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無責任極まりないアドバイス
( 20030402 )

Japanese/English

せっかくの年度始めなので、新社会人のみなさんに何かひとことと、頼まれもしないのに書いてみる気になった。頼まれもしないのに僕が何かを書くことにそれほど重要性があるとは思われないが、ふつうの会社員とはひとあじくらいは違うと主張しても罰はあたらないだろう。

僕がふつうの会社員とひとあじ違うところは、次の2点だ。学生時代は哲学の研究者になるつもりで、会社員になろうなんてちっとも思っていなかった点。そして社会人歴9年にしてすでに3回も転職し、したがって4つの異なる会社に勤めた経験がある点だ。

まず1点めの方について注釈をさせてもらうと、学生時代、西洋哲学を研究していた、いや、研究というほど本の虫だったわけではないので、単に勉強していたと言うべきなのだが、西洋哲学を勉強していたおかげで、僕の頭の中は、かなり合理的にできている。考え方があまりに合理的過ぎて、一般的な日本人には少々冷たい人間だという感じを与えることもよくわきまえている。それでも学生時代は周囲の仲間が世間一般の水準に比べて合理的な頭を持っていたせいか、自分の合理性をそれほど意識させられることはなかったが、会社員になってからはイヤというほど意識させられている。

逆にいえば日本の企業社会は非合理的な、義理と人情と腹芸で動いている世界だということだ。体育会系のノリ、もっと時代をさかのぼれば日本陸軍の精神論的ノリの世界がまだまだ色濃く残っている。欧米に行けば理想的な合理主義的世界が待っているかと言えば、必ずしもそうではないようであることも、僕はすでに聞き知っているが、比較の問題として、日本よりはまだましだということは間違いなく言えるだろう。

次に2点めの方について付け加えさせてもらうと、4つの異なる会社に勤めてみて、どの会社も日本人会社員は大差ないということが分かった。幸いなことに現在の僕は、西欧人が大勢の日本人にまぎれている職場で仕事をするチャンスを与えられている。西欧人との仕事は、ときに激しい議論のやりとりになるが、だいたいにおいて合理的で、非常に性に合っている。物事を合理的に突き詰める態度は、西洋哲学を勉強していた僕にとって仕事がやりやすい環境だといえる。

ところが日本人ときたらどの会社へ行っても、たとえ同じ職場に西欧人がいたとしても、物事を明確にする努力をおこたり、好き好んで自分の仕事を増やしているように見える。また、社内のこまかい手続きや力関係などの愛すべき細部にいつまでもこだわって、大きな方向転換のきっかけを失ったままであるように見える。もちろん日本社会には理屈で割り切れない暗部がたくさんあり、それが企業の中にも影を落としている面があることは否めないが、そういった世界と無縁な仕事をしている会社員までが、物事を明確にすることを恐れている。

これらの事実に対して、このホームページでは数年前から一貫して、僕ら1970年代生まれの世代、そして以降に生まれたみなさんの世代も、論理的な思考能力を身に付けることで対抗するしかないのだと書いてきた。

さいわいグローバリゼーションと呼ばれる経済上の変化は、たとえば僕が今働いている職場に西洋人を送り込み、毎日の資料をほとんど英語で作らなければならず、英語ができない社員に、過去の経験や実績とは無関係に肩身のせまい思いをさせるような環境を作り出したり、日本の暗部をある程度まで明るみに出すような貢献もしている。論理的な思考をむねとする人間にとって、過ごしやすい方向へ確実に変わりつつある。

この変化の方向が、少なくとも僕らが会社員として生活している間は大きく変わらないとすれば、1970年代以降に生まれた僕らが、旧態依然とした体育会系ノリ(たいして根拠のない年功序列)や、日本陸軍ノリ(大砲に竹槍で歯向かう精神論)の道をとるのは、ご隠居さんといっしょに墓穴に片足を突っ込むことになる。

他人がどんな生き方をしようが、基本的にはどうでもいいことなのだが、このページをすでに読んでしまった人は、論理的に考えることで自分が今おかれているちょっと難しい状況から抜け出せないだろうかと考えてみることから始めてみるのもいいだろう。

そして以前からこのページをお読みの方にはすでにお分かりのように、僕はこのエッセーについてはあえて普段よりも論理的な調子をおさえた言葉づかいをしている。最近、西洋人と仕事をしていてしばしば考えさせられることだが、分かりやすいということと論理的であることは両立できる。むしろ日本人の物言いは非論理的であるために、同じ日本人どうしでは分かったような気になっているだけで、本当は何も分かっていない。

自分のしゃべっていることが、日本人的な物言い、つまり、「あ・うん」や腹芸(腹に描いた人の顔はもちろん何も話せないわけで、腹筋による表情の変化で言いたいことを伝えるしかないわけだが)になっていないかどうかをチェックするひとつの手がかりがある。それは、英語に翻訳しやすいかどうかだ。

たとえば最近、職場でよく耳にひっかかってわずらわしい言葉に「仏つくって魂入れず」という言葉がある。とあるWebサイトで翻訳すると「That's like a birthday cake without icing or candles.」などという英文が出てくるが、それで西洋人に通じるかといえばおそらく無理だろう。この言葉はそもそも建前と本音は別だという、きわめて日本的な無責任さを理解した上でなければ本当には理解できない。

もし職場でこの言葉を聞いたら、次のように反問してみると面白いかもしれない。「魂のない仏を、仏と呼ぶのは仏様に失礼です。最初から建前だけの仏をつくるのはやめましょう」。あなたの職場が純日本的であれば、永久に出世の道は断たれるかもしれない。

あとは「めりはりの効いた」という言葉も翻訳不可能だ。あえて言えば優先順位づけがなされた状態という程度の意味になるだろうが、日本人が「めりはりの効いた」という言葉を使うときは、優先順位をつけるための判断基準をはっきりと決められていないことがほとんどである。

何をどういう理由で優先し、その他のものを後回しにするのか、合理的に説明するだけの根拠を自分に持っていないとき、あるいはその根拠を説明したくないときに、日本人はこの言葉を使いたがる。したがって、この言葉を職場で聞いた場合は次のように反問してみよう。「あいまいな基準でめりはりを効かせるのは危険です。めりはりを効かせる前に、優先順位づけの基準を明確にしましょう」。本当にこんなことを言ったときのあなたの運命は、同上である。

議論がこまかい部分にすっかり脱線しているのをご容赦いただき、それとともにこのままこのエッセーが終わりそうなこともご容赦いただきたいが、だいたい僕の言いたいことはお分かりいただけたかと思う。どうせなら新社会人としてストレス満載の会社員生活よりは、刺激を楽しめる会社員生活の方がいいに決まっている。そのためには、何よりもまず、論理的に考える能力を身に付けることから始めるのがいいだろう、という無責任なアドバイスでこのエッセーは何となく終わりになる。


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