このページにも書いたけれど、少し前、ある自動車販売会社の会長さんから、「社内に管理者が育たない」という主旨のメールを頂くことがあった。そのときは、自分の拙い返事をおぎなう意味で、柴田昌治『なぜ会社は変われないのか』という本を紹介させて頂いた。
その後、会長さんから、本の紹介に対するお礼のメールを頂き、今度は情報システムの構築方針について相談を受けてしまった。この会社では、小さいながらも既存のシステムや、お手製のシステム、新規に導入した業務パッケージソフトなどが混在して、多少混乱をきたしているだった。
よく言われることだが、問題が混乱したときには優先順位をはっきりさせて、一つずつつぶしていくのが確実なやり方だ。メールの内容からして、在庫管理、売掛/買掛金管理、財務管理、原価管理などの情報システム化項目のうち、まずこの会社としての原価計算の手法の確立が先決と判断できたので、そのように返事を差し上げた。というのは、この会社は販売だけでなく、自動車の改造もおこなっているらしかったからだ。
既製品を改造した上で販売するとなると、当然そこには、材料費・労務費といった付加価値が生じる。その付加価値に対して会社としては、改造用部品の代金や作業者の賃金を支払い、同時にその付加価値分だけ上づみした収入を得ている。費用側は製品の原価として正しく賦課し、収益は原価と正しく対応づける必要がある。
そのための計算技術が原価計算と呼ばれるものだ。このあたりは簿記会計の教科書どおりなので、わざわざここに書くまでもなかったけれど...。
製造と販売の両方を行っている会社の場合は、どのような方式を使うにせよ、原価計算の方式を確立しなければ、いったい作った製品について、黒字になっているのか、赤字になっているのかが正確にわからないだけでなく、正味支払った材料費や賃金に対して、製品の値付けが適切かどうかもわからない。さらに言えば、作業者の作業効率が良くなっているのか、悪くなりつつあるのかもわからない。
標準原価計算を導入すれば、これらの課題を解決できるし、内部管理のためにつかう数字と、財務計算のつながりもはっきりするので、在庫管理や売掛/買掛金管理など、他の情報システムとのつながりも正確になる。
製造業にとって原価計算は、信頼性のある財務諸表を作成する上でも、非常に重要なものなのだ。このあたりも会計学の教科書どおりなので、単なる饒舌だったか...。
で、そんなことを考えながら、「まず原価計算の手法を、公認会計士と相談しながら確立しましょう」というアドバイスのメールを書いているうちに、経理部門で僕が経験した原価計算とはいったい何だったのか、原価計算の本質、というようなことを考え始めてしまった。実務にたずさわっていた時には、考えもしなかったことだ。
改めて原価計算とは何か、と問うてみると、企業が正味支払うお金と、原価には直接のつながりがないことに思いあたる。
たとえば、標準原価計算では、労務費を製品に賦課するときに、時間あたりの単価という考えをつかう。グロスで把握した労務費の実績をベースにして、各製品を作るのにかかる作業時間から、製品ごとの労務費を算出するのだ。ところが実際には、作業者は時給で給料をもらっているわけではない。月給でもらっている。
その最たるものが、マシンレートの考え方だ。生産設備の償却費を、製品別に賦課するために、まず、時間当たりの償却費(?)を仮に計算しておいて、各製品を作るのに機械が動く時間をかけて、製品毎の償却費を(これは直接経費になるんでしょうね)算出する。もちろん機械は時給をもらっているわけじゃない。
また、材料費にしても、ほんとうにかかった費用なんて、誰にもわからない。材料の購入価格は、購入したときの条件によって変化するし、そのうち右から何個めをこの製品に使った、なんていちいち管理してられない。だから、先入れ先出しとか便宜的に材料費を決めざるを得ない。
つまり、原価計算というものは、本質的に本当の現実とはかい離したところで行われる、理論上の計算なのだ。ここに、原価計算フィクション説が成り立つ。
小説家が物語るフィクションは、よくTVなんかで断わり書きが出てくるように、実在の人物や団体とは一切関係ありません。にもかかわらず、そのフィクションが扱うテーマは、まさに現実の中にある真実を鋭く突いているのである。フィクションは、現実の具体的な事実とはかい離しながらも、そこに隠された真理を表現する力をもっている。
標準原価計算も、いってみれば小説や映画と同じような、フィクションの力を持っている。現実そのものではないのに、現実をつかむための最良の手段になる。そして、不正な原価計上がゆるされないように、人に誤った判断をさせるために仕組まれたフィクションは、まったく評価されない。
見たところひじょうに「リアル」でドロドロしているモノづくりの世界が、そうした完全なフィクションの世界によって管理されている。その二面性こそが、原価計算の面白さであり、意外性であり、可能性でもある。
経理部門にいたときの僕はそんなことには気づかず、つまらん仕事だと思いながらシコシコ原価計算をしていたわけだが、それは僕だけが悪いんじゃないよ。原価計算は本質的に「嘘も方便」なのだ!って思い切った教え方をしてくれる先輩がいなかったから、ということも一部あると思う。
実態に近づける努力という側面だけを強調して原価計算を説明すると、ひじょうにつまらないものになる。たとえば、この世にドキュメンタリー小説しかなくなったら、いかにつまらないかを想像してみるといい。風刺や皮肉をふくめながらも、ズバリと真実を突く、そんな風に原価計算の性格を説明できれば、きっと製造業の原価計算部門の新入社員も、わくわくしながら仕事に取り組めるはずだ。
そんな楽しみは自分で見つけろ、ってか?