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上司の小言は聞き流そう

「上司の小言は聞き流そう」

1997/08/31

注意:このエッセーは30歳以下のサラリーマン(女性含む)のためのものです。男性管理職の方は決して読まないで下さい。読後の精神的ショックによるうつ病の発症などについて、筆者はなんら責任を負うものではありません!!

サラリーマンとしていちばんバカげた生き方は、上司をマネること。僕らの(「僕ら」と書いていますが、女性も含む)上司はほとんど例外なく単なる「政治屋」に近い存在だから。

これからの困難な時代を生きる僕らが、単なる「政治屋」でやっていけるわけがない。むしろ、多少バランスを欠いていても、「マニア」になろうと努力しなければ、生きていけない。

僕らの上司が単なる「政治屋」であることを示す、おもしろいエピソードがある。僕が新入社員研修を受けていた時の話だけど。

本社の偉い人が僕ら新入社員にお話を授けにいらっしゃって、「最近の若者は漢字さえまともに書けない。疎外の疎という字をこんな風に書いた者がいた!!」

僕と同世代の賢明な君たちなら、もうオチは分かったよね。そう言ってその偉い人の書いた漢字は見事なまでに間違っていました。たちまち僕ら新入社員の間には、「あきれた」というよりもある種の憐れみに近いため息の嵐。

事情を察したのかその偉い人は「じゃあ君、前に出て正しい字を書いてみて」と言って僕らの一人に「疎」の字を書かせた。もちろんその新入社員は、とめ、はねにいたるまで完全に正確な「疎」の字を書いた。

その後偉い人が言った言葉は、まるで「コント55号」みたいだった。

「わざと間違えたんだよ」

その偉い人は、自分が実力ではなく政治力で現在の地位を手に入れたんだってことに、気づいているんだろうか(たぶん僕らの上司は政治力も実力のうちだ、って言うだろうけどね)。

じゃあ「政治力」ってなにか?要するに「声の大きさ」と「酒の強さ」のこと。

「声の大きさ」っていうのは、「発言力」。とにかく自分の意見を通しちゃう力強さ。そして、「酒の強さ」というのは、僕らの上司がことあるごとに口にする「人脈」のこと。

でも、彼らの世代が「声の大きさ」と「酒の強さ」だけで管理職になれたのには、ちゃんと理由があるんだよ。一つは年功序列・終身雇用という雇用制度が完全に正常に機能していたこと。もう一つは、高度経済成長という、日本人が一枚岩だった幸福な時代。

注意したいのは、よく僕らの上司の世代は、年功序列・終身雇用を「日本の雇用慣習」だなんで言うけれど、これは大きな間違い。大正時代の日本はむしろ今のアメリカに近い実力主義の社会だったんだ。これも僕らの上司の世代が、自分の生きた時代を理想化したがるクセのせい。

で、年功序列・終身雇用が正常に機能していた時代は、極論すればだれでも管理職になれた時代なんだ。よほどの失敗をしないかぎり、ちゃんとコツコツやってさえいれば、ある程度の年齢になれば管理職のポストは約束されている。

その上に、ちょっと「声が大き」かったり、「酒が強」かったりすれば、もう部長は間違いなし。もうひとつ、学閥の力(これもまさに「政治力」)があれば無敵。次期社長も狙える!!

でもなぜ、高度経済成長の時代には「声の大きさ」と「酒の強さ」だけで出世できたんだろうか?

まず、「声の大きさ」から。

高度経済成長の時代には、とにかく作れば売れた、残業すればしただけ儲かった、という具合に、まさに「足で稼ぐ」みたいな時代。そりゃ市場というパイそのものがどんどん拡大してるんだから、作れば売れるのは当たり前だよね。

だから、「何が正しい戦略か?」なんて考えなくても答えは目の前にあったんだよ。答えがすでに見つかっているなら、あとやるべきことと言えば、そう、他の人より大きな声でその答えを叫ぶこと。

そうすれば周囲の人はあたかもそれがその人の独創であるかのように受け取って、「あの人は違う、さすが」ということになる。

でも、僕らはそんなシンプルな時代に生きてはいない。

何が正しい道かぜんぜん分からない時代に生きている。むしろ、何をやってもダメなんじゃないかっていうくらい。年金制度や、環境問題、原子力発電所の問題を考えてみれば分かる。とにかく作れ!って作ってしまうとゴミ問題になる。とにかく作れ!って作るための電力はどうするってことになる。とにかく働け!っていっても、ひょっとすると給料の半分を年金で天引きされちゃうかもしれない。

そんな中で僕らに必要な資質は、「声の大きさ」なんかじゃないってことは、もう分かったよね。むしろ精緻な分析力、洞察力、冷静な判断力。とにかく、熱くなることじゃなくて、冷静さってこと。

単に声の大きなだけの上司なんか、僕らの部下になるだろう子供たちは簡単に見抜いちゃうよ。だって、彼らは僕らよりも「冷めてる」し。

そして、2つめの「酒の強さ」。つまり「人脈」のこと。

いまだにビジネス書のコーナーなんかに行くと、「人脈で勝て!!」みたいな本がたくさん積んであるけど、これも高度経済成長時代の幻想にすぎない。

人脈というのは、酒の席のつき合いなんかから、同業他社や異業種の人からいろんな情報を仕入れること。人脈を重視する僕らの上司は、人が与えてくれる情報こそ有益な情報である、という幻想の中に生きている。

でも考えてみよう。僕らの上司が子供だった頃、TVはあっただろうか?週刊誌はあっただろうか?インターネットはあっただろうか?僕らの上司が育ってきた時代は、たしかにとなり近所の人たちこそが、いちばん重要な情報源だった。

でも、60年代に急速にTVが普及して、僕らが生れた頃はTVがあたり前だった。週刊誌というものも、あたりまえみたいに売られていて、中年おじさんの代名詞みたいに見られがちだけど、実際にはTVと同じ年代くらいにようやく普及した出版形態なんだ。

で、僕らがいったいどこから情報を仕入れて育ってきたか考えてみよう。ほとんどの情報をTVから得ていないだろうか。仮に友人と話すにしても、まずTV、あるいはTVで見た野球のこと、芸能人のこと、マンガのこと、すべて「メディア」という匿名の(つまり誰かわからない)誰かから得た情報で僕らは育ってきている。

そして僕らが、「あいつ車のこと、すごく詳しいな」とか、「野球のこと詳しいな」とか言って思わずうなってしまう人たちは、「人脈」が豊富だろうか。むしろ、そういう人たちに限って友だちが少なかったりする。

これも時代の違い。僕らの上司が生きていた時代は、情報の質が比較的画一化されていた。女性アイドルといったら山口百恵。紅白歌合戦の視聴率も70%近くあった。みんなが同じ夢に向かって走っていた。だから、共有すべき情報も限られていた。

こんな時代だったからこそ、「人脈」ていどのシンプルでたよりない情報源でも十分乗り切ってこれた。でも僕らが生きている時代は違う。女性アイドルといったら、松たか子、観月ありさ、広末涼子、江角マキ子、奥菜恵、などなどいくらでも名前が出てくる。

さらに、僕らの上司はアメリカ人の顔なんか見ずに、自動車をじゃんじゃんアメリカに輸出した。でもそのおかげで、僕らは貿易収支の不均衡や、日本企業のさまざまな不祥事のために、海外から非難される立場にある。

つまり、これからの僕らは、アメリカや中国など、海外のそれぞれの国の事情をちゃんと把握した上でビジネスをしなければならない。僕らの上司がよく口にする「グローバル化」というやつだ。

それにしては「グローバル化」とよく口にする上司に限って、英語が全然しゃべれなかったり、アメリカ人に関していまだにハリウッドの俳優に対するような妙な幻想を持っていたりする。

でも僕らはアメリカに限らず、外国に対してもっとリアルな目を向けなければならない。しかしそのために、上司の言う「酒を酌み交わす人脈」みたいなものが役に立つだろうか?そんなのは単なる日本の商習慣だ。

僕らはまず、日本国内の多様化した価値観を消化しなければならない。そのためには「人脈」なんてものは役に立たない。僕らの好むと好まざるとに関わらず、今の日本の情報の流れは、一部の専門家が専門分野を深く掘り下げ、それが薄められた形でマスメディアに流され(よくTVに出てくる評論家っていう人たちのことだね)、僕らはそういう形でしか専門的な知識を消化できない。

もちろん「大学」というところが、本来はそうした専門知識を教授する場所なんだけど、だれも大学で勉強しないもんね。

その上僕らは、国内の多様な価値観だけじゃなく、海外のリアルな姿にも目を向けなければならない。いちばんいいのはケーブルTVに加入してCNNを見ることかもしれない。とにかく「人脈」なんてものが、ここでもあてにならないことだけは確かだ。

つまり、「人脈」が役に立った時代というのは、日本人全員が同じゴールをめざして頑張っていた時代で、なおかつ、海外のことなんか気にしなくてもよかった時代(アメリカが本気で日本人を相手にしなかった時代)。

逆に言うと、「人脈」なんていうたよりない情報は、高度経済成長という「幸福な時代」にしか通用しない情報源だ。

以上に見てきたように、僕らの上司がそのおかげで出世することのできた「声の大きさ(発言力)」や「酒の強さ(人脈)」は、僕らの時代にはまったく役に立たない代物だ。

でも正直言って、僕の同僚にも、いまだに「声の大きさ」や「酒の強さ」が出世につながると信じて、ゴルフに精を出したりしている人がいる。自分の父親と同じ価値観でこれからの時代を生きられるはずがないのに。

だって、よく考えてみて。僕らが管理職になったとき、部下になるのは今「新世紀エヴァンゲリオン」やSPEEDに夢中になっている中学生だよ。別に僕らの上司が若返って僕らの部下になるわけじゃないんだよ。

今の中学生に「サラリーマンは人脈だ!!」なんて言って相手にされると思う?

ポケベルで友だち作ったりしている彼らにだよ!!

馬鹿にされて、見放されるのがおちだよ。部下に見放された管理職なんて哀れなもんさ。

じゃあ、僕らはどうすればいいのか?

もう「マニア」になるしかないっしょ。

僕らの上司はよく「ある分野に深い専門知識があると同時に、他の分野にも広い見識をもっている、そんな人になりなさい」とご教授下さいますが、この後半は無視しましょう。

はっきりいって僕らの時代は、「ある分野に深い知識を持つ」と同時に「他の分やにも広い見識」を持てるほど単純じゃないし、情報量はそんなに少なくないよ。これも僕らの上司が自分の生きてきた時代の尺度で、今という複雑な時代を無理やり計っているだけのこと。

だから、とにかく僕らはある分野に徹底的にハマっていくこと!!これが生き残る道なのであった。

もしこれをやらなかったらどうなるか。いわゆる「メッセンジャー管理職」ってやつになっちゃう。右から来た情報を左へ流すだけで、何の付加価値も生み出せない管理職。こんなのすぐクビになっちゃうぅー。

そうならないためには、多少バランスを欠いた人間になっても(オタクやマニアと言われても)徹底的に自分の得意分野を掘って掘って掘りまくることだ。君の上司が多少目を細めたってかまわない。もしそんな上司の表情の変化にぐらついて、いわゆる「ジェネラリスト」へ路線変更した瞬間、君の未来は「メッセンジャー管理職」になってしまうのだぁ。

サラリーマン一般に言えることだけれど、確かに出世を考えれば上司にこびる方が有利。でも、自分が上司になったときのことを考えると、上司のお小言を完全に無視するのが得策。つまり一番良いのは、「2人のビリー・ミリガン」になること。2種類の人格を巧みに使い分けることだ。

上司の前では「ごもっとも」と言いながらあくまで反面教師として上司を冷静に見つめ、自分で仕事を進めるときは、未来のエッセンスを1、2滴垂らしておくのを忘れないこと。

とにかく高度経済成長みたいな「線形」の時代、「単純」な時代、「均質」な時代はとっくに終わっている。その幻想をいまだに引きずっている(当人は引きずっていないと思っているらしいが、僕らから見ると完全に引きずっている)上司の価値観にしばられる必要はまったくない。

僕らは彼らよりももっと困難な時代を生きている。「非線形」の時代、「複雑系」の時代、「多様な価値観」の時代、たしかにその中で方向を見定めるのは難しいけれども、むしろそんな難しい時代を生きられるのが、僕らの誇りであるはずだ。

だから、新入社員の君たち。自身をもって!友だちが少なくて「人脈なんか作る自信ないよぉー」とか、「酒あんまり得意じゃないよぉー」とか言って嘆く必要はまったくない。むしろそれが僕らの「強み」なんだから!


注意:図らずもここまで読み通してしまった、40代の管理職の方へ。

以上のようにこれはあくまで、僕と同世代で、ひょっとすると5月病になりかけているかもしれない新入社員のみんなに「ファイト!!」って言うエッセーです。
特に社員のメンタルケアは、今まで日本企業が切り捨ててきたものですが、これからは真剣な対策を取るか否かで人材の集まり具合が違ってきます。

というのは、あなたが「声の大きさ」と「酒の強さ」をあなたの部下に強要すればするほど、あなたの部下は萎縮して役立たずになるでしょう。とりわけ、「スペシャリスト」ほどその傾向が強いはずです(テクノ依存症など)。

それでもあなたは大きな声を出し続けますか?

部下に酒を酌み続けますか?



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