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![]() 誤算巨大合併と企業文化 ( 20031015 ) 米『Business Week』誌に掲載されたダイムラークライスラー合併関連の記事の話が出たところで、ついでに企業文化の差異という観点からこの合併劇をあつかった論文が見つかったので日本語訳して取り上げてみたい。この論文はスイスに本拠を置くInternational Institute of Management Developmentという経営学の教育機関が2002/06に発表しているもので、Paul Strebelという経営学教授が書いたものだ。同機関の前身は1946年ジュネーヴに設立されたIMIと、1957年にローザンヌにネスレが設立したIMEDEで、1990年に両者を引き継いで開設されたとのことだ。原文はこちらで読むことができる。なお文中に登場する『管理職のための視座』というのはこの論文が掲載されているIMD発行の小冊子の題名のようである。 題名は『紋切型の国民性ではなく企業の特性に集中せよ〜ダイムラークライスラーの合併から学ぶ異文化統合』となっている。「異文化合併の落とし穴を避けるには、相手の国民性の紋切りではなく、企業の背景の特性に集中すべきだ。国境を越えて人々を移動させるには、文化的な固定観念を避け、企業の背景の差異を認識しなければならない。この『管理職のための視座』では国民性の紋切型に内在する危険性と、ビジネスモデルや企業文化、個性、そしてダイムラークライスラーの異国間の合併において両端を経験した国家機関の重要性を描き出そうと思う。」 僕としてのひとつの疑問は、国民性の紋切型を全否定していいのかということだ。企業合併における文化的差異の考察では、国家や民族文化の差異よりも企業文化の差異が重要な要素であることに違いはないが、企業文化が国家や民族の文化から自由だという前提はおそらく間違っている。 「ダイムラーとクライスラーの文化を統合するための最初の重要な催しは、両社経営陣の夕食会だった。夕食会の後、ドイツ人CEOのユルゲン・シュレンプはピアノのそばで歌をリードした。彼が頑固なドイツ人ビジネスマンというより、明らかに酒を飲みながら歌うといった人間の典型であることに米国人たちは驚いた。シュレンプはシュレンプで、クライスラー役員たちが遠慮して気楽にくつろがず、とくに早く寝てしまうことに驚いた。いったい米国人の『カウボーイ精神』はどこへいったのか。クライスラーの折り紙つきの大胆な文化はどこへいったのだろうか。」 ここには不幸な歩み寄りが見られる。ドイツ人のシュレンプは自分の行動が米国人に歓迎されるという期待から、普段どおりの行動を見せたわけだが、彼の米国人とクライスラー経営陣に対する期待がすでに誤りであった。問題はいかに迅速に彼がその誤りを修正して、クライスラーの現実を直視するようになったか(いまだにそうなっていないのかもしれないが)という点である。 「別の文化的背景を持つ人々が自分とは違う行動をするのを見たとき、私たちはよく自分に問いかける。『どうして彼らは私たちのようになれないのだろうか』と。私たちは自分の文化的固定観念のレンズ、彼らの典型的な行動についての私たちの視点、つまり文化の紋切型を通じて彼らを見る。そして彼らがその紋切型を裏切ったとき、何か奇妙なことが起こっていると思えるために私たちは困惑する。私たちは文化がゆっくりとしか変化しないことを知っているので、自分たちがいつまでも続く文化的差異によって彼らから切り離されていると感じる。最悪の場合、それによって他者に対する危険な神話が生まれ、暴力や流血にさえつながる。実業界においては人々が国境を越えて仕事ができなくなり、別のある合併劇のように完成前に組織改編が失敗してしまう。」 この論文の著者はここで、異文化に対する誤った期待が困惑の原因であることと、文化はなかなか変化しないことを同時に肯定している。すると残される選択肢は、異文化に対して事前に正しい期待を持つことしかなくなるが、果たして他者を事前に正しく期待することができるのだろうか。 「実践的なビジネスのためには、紋切型を克服して異なる文化的文脈を把握するようになる必要がある。紋切型の国民性によって代表される行動に気づくことで、異文化環境に自分が何を期待しているのか、気づきやすくなる手助けになる。しかし通常この気づきは平均的な固定観念を反映しており、特殊な状況を無視してしまっている。逆に企業文化とビジネスモデルの視点を持てば、より客観的に異国間合併の両側にいる人々の間で、価値観、信念、行動がどのように異なっているかを理解できる。」 この論文の著者は、国民性の紋切型から脱するための手段として、その客観性を理由に企業文化とビジネスモデルを採用している。しかし数百年にわたって言い古されてきた国民性の文化の紋切型と、百年もたたないうちに消え去ってしまう企業について語る文化のどちらがより客観的かということは、再考の余地があるように見える。 「企業文化とビジネスモデルの差異がどのようにダイムラークライスラーに影響しているか、それらの差異が支配的な民族性の文化的紋切型とどれだけ異なっているかを見てみよう。ダイムラークライスラー経営陣の最初の会合で誤解を生む紋切型だったのは、米国人はドイツ人より社交的だということだ。米国ではファーストネームで呼び合うことが広まっており、明らかにくだけた文化で、ドイツでは職位を使ったり、公式の『あなた』とそうでない『君』を使い分けるので、このような考え方を植えつけてしまったのだ。このような紋切型を抱いているため、クライスラー経営陣は当然ダイムラー経営陣が少なくとも自分たちと同じ程度には遠慮がちな人々であることを期待していた。一方ドイツ人は米国人が自分たちよりも打ち解けた人々であると期待していた。しかしながらクライスラー社員がユルゲン・シュレンプが政治的に独立しており、南アフリカでの経験に強い影響を受けていることを考慮に入れていれば、最初の夕食会であれほど驚くことはなかっただろう。」 企業文化と国民性を分離するとき、注意する必要があるのは、仕事に国民性を持ち込む国民性と持ち込まない国民性の二種類があるということだ。国民性自体が企業文化と国民性の関係を規定しているのだから、支配的な国民性と企業文化の差異を論じるときには、その差異がその国家において他の企業にも見られるものかどうかについても調査する必要がありそうだ。 「紋切型を別にしても、例えば、両国のさまざまな政党の党員が期待する社会的行動などにもさまざまな種類がある。米国では共和党と民主党の間には、前者が社会的行動に対してより保守的な態度を好むという格差がある。ドイツではキリスト教民主同盟と社会民主党の社会的態度の格差は、緑の党との間ほど広くない。ほとんどのドイツ人経営者が与党に賛同しており、米国の共和党より民主党寄りの中道右派の傾向がある。多くの米国人経営者が社会的には保守的な共和党員である事実を、ダイムラー経営陣が注視していれば、彼らの遠慮がちな行動に驚かなかっただろう。そのとき彼らの多くがまだ時差ボケで、文化格差を埋めるにはちょっと休憩が必要だったことは言うまでもないが。」 ちなみにこの部分の最後にあるジョークは日本人の僕にはまったく面白くない。国民性の差異について書く著者であれば、自分のジョークの地域性についてもよく考えてみるべきだ。 「クライスラー社員にとって、なかでも最も誤解を生む紋切型は、ドイツ人は直接的で、繊細さや逃げ口上をあまり好まないというものだった。ユルゲン・シュレンプは両社の統合が対等な合併であると長い間声高に主張していた。彼はクライスラーのCEOであるボブ・イートンを会議やカンファレンス、最初の組織づくりの際も大部分対等に扱っていた。しかし本部をオランダに設置すべきと進言する人がいても、ドイツに置くことを譲らず、ダイムラーがクライスラーの名前の前に来ることも主張した。加えてイートンは最大でも3年後には辞任することが合意された。合併当初からすべてのことを考慮に入れても、ダイムラー社員が広報的な意味を除いて、決して対等合併を意図していなかったことがわかる。クライスラーにメルセデスの文化を強制する意図はなかったが、むしろメルセデスが上位の立場に立つ意図はあった。」 この部分で再考の余地があるのは、ドイツ人が直接的であるという期待は本当にシュレンプの言行によって裏切られたのかという点だ。単にシュレンプがプレス向けと社内向けに二枚舌を使っていただけであり、相変わらずドイツ人であるシュレンプは直接的で、繊細さや逃げ口上を好まなかったのではないか。むしろその方が真実に近いように考えられる。いずれにせよシュレンプが社内向けの本音と、世間向けの建前を使い分けるという、見方によっては非常に「日本的」なコミュニケーション戦略をとっていたことには違いない。 「ダイムラー社員にとってもっとも誤解を生む紋切型は、米国的な柔軟性だった。それはクライスラーの自由形式の討議、部門横断の新車立ち上げチーム、少数精鋭の人員、少ない人件費と経営陣の広い責任範囲などに体現されていると考えられていた。ダイムラー社員はその柔軟性がビジネスモデルや需要変動への反応の仕方によって非常に異なる意味を持つことに気づいた。ダイムラーの低コストモデルは変動費に対して非常に高い固定費にもとづいており、その工場はむしろ単一の製品を低コストで大量生産するために設計され、柔軟性がなかった。工場の管理職はあまり国際的な経験がなく、動き回りたがらなかった。労働組合は『共同決定』の経験をもつドイツの労働組合に比べて非協力的だった。その製品構成はラム・ピックアップ、ミニバン、ジープSUVに高度に集中しており、売上の90%以上を北米が占めていた。」 この部分も、米国人は単に私的生活で一人ひとりが見せるいかにも米国的な国民性を、仕事の場に持ち込まないのが、米国人の国民性だと理解することができる。本当の問題は、やはり企業文化と国民性の差異ではなく、国民性が企業文化をどのように規定しているかではないか。 「合併前、クライスラーは史上最高益を記録し、資金が豊富だったので最大の個人株主であるカーク・カーコリアン氏はすでに数年来配当金の増額を要求しており、ダイムラーは株価の28%にあたるプレミアムを支払った。合併後2年しかたたないうちに、低迷する需要に直面してクライスラーは赤字を垂れ流し、抜本的な事業再構築を経験した。ビジネスモデルの差異が考慮に入れられれば、クライスラーの収益が米国市場の中流層の需要変動に大きく影響され、したがって事業周期が極端に浮動するだろうと期待するのは自然なことだった。」 本当にダイムラーがクライスラーとの事業範形の違いを認識できなかったのだとすれば、それは企業文化の差異以前の経営技術の巧拙の問題である。 「もうひとつの紋切型はドイツ人は米国人よりも階層的だということで、ドイツの企業統治体制が2階層の役員会と公式の労働組合代表を持つことからも明らかだ。しかしクライスラー役員たちはシュレンプのチームの経営トップとしての力の強さに驚き、一方、ダイムラー役員たちはクライスラー側の経営陣の厚みの無さに驚いた。このことはドイツの企業統治体制が、細部では厄介な集団的意思決定の制度を必要としていることを考慮に入れれば、それほど驚くことではない。役員会の場ですら、CEOは主要な意思決定について経営トップたちから賛同を得なければならない。CEOの力が希薄なために、米国企業よりも説得のために多くの労力が必要になる。米国企業ではCEOがより直接的なトップダウンのスタイルをとる選択肢がある。」 この部分をよく読むと、国民性についての紋切型に、さまざまな裏づけを与えているように読める。著者は国民性の紋切型を克服しようとしていたのではなかったか。 「クライスラーのカリスマ的なリー・アイアコッカやボブ・ルッツなど、支配力のあるCEOやCOOの存在があるため、経営陣の層の薄さという危険がある。クライスラーの場合このスタイルは、少数精鋭の経営陣という体制とともに、低コストモデルの一部をなしていた。ダイムラー社員はクライスラーの経営トップであるボブ・ルッツ、トム・ゲール、トム・ストールカンプが去った後が問題だと考えていた。」 結局ダイムラーは、クライスラーの経営トップが去った後にドイツ人を据えているのだから、企業文化の差異も国民性の紋切型もどちらも無視しているだけと言える。 「国際市場の差異に応じた行動をとるようにもっと注意しておけば、ダイムラークライスラーの財務チームが最初の四半期の収益を発表するときにやらかした失敗は避けられただろう。米国の金融市場を牛耳るアナリストや機関投資家は利益に敏感だと、クライスラー側が警告していたにもかかわらず、ダイムラーのスタッフはドイツ的に控え目な発表をおこなった。ダイムラークライスラーの期待を下回る収益は、米国市場を驚かして、株価の急落と、同社に対する投資家の信頼喪失という結果をもたらした。」 米国金融市場も企業文化や事業モデルではなく、米国の国家的な制度である。やはり企業文化や事業モデルよりも、個々の企業の存続にとって決定的なのは国家的な制度や、消費者が体現している民族性ではないのか。 「法制度面での細かい違いとして、ドイツと米国の速度制限の違いや、それを反映したクルマ文化の違いがある。アウトバーンのほとんどに速度制限がないため、ドイツには時速200kmを超える車種の巨大な市場がある。他方、米国のハイウェイには時速55マイルという厳格な制限があるため、米国人はほどほどの速度で快適な運転が楽しめるクルマを求めている。このことは、ダイムラーの洗練されたエンジンにとって、米国に大規模な市場が存在しないことを意味する。ここにまだ答えの出ていない質問がある。今後両社の間で部品の共通化を進めるにあたって、ダイムラー社員はクルマ文化の差異を尊重するのだろうか。ダイムラーはその技術を低価格市場のてこ入れに使うことができるのだろうか。」 ところで高速道路の速度制限の差異はどこから来たものだろうか。それが国民性の差異でなくて何だというのだろうか。 「ダイムラークライスラーの合併から学べるもっとも大きなことは、国民性の紋切型を許さず、ビジネスモデルや企業文化の本当の差異をあいまいにしないということだ。 ダイムラーとクライスラーはもっとも基本的な部分で根本的に異なるビジネスモデルを持っているが、それはそれぞれの国の文化とはほとんど関係ない。メルセデスのモデルは市場に対して高い価値認識を訴える古典的な事例だ。対象となる顧客範囲は同社が自動車を販売するすべての価格帯で上端にあたる部分だ。価値提案の内容は、市場で手に入れられる最高の品質とむすびついた運転のイメージや体験であり、それに見合う価格をともなっている。価値連鎖はそれに対応して、エンジニアリング、設計、品質、アフターサービスに力点をおいている。」 事業モデルはたしかに国の文化とは無関係である。しかし上端市場を対象としていた企業が、中間市場を対象とするように変化するのに、十年単位の時間は必要ない。そのように流動的なものを文化と呼べるのかが問題だ。 「クライスラーはそれとは対照的に、市場に対して低コストで商品を提供する古典的な事例だ。価値提案の内容は、魅力的で人目を引くデザインを非常に競争力のある価格で提供することだ。対象となる顧客範囲は、ピックアップ、ミニバン、SUVに特化した大衆市場だ。そして価値連鎖は低コストによる大量生産と販売に合うように設計されている。 そのような根本的なビジネスモデルの差異を混ぜ合わせれば、最悪の結果になる。ともに焦点を失い、共倒れになる可能性もある。ダイムラーにとって打ち手は、クライスラーのビジネスモデルをよりすぐれたエンジニアリングで強化し、焦点を保ったまま十分な距離を維持することだ。 ダイムラーの企業文化はそのビジネスモデルと一貫性がある。クィンの内部プロセスモデルを使うといちばん簡単に説明できる。企画、組織化、財務管理の管理プロセスに力点がおかれている。各部門の管理職は強力でプロセスを管理するための支援スタッフが必須だ。加えてダイムラーの文化は、従業員が強い影響力をもつ2階層のトップマネジメントに見られる、ドイツ的な分散権力体制によってかたち作られている。リーダの本質的なスタイルは、議長や指揮者のスタイルである。 クライスラーの企業文化はクィンの合目的性モデルに対応する。目標をさだめ、その実行を指揮・監視する。クライスラーには伝統的にカリスマ的命令者型のCEOがおり、配下の管理職を直接指示する。管理階層は広範なCEOの役割を反映して、薄くなっている。シュレンプはおそらくクライスラーの命令者としての伝統に魅力を感じていたのだろう。 これらの企業文化の差異をそのままにするのではなく、それを活かして意思決定のプロセスを豊かにすることが、合併の作業において中心的な課題となる。 シュレンプは独立心旺盛な正確と南アフリカの経験を持ち、ドイツ人の紋切型にぴったりあてはまらない。しかも先導する命令者型のリーダーシップをとっているため、ダイムラー型の議長や識者のスタイルにもあてはまらない。他方、合併当時クライスラーのCEOだったロバート・イートンは、命令者としてのクライスラーの伝統を破った。むしろ彼は議長型であり、それがシュレンプを驚かせたのだ。 大組織の政治的かけひきをトップまでのぼりつめた人々が、国民性の紋切型にかんたんにあてはまらないのは当然である。経験や政治的能力によって彼らは公的な人格に鋳なおされており、長年にわたって会うたびに発見されるような独特の個性は、水面下にもぐってかくされてしまっている。 少なくとも6種類の国家的な制度が両社の差異を生み出し、ダイムラークライスラーの合併で誤解や驚きの原因になっている。これらの制度とは、法律、政府、労働組合、会計制度、金融市場、そして運転習慣だ。 しかし国家的な制度の差異は、それに関係する文化的行動の差異を理解するにあたって、国民性の紋切型よりも客観的な基礎をあたえてくれる。国家的な制度はその国の文化を反映すると同時にかたち作っているが、日常生活の具体的な現実になっているという大きな利点がある。国家的な制度は観察し、文書化し、詳細に記述することができるからだ。 ダイムラークライスラーの合併から学べる最後のこと、それは、いかなる合併・買収においても、何ごとも当然のこととして考えることはできない、すくなくとも国民性の紋切型と考えることはできないということだ。たった一度でもビジネスモデルや組織文化、個性や国家的な制度による差異を考慮に入れてから、国民や民族の行動パターンの一般的な差異をさがすようにすべきだ。それらの行動パターンは、誤解や統合の問題のもとになるおそれがあるためである。 国境を越えた合併の勝者とは、企業の特殊性の差異を理解し、言葉の上だけでなく行動においても、他の人々の背景を尊重するグローバル・マネージャである。ダイムラークライスラーのもっともおおきな挑戦の一つとして、同社の多様性を資本として活用することがあげられる。それを実現するには、相互の信頼を築くというかたちで、より一貫性のある言葉で世界中を語り歩くことが必要になる。相互の信頼なしにグローバルな文化はありえないからだ。それには国境を越える経営に対する先を見越した行動が含まれる。そのような経営によって両社のベストプラクティスを活用し、リスクを積極的に管理し、チャンスを活用できるようになるだろう。」 何だか後半はコメントすることさえ面倒になってきたが、もしかするとこれくらい矛盾に満ちた不正確な論述こそ、経営学にふさわしいのかもしれない。いずれにせよ確実な真実は、ダイムラーとクライスラーの合併が非常に困難な試みであり、まだ成功したとは言いきれないことだろう。 無断転載禁止
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