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変わるものもあるという考え
( 19990831 )

Japanese/English

とある大企業でのお話...

M氏は人事担当者と面談していて、とても奇妙な感覚に襲われた。根本的に考え方が違っているのだ。後になってよく考えてみて、会社側とこちらとで何が違うのかが少しずつハッキリしてきた。それは「変化」に関わる問題だ。

会社側は「M氏がいったい何を考えているのかよく分からない」という。確かにM氏は今までに二度、大きく仕事の環境を変えてもらうように希望して、そのとおりに変えてもらった。会社側としては希望に沿ってできるだけのことはしてきた。なのになぜ再び、と怪訝に思ったらしい。

もちろん人情としてそう言いたい気持ちは分からないでもないが、会社側の「できるだけのことはしてきた」という意見の背後には、基本的に社員は変化しないものだという大前提がある。より正確に言えば、会社が変化するペースよりも速く社員が変化することはありえない、という大前提がある、とM氏は考えた。だからM氏のような社員の希望を聞いてやることは、例外的で特殊なことなのだと言いたいのだろう、と。

しかしM氏の疑念は次の点にあった。ある組織で働いている一人の人間が、仕事をするなかで成長し、変化することは「ない」というのを前提にするのは、人事マンとして自己矛盾していないだろうか?それを前提にしてしまうことは、組織としての成長や変化を自ら否定していることにはならないだろうか。

M氏の例で言えば、M氏が就職活動をしていた大学4年生当時は人生で最悪に近い精神状態で、もう自分みたいな役立たずは、拾ってくれる会社があればどこへでも就職せねばなるまい、という気持ちだった。社会人としての将来の展望もへったくれもあったもんじゃなかった。

だからM氏が首尾よく大企業に就職して働き始めたころも、ただ言われた仕事を淡々とこなして、無遅刻・無欠勤で無難にサラリーマンを勤め上げましょう、というつつましい生活態度だった。

しかし仕事をこなしていくうちに、自分が淡々と仕事をしていても一定の成果を出せることが分かってくる。単なる趣味程度で使いモノにならないと思っていたパソコンの知識が、実際に業務の効率化に役立つことが明らかになってきて、結果も出せるようになる。

するとがぜんやる気が出てきて、言われもしない仕事を自分から作るようになる。頼まれもしない勉強を自分でどんどん始めるようになる。そうして身につけた知識を業務に使うと、さらに結果が出る。結果が出るとまた努力しようという気になる。

いったん正のフィードバック・ループが働き出すと、環境の変化がついて来ないことがまどろっこしくなる。そこで上司に相談し、まず情報システムの専任者にしてもらう。するとますますやる気が出てきて自己研鑽に励み、ついには情報システム部門への異動を希望する。

確かにかなり自分勝手なところがあるのは認めるが、M氏のような社員がいることは会社にとってマイナスなのだろうか?M氏は環境の変化よりもはるかに速いスピードで自分自身を変化させていった。それも基本的には「良い」方向へ変化してきたはずだ。

しかし会社側は、社員はそれほど急激に変化しない、あるいは変化すべきではないという大前提で考えていたらしい。一部のM氏のような社員が、社会人になっていきなり自分の能力に目覚めてバリバリ働き出す事例を、うまく制度的に受けとめられないのだ。

たとえば社内公募のような制度で、そういう人間を素速く適切なプロジェクトで活用することは、多くの企業がすでに行っている。もっと進んだところでは社内ベンチャーのように、具体的なビジネス・プランを持った人材の独立を支援する制度まで存在する。

社内公募や社内ベンチャーのような制度を持つ企業は、社員の中には会社が変化するよりも速く成長する人材もいるんだと前提している。M氏はこういう発想の方が自然で、社員は基本的に変わらないものだとする前提の方にやや無理があると考えていた。

M氏は元・経理部の所属で、経理プロパーな仕事から無理を言ってシステム専任者になり、さらに無理を言ってシステム部門に異動し、という経過をたどっている。この経過を冷静に見ていれば、M氏という人間の持っている「加速度」は比較的かんたんに推測できる。逆に、これほど多くのシグナルを出している「分かりやすい」社員はいないのではないか。

ところが会社側はM氏の考えていることがよく分からないと吐露した。それは、社員は会社の変化する速度より速く変化することはない、という大前提がしみついているからだという以外に説明しようがない。

双方の根本的な考え方の違いはここにあったのだ。一方はゆっくりで、他方は速いという「程度の差異」ではない。一方は「ゆっくり」という価値観しか持っていないのに対して、他方は「ゆっくりなのも速いのもありだ」という価値観を持っている。これは「程度の差異」ではなく、考え方の「質の差異」だ。

あるものが「変わらない」という前提に立つのか、「変わるモノもあるし、変わらないモノもある」という前提に立つのか。どちらが良いとは一概には言えないが、サラリーマンが生きざるを得ない経済の世界を見たとき、毎年GDPのプラス成長という大前提が変化している時代に、どちらがより「適している」かは明らかだろう。


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