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柿木サバイバル
( 20010814 )

Japanese/English

見わたすかぎりの田園風景にただ一本走る国道、そこにひとり取り残された。こう書くとやや誇張が過ぎるが、ふだん自動車に乗ることがない身にとっては、歩行者がひとりもない郊外の道路わきをひとり歩くのはとても心細い体験である。

なぜそんな状況におかれてしまたのかと言えば、東武伊勢崎線の松原団地駅東口からバスに乗ること10分、草加市の北東の端にある「老人福祉センター」という停留所で1時間に2本しかないバスを降りたためだ。

東西に走る道路の北は郵政省がつくったらしい広大な運動公園、南は停留所の名のとおりの福祉センターだが火曜日は閉館日で、暗く沈んだこぎれいな建物が真夏の日差しに照らされて気味が悪い。東を見わたすと雑草がのび放題の荒れ野に点々と一戸建てやマンションが見えるだけ。

府中本町行きの武蔵野線に乗って新松戸あたりから線路の南側の眺めに絶句した経験があるのは僕だけではあるまい。いかに東京といっても、都心から1時間も離れればちゃんと未開の土地が残されているのだ。

僕はそういった未開地と、かろうじて住宅地と呼べる土地との境界に放り出されてしまったわけだ。ここなら通りすがりのワゴン車が僕をさらって家族に身代金を要求したとしても、犯人より僕の死体が見つかる方が早いことは間違いない。だって目撃者が一人もいないのだから。

車道を走る自動車でさえ横断歩道のないところでまったく安全に道路を横切れるほどまばらだ。おそらく駅まで歩けば1時間以上かかる。この炎天下で熱射病にならずに生還できるだろうか。

いったいなぜ僕は好きこのんでこんな都市の中の未開地に足を踏み入れたのか。それは草加市民温水プールで泳ぎたいがためだった。ところが「老人福祉センター」の近くに温水プールらしき建物が見つからないのだ。

さきほど降りた循環バスはとうに走り去ってしまった。今度バスが来るまで何分あるのか。腕時計は正午まであと15分を指し、空腹をおぼえはじめた。コンビニどころかジュースの自動販売機もない、こんな場所に軽装で取り残されるような状況をわざわざ作り出した自分を恨みさえした。

それにしてもさきほどから気になる水田ごしに眺められるあの要塞のような建物。巨大な煙突があるところからするとおそらくゴミ焼却場だ。そのとき頭の中で切れていた環がつながった。ゴミを焼却した熱の再利用のために、よく温水プールが建設されるじゃないか。

そう思ってすすけた要塞のすぐわきにある養鶏場のような建物をよくよく見直してみると、プールを納めるのにちょうどいいぐあいの大きさである。僕はその建物に賭けてみることにした。

そのためにはあえて東に向かって歩かなければならない。ますます住宅地のある方角から離れ、土砂を満載にした大型トラックの似合いそうな風景のなかを唯一の歩行者として進む。

交差点を南へ降りると、やはり無人の歩道のかなたに白い看板があがっている。全身汗だくになりながら看板の文字が読める地点までたどり着いたとき、僕は焼却場と温水プールはあたかもパリの街とカフェのように切っても切れない永遠のカップルだと確信した。予想どおりその建物は目的地の温水プールだったのだ。

遠目には養鶏場にしか見えなかった建物も、近づいてみるとなかなか立派である。車寄せにコカコーラのトラックが停まっているところを見ると、中に自動販売機でもあるのだろう。たとえ草加市が未開地を残していようと、草加市の公営プールに港区の公営プールと同じサービスを期待できるのは、まったく日本の地方自治の悪平等のおかげである。

ひさしく運動をしておらず、今年の夏はこれが初泳ぎであることを考えれば、事前に十分な栄養をとっておくにこしたことはない。ちょうどよいことにプールの目の前にカレーハウスがある。しかし僕はまだその時点で僻地の真に僻地たるゆえんを体験していなかったことを後に知ることになる。

窓際にそってならべられた黄色いソファは、ところどころ破れて黒ずんだスポンジが中からのぞいたまま繕いもされていない。メニューの紙を保護する透明なプラスチックケースは端が割れて口を開いている。メニューの価格は改訂されているらしく、中の紙の印刷を訂正するのではなく、プラスチックケースの上から古い値段の上にビニールテープで新しい価格が書いてある。

注文をとりにきたおかみさんは、ひきつり気味の笑顔にこんなきたない店で申し訳ありませんがカレーはそこそこおいしいんですよという無言の訴えをあらわしている。僕の注文を復唱する声は、この埼玉県にあってなぜか関西弁である。そしてきわめつけとして、伝票をはさんで裏返したその赤いプラスチックの伝票ばさみの裏面には、見覚えのある毛筆のロゴで「居酒屋つぼ八」と白く印刷されているのだ。

小一時間ほど泳いでから、循環バスの時間に間に合うように冷房の効いたプールの待合室を後にした。周囲の荒涼とした風景がうそのように、プールの中は子供連れの家族と健康づくりのためのご老人たちでごったがえしていた。

しかしプールを出て、今度は焼却場のすぐわきの道をバス停の方へ歩いていくと、路肩にレッカー車につりさげられたままの自動車が、レッカー車ごと廃車いなっていたり、明らかに事故車とおぼしき自動車が数台並んで放置されていた。

道はほどなく農道となり、南側には工期が1年半におよぶ「八潮地区土地改良工事」の看板に囲まれた土地にブルドーザーとショベルカーが停まっており、自動的に「ムダな公共工事」の文字が頭に浮かぶ。

そしてそのまま先ほどの「老人福祉センター」の裏道となり、実は道をはさんで裏側にひっそりと特別養護老人ホームが建っていることを知る。正確に言えば「老人福祉センター」のすぐ裏には洗濯物からして老人ばかりが住んでいるらしい、長屋のような一層建ての錆びついた市営住宅が4棟ほどあり、それから僕の歩いていた道をはさんで特老があったということになる。

そのまま歩くと道の突き当たりには小川が流れて、彼此の世界を冷厳とへだてていた。

小川をわたるとすぐ目的のバス停だ。思っていたのと違う方向へバスが停まったので、あわてて道路をわたって飛び乗った。このバスを逃せば20分ばかり太陽に焼かれるところだった。街らしくなっていく車窓の風景を見やりながら、僕の胸中は少々複雑だった。


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