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機関車の着く町
( 20020619 )

Japanese/English

僕は機関車の着く町に住んでいた。自分の住んでいる町を説明するのに「機関車の着く町」という表現はあまりに部分的だが、プラットフォームと呼べるような代物ではない、地面に平たくコンクリートを盛り上げた程度のプラットフォームに、紺色の電気機関車にひかれてさびついた貨物列車がいくつもつらなって入ってくる。しかしその貨物列車が乗せているのは貨物ではなく何のためにこの町を訪れるのか判然とない大勢の人々だったのだ。

機関車がプラットフォームに入ってくるのをなんということなく眺めることで、一日のうちの多くの時間を費やしてきたということは、僕は定職についていないのか、あるいは仕事をする年齢にまだなっていないかのどちらかだ。おそらく後者の方だろうと思う。

というのも、あるときからこの町に起こったある異変を、僕が他人事としてとらえることができたからだ。その異変とは、機関車で運ばれてこの町に入ってくる人間の数よりも、機関車で運び出される人数のほうが多くなったということだ。

運び出される人々の住居には、例外なくピンク色の紙切れが郵送されてくる。そこには集合場所と日時が記してある。実際に見たことがないのでよく分からないのだが、配属先の部隊も記してあったのかもしれない。いずれにせよその紙切れを受け取ったが最後、おそらく二度とこの町にはもどってこられないだろうということを覚悟して、人々は貨物列車に乗り込むのだ。

そして容易に想像がつくように、そのピンク色の紙切れを受け取るのは成人男性ばかりだった。老人には届かなかったようだ。この町にまでその紙切れが郵送されるようになってしまったということを、女性たちはいよいよ瀬戸際まで追い詰められたからだと言っていた。誰が(何が)瀬戸際まで追い詰められたのかはよくわからないが、その言葉を聞いて僕が納得できるほど、この町はそもそも見捨てられたような町だったに違いない。

それを証拠に、紙切れで召集されていく男たちは、貨物列車に乗り込んでも目に生気がなかった。見送りの人々はなぜか彼らの健闘をたたえるようなことを口々に叫んでいたのだが、見送られるほうの男たちはまるで隣町まで日用品でも買いに行くかのような、喜ぶでもなく、悲しむでもない、あいまいな微笑を例外なくたたえていたようだ。

そうした町全体の変化を僕は数か月の間、他人事としてとらえることができていたのだが、あるときそうすることもできなくなった。ただしそれは僕自身にピンク色の紙が郵送されてきたということではない。僕の叔父にあたる人にその紙切れが届いたのだ。

しかし僕は驚きを隠せなかった。僕の叔父にあたる人はたしかに頑強な体つきをしていたけれども、子供のような背丈しかなかった。首が短く胴にのめりこんだようで、なおさら彼を小人のように見せていたのだ。体が小さいわりに動作は緩慢で、舌足らずな話し方も決して利発そうに聞こえるわけではなかった。そんな叔父は召集の対象にならないだろうと僕は自分の中で決めつけていたようなところがあったのだ。

僕の驚きを増したのは、紙切れを受け取ったことを僕に話したときの叔父の表情だった。他の男たちの生彩を欠いた表情に比べ、叔父は来るべき時が来た、とでもいったような決然とした勇ましい表情を浮かべていたのだ。叔父がこのような事の成り行きに対して胸を弾ませているということ自体が信じられなかった。

そのとき僕が脈略もなく思い出したのが、また別の叔父の最期のことだった。その叔父は末期ガンで入院中、余命いくばくもないと宣告されて数週間後に、十数階にあった病室の窓から身を投げた。即死である。

その前夜、叔父は妻である僕の父親の姉に医者に見つからないようにこっそり酒を差し入れるよう懇願したという。当時の叔父の病状からしてアルコールは厳禁に近い扱いであり、その懇願を聞いた父親の姉は何かを悟ったはずではなかったか。しかし葬儀の後、彼女は一体どういう気持ちで叔父が病身に鞭打って窓枠によじのぼったのかと自問していた。

不意にその自殺した叔父のことを思い出したのは、召集された方の叔父もまた同じ死を目前にしているからだろう。死を目前にしたとき人はどのような表情を見せるのか。召集された叔父の見せた表情があまりに意外だったので、僕は自分の考えを改める必要があるのではないかと考えたのだ。つまり末期ガンだった方の叔父が窓枠によじのぼったときも、その表情は絶望ではなく、むしろ晴ればれしたものではなかったか。

いつ訪れるとも知れない死におそれおののくよりは、意識的に死と直面してそれに立ち向かえることに喜びさえ感じていたのではないか。そう考えれば召集された叔父の表情にも納得がいくし、自殺した方の叔父が最期の瞬間に存外、晴ればれした表情ではなかったかという想像にも妥当性がある。

僕は貨物列車に乗り込んだ後、地面にコンクリートを盛り上げた申しわけ程度のプラットフォームに立っている僕を見下ろす叔父を眺めていた。貨物車両の天井から床まで垂直に伸びた鉄棒を片手でつかみながら床に座り込んで、叔父は人差し指を眉山に当ててからピンと天に向かって弾くようなジェスチャーさえ見せた。これから死にに行く人間にしては気取りすぎのしぐさに僕がどう反応すればいいのか、考えあぐねているうちにも機関車は遠ざかり、砂煙の中に貨物列車のすべてがあいまいになっていった。

(この文章は筆者が見た夢を脚色したもので、当然のことながら単なるフィクションです)


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