think or die :
1970年代生まれの
人たちのための
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「なぜ」を問わない人たち
多数決で決まる小集団活動
1999/06/03

M氏は小集団活動の会議に参加していて、自分でも不思議なほど神経がいらだって来るのを感じていた。企業にお勤めでない方のために付け加えると、「小集団活動」というのは製造業を中心に昔から品質管理(QC)の一環として行われているもので、いかに品質の良い製品を作るかについて、日常業務から一歩離れたところで、職場の人たちが集まって問題点の洗い出しとその対策を話し合う場のことだ。

M氏が働いているような、製品の製造に直接関係しない部門でも、日常業務の改善のために小集団活動が行われている。しかし多くの職場では小集団活動が活動のための活動となり、形骸化してしまっているという指摘がある。

まぁ小集団活動が形骸化しようがしまいが、そんなことはどうでもいい。このエッセーの最初の問いは、なぜM氏が自分でも不思議なほど、小集団活動の会議の場でイライラさせられるのか、ということだ。そのヒントはエリヤフ・ゴールドラット氏の『The Goal』という小説仕立てのビジネス書にあった。

この『The Goal』という小説には、工場が直面する問題を解決するために、工場長をはじめ、原価マン、システム・エンジニア、工程マンなどが集まって、一つひとつの問題をしつこいほど議論し、何が本当の問題なのかを追いつめて行く、そういう緊迫した会議の場面がたくさん登場する。一つひとつの問題を追いつめていく集中力こそが、彼らを解決へと導いていると言ってもいいだろう。

M氏の小集団活動をふりかえってみたとき、そこに何が欠けているのかが分かる。議論である。

業務改善のアイデアを出しましょうとなったら、まず最初にすることはブレーン・ストーミングだ。それぞれの人が日ごろから改善の余地があると考えている問題点を、自由にあげていく。もちろんそれさえ十分に出てこない場合もあるが、それでも10人強が集まれば10個弱くらいは列挙できる。

問題はそこからの会議の進め方だ。M氏の会議では、いきなり「じゃあ多数決をとって数をしぼりましょう」となってしまう。大勢の意見をまとめるとなったら、何でも多数決。よく考えると(よく考えなくても)これは明らかにおかしい。

正しいやり方は、ブレーンストーミングをしたら、今度は一つひとつのアイデアをはっきりと定義しなおして、共通の性質を持つものどうしグループ分けすることだろう。そうすることによって、いったい「なぜ」これらのアイデアが出てきたのかが分かる。その「なぜ」を突き詰めていけば本質的な問題点は何なのかが明らかになる。

そう。ひとことで言えば、「なぜ」ということを考えなさ過ぎるのだ。「なぜ」ということを考えずに、すぐに結論に飛びつきたがる。確かに会議は結論を出さなければ意味がない。しかし結論のための結論なら、もっと意味がない。結論を出すためには、「なぜ」と問うプロセスを省略するわけにはいかないのだ。

要はそれを誰もわかっていないのだ。何でも結論が出さえすればいいというので、ろくに議論もせずに、時間に追い立てられて多数決で物事を決めてしまう。

M氏自身は議論好きなので、不適切だと思うアイデアには反対意見を述べ、適切だと思うアイデアは擁護する。ところがそれに対して誰も反論せず、M氏はせっかく皆が出したアイデアをひねりつぶす、否定的なことしか言わない奴だ、という評価になる。

しかし実際には、議論をせずに安易に結論に飛びつくやり方に問題がある。「なぜ」と問わないままでは、多数決しか意見をまとめる方法がないのは当然だ。一つの物事を突き詰めて考えることが必要なのだ。みんな誰かが結論を出してくれるのを待っている。自分からは考えようとしない。議論しようとしない。

だから、いつも多数決が採決方法になる。理論より数の政治力がものを言ってしまう。声の大きい方が勝ってしまう。日本企業のトップマネージメントの人数が多いのも、数の理論でしか意思決定ができないからかもしれない。