、文化的な差異に敏感なのだということだ。謙虚さは、異文化に対する自分の無知を自覚している点にある。ゴーン氏は自分自身の異文化体験から、異文化を理解することの難しさを学ぶことができたのだ。そして謙虚さとは日本でもっとも大事な美徳の一つである。日本文化が本当はどんなものなのかを理解するのをあきらめることによって、ゴーン氏は図らずも日本の美徳の一つを体現したことになる。これこそが日本文化を理解する唯一の適切な方法なのかもしれない。



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