[注]以下のかぎ括弧は引用ではなく単なる強調です。
ネタぎれの週刊誌がよく取り上げるネタに、東大生バッシングがある。「マザコン東大生」「東大生が下着ドロ」「新婚旅行に母親同伴!」そんな見出しを誰もが見た経験があるだろう。
三流週刊誌なら笑ってすまされるが、今日、本屋でたいへんな東大生バッシング記事を見つけた。AERA臨時増刊『子供があぶない』('97.11.1 No.45)である。
神戸の小学生連続殺人事件や女子高生の売春問題を取り上げながら、今の子供たちをとりまく社会のゆがみを、さまざまな人々の視点から掘り下げていくというムックであるが、その最後に付け足しのように紋切型の東大生批判が付け加えられている。
要約すれば、東大生は社会に出ても役に立たない場合が多い、という趣旨の記事である。あつかいにくい東大生、やたらとプライドの高い東大生などなど、特に週刊ダイヤモンドや週刊東洋経済が好きそうなパターンだ。
このAERA増刊号の記事も、さまざまなエピソードを紹介しながら、いかに東大生が実社会で役立たずであるかを強調している。
たとえば、東大卒の技術者が管理職になったけれども、部下が一人も理解できないような指示ばかりを与えるため、しかたなく部下のない研究職に異動させた。別の例では、東大生でも体育会系は使える。東大の体育会は各種大会の成績も悪くパッとしないので、かえってふつうの人々には受け入れられやすい。などである。
記事の半分は以上は、これを書いた記者の「東大生コンプレックス」のせいだと考えて間違いない。僕が別のページで書いた「学歴嫌い」の一種である。しかし、そんなつまらない問題は放っておくとして、この記事はもっと重要な矛盾をふくんでいる。
この記者は、「受験戦争の勝ち残りである東大生が役立たずなら、受験戦争は無意味である」と主張することで、批判の矛先を、東大を頂点とする学歴社会に向けている。そして、学歴社会こそが今の子供をあぶない状況に追い込んでいるというのだ。
この記者が理想とするのは、たぶん、「社会に役立つ人材を輩出する大学、そして学歴にとらわれない純粋な能力主義の社会」なのだろう。
しかし、よく考えて欲しい。この記者は、批判する相手をまちがってはいないか?学歴社会を批判するのは結構だ。だが、一歩ふみこんで、いったいなぜ学歴社会がこれほどまでにひどくなってしまったのか?と考える必要がある。
学歴社会がこれほどひどくなったのは、もとはといえば、いい大学に入るため。なぜいい大学に入るのかといえば、一流企業に就職するためである。なぜ一流企業に就職するのかといえば、一流企業で出世して、経済的にゆたかな生活を送るためだろう。
つまり、学歴社会と、経済的なゆたかさは、これまでずっと、一枚のコインの表と裏のように密接な関係だった。ひとことで言えば、「出世のための学歴」だった。
ところが、AERA増刊号のこの記者は、受験戦争で負けを知らない東大生は出世できないと言って東大生を非難しているのである。出世できないことを「悪いこと」と考え、出世できることを「良いこと」と考えるこの記者は、これまで学歴社会を支えてきた経済至上主義、出世至上主義に、はからずも「賛成」してしまっているのだ。この記者は自分の主張が矛盾していることに気づいていないのだろうか。
くりかえして言おう。この記者は、一流企業に入社して、有能な管理職として出世し、会社のために役立つ人間になることを「良いこと」とみなし、その上で、出世できない東大生を非難している。しかし、本当の問題は、会社で出世することを無条件に「良いこと」と考えてしまう経済至上主義の考え方そのものにあるのだ。
僕は思う。べつに東大生だからって出世できなくても、ぜんぜんかまわないじゃないか。一流企業に入って管理職について、出世するだけが幸福ではない。
むしろ、一流企業で出世することだけが幸福であるかのように考える発想が、これまで社会をゆがめてきた元凶なのだ。なのに、この記者は、自分自身の心に深く巣食っている、出世至上主義・経済至上主義のゆがんだ考えに、まったく思い至っていない。
ワーカホリックの父親が家庭をかえりみず、母親と子供の癒着を悪化させ、子供を精神的に追いつめていく。こうした現代家庭特有の構図を生み出してきたのが、他ならぬ出世至上主義なのではないか?だとすれば、東大生が出世できなくてもぜんぜんOKじゃないか。
むしろ、東大生のくせに出世できないヤツというのは、ある意味で、新しい時代のライフスタイルを作り上げる可能性を秘めたヤツということにならないだろうか。経済的に成功するだけが幸福ではない、もっといろいろなかたちの幸福があってもいいじゃないか。もっと多様な価値観をうけいれいる、寛容な社会。それこそが、今の子供を救う社会なのではないか?
僕の意見に多少なりとも賛成してくださるなら、AERA増刊号のこの記者が、いかに矛盾に満ちた主張をしているかというのがお分かりいただけたと思う。この記者の言うことは、一見正義でありながら、じっさいには今の社会の歪みをますます強める方向にしか作用しないのだ。
これ以上、経済的成功を重視する社会が進行すれば、子供たちはますます追いつめられ、心を萎縮させていくだろう。ほんとうに子供たちを救おうと思うなら、出世できない東大生もおおいに結構。出世できる東大生もおおいに結構。いろんな生き方があっていいじゃないか。という主張をすべきではなかったか?
僕の東京大学時代の専攻は哲学だったが、古代ギリシアの哲学者ソクラテスは「無知の知」という言葉をのこしている。つまり、世の中でもっとも貴重な知識とは、自分がいかに無知であるかを知ることだ、という意味だ。
このAERAの記者は、学問は「無知の知」のためにあるということを大学で学ばなかったのだろうか?