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日本版『セサミストリート』の偽善
( 20050501 )

Japanese/English

先日、漫然とテレビを見ていたら、テレビ東京で『セサミストリート』の舞台裏を紹介する番組が放送されていた。人形をあやつる人たちや、人形の手入れをしたり小道具を作ったりする日本の人形劇団、番組内容の企画から視聴者である子供たちの反響を、実際に幼稚園にテレビモニターを持ち込んでチェックするまでを担当する人物などが紹介されていた。

クッキーモンスターは実は左右の手を別の人があやつっているとか、人形の手入れをしている人形劇団は『ひょっこりひょうたん島』の人形を作っていた劇団で、クッキーモンスター用のクッキーは割れやすく、かつ、人形を汚さないように砂糖もバターも使われておらず、特別なレシピのため1枚400円もするとか、『トリビアの泉』的な情報はいくつかあって参考になったた。

だが、番組の中では米国版『セサミストリート』が30年余りにわたってNHKで放送されていた事実は完全に無視され、『セサミストリート』が日本で放送されたのは昨年からということになっていた。

以前「愛と苦悩の日記」にも書いたが、たしかに日本人が制作した『セサミストリート』は昨年からテレビ東京で放映が始まったのだし、各国の状況に合わせて現地の人々が制作することが、セサミワークショップの理念にかなっているということも知っている。

しかし、じゃあ今までなぜ30年にわたってセサミワークショップはNHKに米国版『セサミストリート』の放映とその周辺ビジネスを許可してきたのか、なぜ突然昨年になって日本版『セサミストリート』へ方針転換してNHKとの契約を打ち切ったのかは分からないままだ。

そもそも「日本人による日本人のための子供番組」というなら、『お母さんといっしょ』をはじめとして昔からNHKがたくさん作っている。民放も『ひらけポンキッキ』とその後番組である『ポンキッキーズ』など地道に制作を続けている。

まともな子供番組が一つもない国なら、セサミワークショップが「世界中の子供たちに教育の機会を!」という理念にしたがって進出する意味もあるだろうが、日本は曲がりなりにも教育専門チャンネルがあるくらいの先進国だ。そんな日本で米国の制作会社が「あんたの国にはまともな子供番組が存在しない」とでも言いたげに、「日本人による日本人のための子供番組」を制作する意味って、何なのだろうか。

やっぱり僕には米国人が「善意の押し売り」をしているようにしか見えない。いかにも米国人らしく、世界のことがよく見えていないまま、自分の理念の正しさだけを信じて、余計なおせっかいをしているようにしか見えないのだ。

セサミワークショップが本当に純粋に「世界中の子供たちに教育の機会を!」と考えているなら、単純にNHKとの契約打ち切りを最後に日本から撤退すればよかった。その方が、日本人による日本人のための子供番組をつくる機会は増えたに違いないからだ。

日本で子供番組を制作しようとする日本人にとって『セサミストリート』の存在は大きな脅威のはずだ。『セサミストリート』の存在そのものが、日本人が日本人のために新たな子供番組を作ることを妨げていることは間違いない。フジテレビ以外の民放が本格的な子供番組の制作に乗り出すことができないのも、『セサミストリート』『お母さんと一緒』『ポンキッキーズ』の寡占状態は突き崩せないと考えているからではないのか。セサミワークショップの理念とその行動は、明らかに矛盾している。

そうするとセサミワークショップが米国版を提供することに飽き足らず、日本版の制作を日本で開始した目的は、資本主義の論理しかないということになる。資本主義の理論にもとづいた行動であれば、日本で番組を作って日本の放送局と競争するのは当然だ。結果として日本の子供番組が淘汰されるのもやむをえない。

以上のことから、セサミワークショップが自らの理念に忠実であるのなら、子供番組がすでに豊富に存在する日本からは即刻撤退すべきだ。そうではなく、セサミワークショップが実際には資本主義の理論から日本の放送局と競争したい、周辺ビジネスも含めて日本で儲けたいというなら、組織の理念を修正すべきだ。たとえば「先進諸国で儲けたお金を、途上国での子供番組づくりに使います」などと。

現実としてこのどちらも実行していないセサミワークショップは、実に最近の米国らしい、米国的な偽善を見事に体現しているとしか言いようがない。


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