think or die :
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京大名誉教授の悪文
その道の「権威」としての責務
2002/10/06

ここ最近、日本経済新聞朝刊の「私の履歴書」を愛読している。「私の履歴書」とは各界の名士の自叙伝を十五回程度で連載する欄だ。ちなみに毎回筆者が男性ばかりなのは、女性差別的な日本では名士といえばほとんど男性であるというのと、日経新聞がそもそも女性差別的(という言葉が不穏当であれば「女性軽視」)であるということからくるのだろう。だから小雪をCMにつかっても女性読者数が伸びるとは思えないのだが。これは余計なことだった。

文士でもない人物が思わぬ名文をものすので、毎回新しい自伝が始まるたびに楽しみにしている。が、今回の自伝はこれほどの悪文をどうしたら書けるだろうかという見事な悪文だ。むしろこの悪文さ加減に筆者の強烈な個性が表現されている、と表現することでしか対処できないくらいの悪文なのである。今回のエッセーは意地悪くも、実際にその文章を引用しながらそれを検証しようという趣向だ。

「病弱にもかかわらず、私は自然が好きで、体調がよい時は山、田んぼ、川などに入り浸っていた。弟の迪雄は体格も立派ですなおな性質なので、双子の兄弟のようにどこへ行くのも一緒だった」

まず「山、田んぼ、川」といった自然の描写に「など」という事務的な列挙の表現は不適切だ。後でわかることだがこの筆者は「など」を安易に使いすぎる。この日の自伝は連載第四回だが、最初の文は自伝にふさわしく一人称で始まる。それはよい。しかし自分自身がいかに「自然児」(第四回の題名)であるかをまったく説明しないまま、次の文でいきなり弟の紹介をするのはどうか。しかも弟の話はこの文のほかにまったく登場しない。冒頭の2文だけで注意の散漫な文章であることがはっきりする。

さらに「弟の迪雄は体格も立派で」とあるが「も」は何かに付け加えて言うときの助詞だ。「弟の迪雄は〜が立派だったが、体格も立派で」というのならわかるが、いきなり「も」というのでは何が言いたいのかわからない。

「ので」は因果関係を示す接続助詞だが、「弟の迪雄は体格も立派ですなおな性質」だったことと、筆者と弟が「双子の兄弟のようにどこへ行くのも一緒だった」ことには一体どういう因果関係があるのだろうか。おそらく弟の性質がすなおで、兄である筆者の言うことをよく聞いてくれたということに違いない。以上のことから最初の2文を書き直してみる。

他には言葉の使い方の間違いも見つかる。「入り浸る」というのはふつう閉じられた空間に入ったきりである状態を示すのに使うので、「山、田んぼ、川」といった開放的な場所に足しげく通うことを意味するのに使うのは明らかな間違いである。以上のことから最初の2文を、文字数をあまり変えずに書き直してみる。

「私は病弱だったが自然を愛し、体調のよい時は一日中、山や田畑、川ですごした。私に似ず体格の立派な弟・迪雄は性質が素直で、いつもつれだって出かける私たちはまるで双子のようだった」

次に進もう。

「昆虫少年で、昆虫採集に夢中になった。小五の夏休みの宿題には大作を出してほめてもらい、学校保管ということになった。篠山川は最高の遊び場だった。魚獲りに呆けた。八幡渕周辺の川の状態は、小石の位置まで頭に入っていた。網と手掴みが得意だったが、とりわけ魚の手掴みには熱中した。魚との一対一の格闘の楽しさが、少年の心を虜にした。この秘術は、私の三人の子どもに伝えた。私が子どもに残したものは、これくらいかもしれない。」

いきなり「昆虫少年で、昆虫採集に夢中になった」と無意味に「昆虫」という単語がくり返されている。わざわざ「昆虫少年で」と付け加える意図が解せない。「小五の」とはもちろん「小学校五年生の」の略だが、これは話し言葉であって書き言葉ではない。また「大作」「ほめてもらい」「学校保管」はくどい。そんなに言わなくても立派な昆虫標本を作ったのだということはわかる。

「篠山川は最高の遊び場だった。魚獲りに呆けた」。この2文は分割されている意味がわからない。また、次に出てくる「八幡渕」という土地と「篠山川」の位置関係がまったく説明されていない。この筆者がひとりよがりで、読者に十分な情報を与えようという基本的な配慮に欠けていることは、これ以降にも何か所か指摘できる。ちなみにインターネットで調べたところ、「八幡渕」とは「篠山川」の一部分のことらしい。

「網と手掴みが得意だったが、とりわけ魚の手掴みには熱中した」とあるが、「とりわけ」というのは少なくとも3つ以上あるものの中でいちばん、ということを言うための言葉である。しかしここでは「網と手掴み」の2つしか挙げられていない。言葉の使い方を間違っている。

「この秘術は、私の三人の子どもに伝えた」。驚くべきことにここでいきなり時間が現代にもどっている。また「秘術」というもったいぶった言葉を使っているくせに「魚の手掴み」がどれほどの「秘術」であるかの説明がまったくない。読者にしてみれば「秘術」という言葉が筆者の自己満足でしかないように映る。

「私が子どもに残したものは」とあるが、筆者は死んでいるのだろうか。あるいは死んでいるのは子どもの方だろうか。両者ともまだ生きているに違いないのだから「残したもの」という表現は不適切だ。以上をふまえて、やはり文字数をあまり変えずに書き直してみる。

「小学生のころ、私は昆虫採集に夢中だった。五年生の夏休みに宿題として提出した標本は、学校で保管することになるほどの大作だった。篠山川は最高の遊び場で、魚獲りに呆けた。中でも八幡渕のあたりは小石の位置まで記憶していた。網と手掴みが得意だったが、魚と一対一で格闘する手掴みの方が強く私の心をとらえた。父親となってからこの「秘術」を三人の子どもに伝えた。私が子どもに残せるのはこれくらいかもしれない」

この調子でやっていると読者を飽きさせるので、最後の段落まで飛ばすことにしよう。

「『子どもは群れる』という言葉が、私は好きだ。昔は子どもが多かったから、子どもたちは自然発生的に集まり、遊びの渦ができた。地域の人も、悪ガキどもを寛容な心に包み、成長を見守ってくれた。動物と家族との交流を中心に、『少年動物誌』と『小さな博物誌』として出版した。篠山出身の東映の西垣吉春監督が、この本を原作にして「森の学校」という映画を制作した。昭和十年(一九三五年)ごろの子どもの情景を描いた映画だが、今年の春封切られ、笑いと涙の中で共感するものを呼び起こし、子どもの教育とは何かを考えさせるすばらしい作品だと好評である。子どもの健全な発達は、豊かな自然に包まれ、家族、学校、地域の緊密な連携が大切なことを教えてくれる」

最初に問題になるのは「子どもは群れる」という慣用句など存在しないということ。単に筆者が自著で愛用している言い回しであって、世間に流布した言葉ではない。そういう言葉を何の説明もなく、日本語として熟した表現であるかのように提示する点に、筆者のひとりよがりさ加減がよく現れている。

「遊びの渦ができた」というのも、普通には「遊びの輪ができた」だろう。ここでも「遊びの渦」という、一般的な日本語として熟していない表現が、直喩としてでもなくいきなり示されている。やはりひとりよがりさが顕著だ。

このパラグラフで最大の問題点は映画に関する話題である。「動物と家族との〜」という文からいきなり筆者の原作による映画の話題に移っているが、この直前の段落まで一貫してエッセーは筆者の少年時代を語っている。この段落でも「動物と家族との〜」で始まるこの文まではやはり昔の話である。

ところがこの文で何の前触れもなく、いきなり現代の話になるのだ。一度読むだけではこの映画がいつ制作されたのか判然とせず、読者は非常にとまどう。しかも「動物と家族との〜」には重要な情報がいくつも欠けている。本を書いたのは誰かという主語、そして何を書いたのかという目的語、本が書かれたのはいつかということ、これら2冊の本は同時に出版されたのか、時期をおいて出版されたのかということ、などである。

まぁ主語は筆者自身であろうということは容易に想像できるのでよい。しかし『少年動物誌』と『小さな博物誌』という本には一体何が書かれているのだろうか。少なくとも主題くらいは説明してしかるべきだろう。日経新聞の読者に対してきわめて不親切で、ひとりよがりな記述であり、僕は一読者としてそのひとりよがりさ加減に腹立ちさえ感じる。

また、自分が原作を書いた映画が「好評である」と言い切るのはどうか。あまりに謙虚さを欠いた傲慢な表現ではないだろうか。さらにこの映画は、家族、学校、地域の緊密な連携が大切なことを「教えてくれる」のだそうだ。原作を通じてそのことを教えているのは、他ならぬ筆者自身ではないのか。ここにも筆者のひとりよがりさが顕著であると考える。

最後の文は文法的にも破綻をきたしている。主語は「子どもの健全な発達」だが、最後には「家族、学校、地域の緊密な連携」が主語になってしまっている。

ではこの部分もひとりよがりでない文章に書き直してみたい。

「私は『子どもは群れる』という言葉を好きで、よく使う。昔は子どもが多かったから、自然に集まり、遊びの輪ができた。地域の人も、悪ガキどもを寛容な心に包み、成長を見守ってくれた。一九九〇年代になってから、動物と家族との交流を描いた自伝的小説『少年動物誌』『小さな博物誌』を書いた。同郷の西垣吉春監督が、この本を原作に『森の学校』という映画を制作した。昭和十年(一九三五年)ごろの子どもの情景を描いた映画で、今春封切られた。笑いと涙の中で共感するものを呼び起こし、子どもの教育とは何かを考えさせるすばらしい作品だと好評をいただいた。原作で私が伝えたかったのは、子どもの健全な発達には、豊かな自然と、家族、学校、地域の緊密な連携が大切だということだ」

最後に、僕のような一介のサラリーマンが、京大の名誉教授をつとめた人物の日本語についてとやかく言う権利がないことは分かっている。しかし正しい日本語、誤解をおそれずに言えば「美しい」日本語を子どもたちに伝えるためには、こういう人物こそ範を示す責任を負っていると僕は考える。かんたんな推敲でよりよくできる部分については、その努力を怠らないのが、この筆者のようなその道の「権威」の最低限の責務ではないだろうか。