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改革の契機を流失した組織
( 20040802 )

Japanese/English

城繁幸『内側から見た富士通 「成果主義」の崩壊』(光文社ペーパーバックス)を読んだ。これは予想以上に強烈な内部告発書だ。とくに第四章以降の富士通の人事部門批判が激烈で、法令違反を犯したのでもない会社に対して筆者は容赦ない非難を浴びせる。とにかく皆さんにはまずこの本を読んで頂きたい。

(最初にお断りしておくと、本書にはいたるところに英語による言いかえが挿入されている。Amazon.co.jpには河合拓という名前で「意味不明な英単語の羅列など、本自体の品位を下げている点が残念だ」という勘違いもはなはだしい書評があるが、英語が混じっているのは光文社ペーパーバックスの編集方針であって、本書の筆者である城氏とはまったく無関係である。光文社ペーパーバックスの編集方針の第四には次のように書かれている。「これまでの日本語は世界でも類を見ない『3重表記』(ひらがら、カタカナ、漢字)の言葉でした。この特性を生かして、本書は、英語(あるいは他の外国語)をそのまま取り入れた『4重表記』で書かれています。これは、いわば日本語表記の未来型です」)

筆者は東京大学法学部を卒業した後、新卒で富士通に入社し、川崎にある研究開発拠点の人事部門から本社人事部門へと、世間に華々しく喧伝された富士通の「成果主義」導入のまっただなかで人事管理の現場を担っていた人物だ。1973年生まれというから僕らと同じ世代、まさに1970年代生まれをターゲットとするこのページの読者層に属する人物だ。

200ページ以上にわたる文章の中には、さすがにやや冷静さに欠けて批判のための批判と評されても仕方のない部分も散見されるが、議論の多くは富士通の内部資料や、人事部出身者にしか知りえない数値データ、社員の言葉の引用など、おそらく事実であることを否定しようのない裏づけをともなっているので、全編を通してかなり説得力のある内容になっている。

僕自身、富士通の内製パッケージソフトウェアの開発部門に7か月だけ勤務したことがあるのだが、なぜ中途採用の面接時に事業部門長に告げた希望とはまったくことなる営業の仕事をやらされるハメになったのか、なぜパッケージソフトウェアの「開発」部門に僕の所属したような「営業」部隊がいたのか。なぜ「開発」部門の「営業」部隊の利害が、「営業」部門の利害とまったく一致しなかったのか。富士通に勤めていたときに抱いていたさまざまな疑問が、この本を読むことによってほとんど氷解した。

要約すれば、それまで日本という国の公共部門や官公庁に対する大型コンピュータの販売を屋台骨にしていたために、きわめて伝統的な日本的社風をもっていた富士通が、業績の急速な悪化から、人件費を削減するために「成果主義」を導入して、180度社風の転換をはかった。ところがまさにその制度を運用していた人事部門や管理職層が旧弊をぬぐえなかったために、「成果主義」は組織のいたるところにひずみを生み出したということだ。

こんな風に要約してしまうと実もふたもないのだが、この『内側から見た富士通』という本を読むと、人事部門の観点から、富士通という会社がおそらく現在も抱えているであろうひずみが、具体的な事例で記述されている。たとえば本社人事部門は、みずから「成果主義」の運用に責任をもつ立場でありながら、部門内の社員は全員A評価という不文律を持っていたこと。「成果主義」とは名ばかりで、最終的に各事業部でSA、A、B、Cなどの評価を受ける社員の割合を調整するときには、勤務態度や有給休暇の取得状況(もちろんたくさん取っている方が悪い評価を受ける)など、「目標管理制度」とはまったく無関係な評価基準で評価づけされていたこと(筆者はその事業部門間の調整会議に人事部門のオブザーバーとして出席していた)。裁量労働制を導入した結果、裁量労働制を選択しない社員が意図的に残業時間を引き延ばすようになり、総人件費が2割も増加した。

このような個別事例は本書の中に山ほどあり、ここまで内情を暴露してしまって、筆者は富士通から機密漏えいで訴えられないだろうかと心配になるほどだ。もちろんそんなことをすれば富士通の社会的評価はさらに落ちるだろうし、機密保持契約は実質的に雇用期間中だけしか社員をしばることが出来ず、本書の筆者のようにすでに退職している人物を訴追して勝訴することは難しいとされているようだ。

筆者は本書の中で「成果主義」そのものを批判しているわけではない。「成果主義」の導入を標榜しながら、実際には年功序列や閉鎖的な組織風土を残しているため、ひとつの組織の中に制度としての「成果主義」と、実態としての古い組織風土が共存してしまっている事実を批判しているのだ。したがって筆者は、運用方法の改善で「成果主義」は全社的な業績の改善につながるはずだと論じている。この点は以前このページで紹介した高橋伸介『虚妄の成果主義』と同じ議論である。城氏が提案する運用面での改善策は第6章に書かれているので、直接参照して頂きたい。

僕がいま勤めている会社も、最近「成果主義」を導入し、目標管理制度を本格的に運用し始めたばかりだが、人事部門の「成果主義」に対する考え方は奇妙に楽観的である。富士通を筆頭とする大企業の「成果主義」導入事例が、本書があばいているような負の側面をまったく無視して、マスコミや経済誌で喧伝されたため、日本中の企業の人事担当者は見事に洗脳されて、「成果主義」にバラ色の未来を描きがちになっている。

いま富士通が「成果主義」の宣伝者だったことの罪をほろぼす意思があるなら、経営陣は公式の場でその失敗を認めるのがよい。日本の多くの企業で、富士通と同じような組織上の弊害が生み出されているとすれば、その先陣を切っただけでなく、国内に対する「成果主義」プロパガンダを強力に推進した富士通に責任がないとは言えないだろう。

そして筆者である城氏について僕がもっとも高く評価したいのは、その批評精神だ。富士通という大きな組織の中でどっぷりつかって仕事をしながら、その組織に対して距離を置いた観点を失わなかったことである。富士通にとって致命的な損失は、このように批判的な観点をもった社員を失ってしまったことだろう。社内から制度や組織を改革するための契機を、みずからの人事制度によって蹴り出してしまったのだから。


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