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Japanese English Bilingual

今回からイントロダクションが始まるのだが、辞書で調べるとavant-proposも「序文」、introductionも「序文」となっているので、どう訳し分ければいいのか分からない。勝手ながら「序章」という名前にさせて頂いた。繰り返し書いているようにこの日本語訳は日曜哲学愛好家であるthink or die筆者による無責任な翻訳であり、学術目的での利用は固くお断りする。

序章

発生の問題はフッサールの思考の本質的な動機であると同時に、フッサールが絶えず遠ざけ、隠していたように見えるジレンマの契機でもある。この問題の統一性は否定できない。その統一性はその運動の中でただ多くの主題や契機へと分化していた。それらの主題や契機についてここでは図式的に示すにとどめておくことにする。

志向的心理主義から出発して、フッサールは彼の経歴のはじめのころ原註1、さまざまな本質の客観性とあらゆる認識の正当性は、経験的な発生の上に打ち立てられると考えていた。ただし経験的な発生というものを、ここでは心理学的に理解しておくことにしよう。経験の概念や意義が生じるのは、心理学的な主観性の自然な作用からなのだ。意識の志向性は、ブレンターノがフッサールに教えたように、思考の心理学的な「性格(特質)」でしかなかった。意識の志向性はまだ客観性の超越論的な基礎ではなかったのだ。知覚の生成への回帰は、すでに素描されてはいたが、じゅうぶん古典的な経験主義の意味にとどまっていた。

(原註1:とくに『算術の哲学』を参照)

しかしこの心理主義はすでに、数の発生と基礎的な論理学上の概念の発生を説明するために、経験の発生そのものが可能になる条件としての「対象一般」というアプリオリな概念に頼っていた。さらに、あらゆる主観的な作用が前提とする始原的な明証性の主題と、心理主義的な構成主義の主題がお互いにまじり合っていた。志向性についての新しい説明が必要であるように見えていたのだ。

じっさい、純粋かつアプリオリな本質、つまり、客観的な論理が可能である条件は、自分自身の上で閉じている自然な主観性の作用から出発することでは生み出せなかった。志向性はもはや思考の心理学的な「特徴」ではありえなかった。志向性は、始原的な明証性の中で、さまざまな論理的本質の客観性原註2へと無媒介に接近する意識にとって、第一義的で還元不可能な運動でなければならなかった。さまざまな論理的本質はあらゆる発生的な生産を逃れていた。さまざまな本質の絶対的な基礎づけは、この契機以降、あらゆる発生の含意から切り離されたものと見られている。発生は現象学でカッコの中に入れられた経験的事実性の序列に現われ、志向的な体験の中立的で「非実在的な」領域に現われていた。そのようなものである限り、発生的な生成は、物理学や心理学、生物学、精神生理学、社会学、歴史学などの、自然科学や人間科学の管轄にとどまる。これらの学問は「あいまい」でアポステリオリな学問である。「厳密な」学が可能になるのは、具体的な直観の中で、志向的な意識にアプリオリなものが与えられる限りにおいてなのだ。

(原註2:『論理学研究T』(1900年)参照)

ところで、さまざまなアプリオリな本質についての志向性や直観は、ふたたび心理学的で純粋に主観的な偶然になる危険を冒さずに、知的なものの領域に住まう非時間的で論理的な意義と、単純に出会うことはできなかった。それらの意義は、「始原において与える働きをする直観」の中で具体的な「充実」の上に「基礎付けられる」必要があった。実在的な対象はそのような「直観」において、「自ら」自分自身を与えるためにやって来るのだ。したがってさまざまな本質は、この語の伝統的な意味において、プラトン的なイデアではなかった。それらの本質は「自分自身の中に」いかなる意味も、いかなる基礎も持たず、それらを目指す志向的行為とは独立していた。そうでなければ、スコラ学派タイプの硬直化した論理学をうけいれるはめになるだろう。硬直化した論理学では、発展や生成が不可能になってしまう。ところで、フッサールはすでに論理学の限りない変形の可能性から出発していた。したがって、構成する源であり、さまざまな本質を基礎づけるものである超越論的主観性の原註3、具体的な体験へともどる必要があった。さまざまな本質は「即自的な」観念でも、心理学的な作用の中で構成された概念でもないので、それによって論理主義か心理主義かの選択を乗り越えることができるだろう。しかしより深い水準においては、発生に関する重大な問題がふたたびあらわれるだろう。

(原註3:『論理学研究』第二巻(1901年)参照)

超越論的な体験の時間性や主観性は、すにで構成された論理に頼らずに、どのようにして客観的で普遍的な形相的構造を生み出し、基礎づけることになるのだろうか。超越論的な体験の時間性や主観性は、さまざまな本質の用語において、自らをどのように記述することになるのだろうか。還元という方法は、形相的還元、そして、超越論的還元と、少しずつ大きくなっていったが、さまざまな事実の次にすでに構成されたさまざまな本質をも「宙吊り」にし「中立化」することで、時間的な構成の行為そのものに達することができるようになるだろう。しかし発生は、心理主義を捨てたときから、フッサールの目には精神生理学的な因果律と混同されていたため、還元によって完全に「中立化され」、「回路の外に」置かれたままになっている。そういうわけで、時間の内的意識原註4がその形相的でノエマ的水準において記述されることになる。フッサールが決して捨てなかった手続きにしたがって、じっさいには発生的なものである時間性は、「形相」あるいは「ノエマ」において構成される構造で置き換えられるだろう。時間を構成する実在は、その実在が記述の「主題」になるというまさにその事実によって、時間によって構成されかつ認識される意味に場所をあけわたす。そういうわけで、さまざまな存在論的領域の構成は、『イデーンT』の中で記述されているように原註5、静的であり、ノエシス=ノエマの相関関係の水準で実現する。フッサールはこのノエシス=ノエマの相関関係について、その相関関係が決して構成するものではなく、より始原的な綜合によって、つまり、自分自身超越論的である「エゴ」の始原的な時間性の綜合によって生産されたものであるような契機によって認識していた。したがって、『イデーン』の絶対的な観念論は、ある意味で、純粋に方法論的なものである。絶対的な主観性が自分自身を始原的な綜合(Ursynthese)の時間性の中で生産する限りにおいて、発生は、超越論的還元によって準備された中立的な領域の内部にふたたび導入される。実在と時間を絶対的に還元することの難しさははっきりと現れており、静的な構成はいまや発生的な構成の上に打ち立てられる必要がある。時間は存在の中で、あるいは、存在と混同されつつ、還元に抵抗していた。その還元は、フッサールが掘り下げて追求した現象学を可能にする条件であり、拡大され、変形される必要があるのだ原註6

(原註4:『内的時間意識の現象学』(1904〜1905年)参照)

(原註5:『イデーン』(1913年)参照)

(原註6:還元のこのような拡大をあつかったフッサール自身の講義は1920年から1925年に行われている。この主題への手がかりはM.R.ベームによっているが、彼は実際にこの講義の編集準備を行っている。<その後ベームによる編集はフッサーリアーナ第8巻として出版された(1959年)>)

超越論的発生の主題は、1919年以来原註7、フッサールの省察の中心的な場所を占めているが、そのため、すべての形相的なものに先立つ契機へとわれわれを導き、ついには前述語的な実在の領域、「生活世界」(Lebenswelt)の領域、原始的な時間の領域、超越論的間主観性の領域に触れさせてくれる。それらの領域は、そのようなものである限りは、もともと「エゴ」の活動から出発して意味を付与されているわけではないような契機なのである。すくなくともそれがフッサールの意図であるように見える。じっさい、構成されたさまざまな本質の世界を、われわれが去ることは決してないだろう。「生活世界」の構成的な分析の両義性原註8、論理学の両義性原註9、超越論的主観の両義性原註10は、無限な全体性というアプリオリな観念と、単純に「世界的な」発生の間でさらにもう一度ゆれ動いており、アプリオリで普遍的な形相的構造の中に、(つねに世界的な発生と対置される)超越論的な発生を維持することに成功している。無限な全体性というアプリオリな観念は、いかなる発生からも派生せず、超越論的な生成を可能にするものなのである。現にアプリオリで普遍的な形相的構造は、始原的であると主張しているにもかかわらず、つねにすでに構成されたものであり、発生の後にくるものなのだ。意味の発生はつねにアプリオリに発生の意味へと転換されている。そして発生は歴史についての哲学全体を前提としている。

実際に、受動的な発生の主題は、重大な不都合を引き起こした。フッサールの企てにもかかわらず原註11、受動的な綜合はあらゆる還元に抵抗しつつ、自らの創造性の中でさえ、純粋に自我論的な経験から逃れ、志向性の能動的な契機から逃れ、絶対的な主観性の制限から逃れる。ここまで絶対的な主観性は、あらゆる実的な(reell)契機あるいは構成を可能にする契機を含んでいた。ところでこの受動的な発生はフッサールによって、構成のもっとも始原的な契機として、あらゆる超越論的な能動性(活動)の基礎的な層として提示されていた。


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