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外国人マネージャのためのABC
How to manage efficiently in Japanese organization
2003/07/15

日本以外の文化的背景を持つマネージャが日本の組織のマネージャに任命されたとき、彼または彼女が気をつけるべきことはなんだろうか。日本の会社員が集団指向なのに対して西洋人は個人指向だ。僕はつねづね日本の組織にいる外国人のマネージャは日本の組織の中で本当に行動を変えようと思うほど真剣に文化的差異のことを考えているのだろうかと疑問に思っている。したがってこのエッセーでは文化的差異が組織全体の効率性に与える影響について明確に記述してみたい。

日本人は各個人の意思を一つにまとめることを強調する傾向がある。日本人は本来的につねに自分自身を集団全体の方向性に一致させようとする。だから日本人のマネージャはめったに強力な指導権を示さない。日本人マネージャは意思決定が特定の個人ではなく、組織の構成員の合意によってなされることを知っているからだ。

確かに集団による意思決定はときに個々のグループの構成員の無責任さにつながるが、これこそ集団指向の日本人に最適な意思決定の方法であることには違いない。日本人マネージャが強力な指導権を示し、組織の方向性を自分で決定し始めたら、どういうことが起こるだろうか。すべての意思決定がマネージャのところに持ち込まれて、すべての部下はただマネージャによる決定を待っているだけになるだろう。

効率性のために日本人はもっとも早い方法を選ぶ。もし個々のスタッフが自分の主張をし、マネージャとすべての話題について議論をしたとすれば、組織の方向性に関して全員が一致するまでに非合理なほど長い時間がかかってしまうだろう。日本人ははじめからこのようなとんでもない事態を避け、すべてのマネージャの決定に任せる。

結果としてマネージャはスタッフに代わってすべてのことを自分で決定しなければならなくなるだろう。このような状況では意思決定の速度が劇的に落ちてしまう。このような中央集中的な意思決定の速度は、すべてのスタッフがすべての話題についてマネージャと議論することに比べればかなり速いだろうが、それでも組織全体としての意思決定の速度は確かに落ちてしまう。

日本人マネージャは、もし自分たちが強力な指導権を日本の組織の中で示せばこのような状況が起こるということを容易に予測できる。したがって彼らはほとんどの話題について意思決定を責任者に委譲し、ほんとうに自分で決定しなければならないもっとも重要な話題についてだけ意思決定を行う。または単に意思決定を後回しにして、後でその結果だけを確認する。日本の組織においては、いつもいつも先を見越した行動が効率的だとは限らない。先を見越した行動は組織の構成員がお互いに独立して行動できることを前提としているからだ。構成員が相互に依存しながらしか行動できない組織においては、先を見越した行動がすべての構成員によって全員一致で計画され、合意され、共有され、実行されるまでに非合理なほど長い時間がかかってしまう。

ほとんどの決定を責任者に委譲することによって、日本の組織は中央集中型の意思決定の場合よりもかなり迅速に前進することができる(ここで確認しておきたいのだが、このことが当てはまるのは日本人の組織だけである。構成員の合意に関係なく行動できる西洋人からなる組織の場合は、中央集中型の意思決定の方がきっと迅速だろう)。マネージャが中央集中型の意思決定を本当に日本の組織で機能させたいと思うなら、マネージャが最初にすべきことは日本人の物の考え方を集団指向から個人指向に変えることだ。しかしそうしようと思えば何百年とかかるだろう。西洋哲学の個人主義が紹介されてからすでに100年以上がたっているのに、日本人は物の考え方をいまだに西洋的な個人主義に適応させることに失敗している。

もし外国人マネージャが母国と同じように行動すれば、日本人スタッフは組織全体の敏捷性のために、たちまちすべての意思決定をマネージャに任せるようになるだろう。もしそうなって外国人マネージャが日本的な集団による意思決定の場合よりも迅速に意思決定できない場合は、日本人スタッフはその外国人マネージャをほどなく信用しなくなってしまうだろう。マネージャの観点から見れば、この状況は日本人スタッフの無責任さと受身の姿勢を意味しているが、日本人スタッフはすべての話題についてのあらゆる議論が限られた時間を食いつぶしてしまうという最悪の筋書きを合理的に避けようとしているだけなのだ。

このような状況で外国人マネージャがどのような不平をこぼすかは容易に想像できる。外国人マネージャは日本人スタッフが自分自身の考えや提案を持って来ないのを不満に思うだろう。外国人マネージャは日本人スタッフが特定の話題について自分自身の意見を表現せず、ただマネージャの決定を待っていると言ってイライラするだろう。外国人マネージャは日本人スタッフが自分の脚で立っていないと考えるだろう。

もし外国人マネージャがこの種の不平を持つとすれば、それは西洋風の強力な指導権にもとづいて行動している結果なのだ。強力な指導権は日本の組織と両立不可能である。ところですべての日本人スタッフの物の考え方を変えるのと、一人の外国人指導者の考えを変えるのと、どちらが効率的だろうか。

僕が思うに、最善の方法は外国人マネージャの行動を少し日本的な方向へ変えることである。まず最初に外国人マネージャは自分の責任範囲内のすべてのことに触れようとすることをやめるべきだ。基本的に日本人スタッフは組織全体の方向性と大きく違っているようなことはしない。日本人は本質的に集団指向であり、組織全体としての方向性と自分個人の考え方の食い違いに非常に敏感だからだ。西洋人スタッフの場合は、自分自身の強い意見を持っているので、マネージャは彼らを一致させるために強い指導権を示す必要に迫られる。日本では状況は完全に違っている。

その次に、外国人マネージャは自分の意見を強く、あるいは明確に表現すべきでない。西洋の職場ならマネージャは部下からも強い意見が帰って来ることを期待できるが、日本人は次のように考えるだろう。「ボスはあらゆる話題に関して強力な議論をする。反論したとしてもボスに却下されるのが落ちだ。ならば彼の決定を待ってそれに従うことにしよう。」集団指向という観点からみれば、このような考え方は非常に合理的だと言わざるを得ない。

自分自身の意見をはっきりと述べる代わりに、日本人のマネージャは以下のような戦術をとる。つまり、部下に自分で意思決定をとるためのヒントとしてあいまいな議論だけを提供するのだ。これが日本人マネージャがめったに部下に対して明確に意見を述べない理由である。はっきりした意見を提示されたら、日本人は反論するよりそれに従うことを選ぶ傾向がある。しかしあいまいな提案を提示されると、即座にその提案を解釈し始め、大いに自ら意思決定をしようという気になる。外国人マネージャが日本人スタッフに自分の脚で立ってほしいと思うなら、具体的なアドバイスを与えてはいけない。長々とした論理的な議論は具体的なアドバイスよりももっと悪い。ただヒントを与えこと、それが日本人スタッフを自律的に行動させるための最適な手法である。

以上で外国人マネージャが日本の組織においてより効率的にマネジメントを行うために、僕が今書けることのすべてだ。しかし僕はどうして西洋人はいつもいつも西洋と日本の物の考え方の違いを過小評価するのだろうかと思う。彼らは日本人の物の考え方を簡単に変えることができるとでも思っているのだろうか。あるいはその違いは些細なことだと考えているのだろうか。僕にはよく分からない。