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切り捨てをしない生き方
京都経済新聞1998/11/19掲載
1999/04/02

切り捨てをしない生き方〜石庭で考える環境問題の未来〜
(京都経済新聞1998年11月19日掲載)

COP3から一年

今度の週末は車で郊外のゴルフコースにでも出かけようか。よく手入れされた芝をサクサクとふみ、さわやかな風に抱かれる...。ただし車を1時間運転すると二酸化炭素が1.5kg排出され、芝の整備に使われる大量の農薬は水質を汚染する。環境庁は平成2年に「ゴルフ場暫定指導指針」を策定し、毎年全国のゴルフ場で水質検査を行っているほどだ。たまにはゴルフをやめにして、公共交通機関の市バスで竜安寺はどうだろう。縁側にすわって石庭をながめれば、大量消費時代の人間の幸福がいかにはかないものか、悟りがひらけるかもしれない。

地球温暖化防止京都会議(COP3)で『京都議定書』が採択されたのは昨年の12月11日、もうすぐ1年になる。世界はすでに11月2日からブエノスアイレスで開催されるCOP4にむけて動きはじめている。日本国内だけを見てもダイオキシンや環境ホルモン、環境管理システムISO14001の認証取得など、環境問題のニュースを聞かない日はない。

「外部」の切り捨て

経済学の観点から考えると、これまで環境問題は「外部経済」と呼ばれ経済学の守備範囲外とされてきた。だが企業の間でも環境対策はコストであるとの認識が広まり「外部経済の内部化」という動きが出てきている。よく考えてみると私たちの根っこには「内部」と「外部」を切りわけて「内部」だけを計算に入れるという発想があったのではないか。

たとえば政治の分野。共産主義が「外部」として切り捨ててきた民族・宗教問題が、東西ドイツの統一やソ連崩壊によって地域紛争のかたちで政治の「内部」に噴出した。 また会計学の分野では各国の会計基準が「オフバランス取引」、つまりこれまで企業活動の「外部」であるとして帳簿に記載されなかった金融派生商品(デリバティブ)取引を帳簿の「内部」に記載する方向にある。

ポスト・モダンの生き方

内部と外部、科学技術と自然、資本主義と社会主義、西洋と東洋、...ものごとを2つに分けて、一方を選び、他方を捨てる。大量消費の近代を支えてきたのはこのような発想だった。だがあらゆる境界線がなくなるボーダレス社会をむかえ、これまでの常識が通用しなくなる。近代(モダン)の次にくる「ポスト・モダン」の社会を生きぬくには、切り捨ての考え方を見直す必要があるのかもしれない。

『京都議定書』の第2条には「持続可能な開発」ということばが使われている。開発か環境破壊か、一方を取って他方を捨てるのではなく両方を実現するのが『議定書』の究極の目的だ。二面を塀で区切られた竜安寺の石庭に、はらはらと紅葉が舞い落ちる。そのときはじめて、この小宇宙も大きな宇宙の一部分にすぎないことを思い知らされる。私たちの社会が大きな生態系の一部でしかないということを忘れれば、『京都議定書』は絵空事になってしまうだろう。

あれから一年。すくなくとも地球の反対側で行われるCOP4を「他人事」として切り捨てることだけはやめにしたいものだ。