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![]() 「学歴嫌い」と実力主義・II ( 20000423 ) 2年前に書いたエッセー「『学歴嫌い』と実力主義」についてある読者の方から、大学に行っている人間だけが優秀であるかのような論調は差別にしか感じなかった、という感想を頂いた。その誤解をとくために、もう一度、僕の言いたいことをはっきりさせておく。 日本社会は「学歴社会」だと言われる。それはそのとおりで、今でも求人の募集要項には「大卒以上」などとはっきり学歴差別がうたってある。一方でそういう差別はいけないということで「学歴不問」とうたう企業もある。でも日本は本音と建て前の併存する社会なので、たとえ「学歴不問」と書いてあっても、学歴による差別は現に存在する。それは女性差別についても同じことだ。 では、ほんとうに学歴による差別をなくすにはどうすればいいのか?たとえば「大卒以上」と書く企業を処罰したり、社内の昇進で学歴を条件にすることを禁ずるような法律を作るとする。だが、それで学歴社会がなくなるとはとうてい思えない。男女雇用機会均等法が施行されているのに、相変わらず職場の男女格差が歴然としているのだから、推してしるべしだ。 つまり、そういう「正攻法」で行ってもムダで、企業がほんとうに「学歴で選んで損したよ」と実感するような方向に持っていかなければダメだ。そのために僕は日本をもっとちゃんとした「学歴社会」にする必要があると書いた。 まず女性差別の問題でたとえ話をすれば、男性でも(従来の女性差別的な意味で)「お茶くみOL」的な仕事ができるようにするということだ。すべての男性がバリバリ仕事をしたいわけではない。だから男性のための「楽な仕事」も選択肢として認めるのだ。男でも「女の仕事」ができ、女でも「男の仕事」ができるようにするということだ。 そうしておけば、男性の中から給料が安くても楽な仕事が良い!という人間がぞろぞろ出てくるはずだ。そうすれば企業は本当の意味で「性別で選んで損した」と実感するだろう。 学歴差別の問題も同じことだ。ほんとうに高等教育を受けていなければできないような高度な専門職のポストをちゃんと作る。大学まで行ってバリバリ勉強した人がむくわれる仕事、そのかわりめちゃくちゃハードな仕事を用意するのだ。 学歴社会の弊害としてやり玉にあげられるのは最近のキャリア官僚の不祥事だが、別にキャリアになる東大生が「生まれつき」腐敗していたわけではない。彼ら(あえて男性代名詞を使うが)の持っている専門性をちゃんと発揮させるハードワークを与えず、黙っててもチヤホヤされるような仕事を与えるから、甘やかされて腐敗するのだ。エリートにはエリートにしかできない「キツ〜い仕事」をきっちりやらせるべきなのである。 そうすれば、東大卒の中にも「あんな大変な仕事はやりたくない」という人間がたくさん出てくる。せっかく学歴で採用したのに、ろくに仕事をしないとなれば、そのとき初めて企業や組織は「学歴で選んで損した」と実感するだろう。 以上のように、学歴社会をなくすには、むしろちゃんとした「学歴社会」を作らないとダメなのだ。専門性の高いハードワークと、そうでもない仕事を用意し、たとえ東大卒であっても後者を選択できるようにしておく。そして企業や組織に東大卒という「学歴」の無意味さを思い知らせる。 ところが日本はこれまで「結果の平等」を偏重する「学歴ぎらい」の社会だったために、大卒にも中卒にも同じような仕事を与え、学歴社会の弊害をみずから見えにくくさせるというマイナスの努力をしてきた。 その意味で、僕の批判の矛先は、「日本の学歴社会を是正しなければならない」という人たちと、「日本は学歴社会ではなく、社長もブルーカラーも平等な社会だ」という人たちの両方に向けられている。 まず前者のような考えの人たちに対しては、たしかに日本は学歴社会だけれど、それに対してあなたの言うように「正攻法」で行ってもムダですよ、と言いたい。その理由はここまでに書いてきたとおりだ。 そして後者のような考えの人たちに対しては、たしかに日本は「社長もブルーカラーも平等」という美風を誇っているけれども、それがかえってエリートの腐敗の温床になり、結果的に「学歴社会」を固定化することになっているのだ、と言いたい。 そういう「学歴社会」をなくすためには、まず「社長もブルーカラーも平等」という平等主義をなくす必要がある。つまり、大卒は大卒、高卒は高卒、中卒は中卒と、企業がはっきりと学歴を認識する必要がある。同じ大卒でも在学中に勉強したかしていないかを認識し、企業の建前と本音を一致させる必要がある。 その上で、本当に大卒はバリバリ仕事をして、中卒はダメなのかを見極める。そういう風にして「結果の平等」という美名のもとにうやむやにされている日本の「学歴社会」を浮き彫りにしないことには、「学歴社会」は永久になくならないだろう。「学歴嫌い」といいながら学歴の大好きな日本の「学歴社会」は永遠になくならないだろう。 今、企業がさかんに言っている「能力主義」は、本音の部分での学歴差別をかえって助長している。大学生はますます「勉強しなくても入社後に『能力』を発揮すればいい」と勘違いして勉強をサボって学歴だけを売りにし、楽して高い地位を得て、本来エリートに要求される専門性を失う。中卒は「能力」が期待できないということで企業から門前払いにされる。 そのように「能力主義」が「学歴社会」の隠れ蓑に使われてしまうのも、日本がちゃんとした学歴社会ではないからであって、「学歴社会」を矯正する方向としては、間違った方向に進んでしまっているのだ。 無断転載禁止
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