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隠語の世界
自伝的企業文化論(5)
2002/10/13

じらすわけではないが今回も「ITと経営の弁証法的探求」の続きとしてふたたびユーザ企業の社内情報システムで働くようになってからのことを書くのではなく、前回A社とB社の比較であえてふれなかったことにふれてみたい。

前回は企業文化が「微温的」であることは短所とばかり言われるが、現実には「微温的」であるためにもそれなりの条件がそろっている必要があることをのべた。企業文化が「微温的」であるということは、その企業が組織の均質性を維持するために、一定以上の潜在能力をもつ人材を採用できる社会的評価をあらかじめ備えている必要がある。

それさえ不可能な企業にとって採用活動は一種の「博打」になる可能性がある。採用の成果によっては能力の高い社員の士気を落としてしまう危険性をはらんでいる。そういう意味で「微温的」であることもひとつの意義をもつ。以上が前回のエッセーの主旨だった。

しかし「微温的」組織の均質性は当然よいことばかりではない。組織の構成員が均質的であるために、異質なものと自分たちがいかに違うか、その差異をはっきり意識できないというのが本質的な欠点である。

たとえばB社は中途採用者を多く受け入れているので、生え抜き社員と中途採用者の差異を明確に意識することができている。その結果として中途採用者のための受け入れ体制が整っている。僕がB社に入社したとき、同時期の中途採用者が本社地区に一堂に会しての研修会が数日間にわたって行われた。

そこで教えられることはB社のすべての事業部の事業内容である。社内のすべての部署から管理職層が登壇して、各事業の概要と現在の課題を説明する。B社以降、僕が入社したC社、D社のいずれもこのような徹底した受け入れ研修は存在しなかった。配属先の部署で同じ部内の各グループの業務内容と、他の事業部の概要について説明を受けた程度である。

もちろん組織の規模によって入社時に説明できることには限界があるだろう。しかしB社は、C社、D社のいずれよりも本体の社員数でいう会社の規模は大きい。規模の大きいB社にできたことが、C社やD社にできないということはないだろう。

おそらく中途採用を受け入れるという点で、B社はC社、D社に比べて長い歴史を持っており、入社時の研修に中途採用者からのフィードバックをより多く反映できているのだろう。ただしこうした中途採用者受け入れのノウハウは、自ら経験しなければ蓄積できないといった特殊なノウハウではない。B社のように中途採用の受け入れ経験が豊富な企業に一度でもヒアリングを行いさえすれば、すぐにでも実行できる種類の業務改善だろう。

ではC社やD社はなぜちょっとしたヒアリングで導入できるノウハウを導入しようとしないのか。C社はオーナー企業ゆえの閉鎖性と改革への消極性でかんたんに説明がつくとして、D社の場合は理由が二つありそうだ。

一つめはあまりに中途採用の歴史が浅いため、中途採用者が社内の人事異動対象者とは異なる受入れ研修を必要としていること自体に気づいていないこと。二つめはB社のような国内企業からノウハウを盗む謙虚さに欠けること。D社は外資系企業ならいざ知らず、B社のような国内企業から学ぶべきものは何もないと信じる誇り高さを持っているのかもしれない。その誇り高さは企業ブランドの維持という点ではまったく正しいが、抜本的な業務改善という点では間違った考え方だ。

はじめはこの二つくらいが主な理由だろうと考えていたのだが、最近、第三の理由がありそうな気がしてきた。たとえばどこの企業でも社員どうしの会話には社内の専門用語が登場する。「情報システム技術部」を「情シ技」と略したり、英語表記の頭文字で略したりといったたぐいのことだ。

こういう社内の jargon(特殊用語・隠語)はたしかにどこにでもあることだが、中途採用者が同じグループにいる場合、そういった jargon を平然と得意げに使うか、はばかりながら使うかという行動の差異は大きい。jargon を平然と使う企業は閉鎖的で conformity(構成員どうしの類似性や会社への服従・遵奉)を重視する組織だと言える。

問題を根強いものにしているのは、そういった組織の conformity が悪意ではないということだ。そういった組織にとって conformity と morale は同義であり、組織の特殊性を平然と泳ぎ切ること=構成員としての成熟と理解されている。本当は組織の特殊性に順応するということは、社員としての能力の一部にすぎず、特に僕のような情報技術関連の業務にたずさわる者にとって、本質的な能力は情報技術など業務の専門的能力である。

組織の特殊性への順応力よりも、専門的能力の方がはるかに重要であるという価値観に転換できないかぎり、その組織の受け入れ研修が改善されることもないだろう。しかしこの価値観の転換は、あまりに根本的すぎて非常に難しいことに違いない。そこで問題になっているのは、合理的な思考というよりも「愛着」といった感情的なレベルに属することだからだ。