養護教諭と小森まなみの共通点なんていうことを書いていたら、たまたま見たNHK教育テレビの『中学生日記』が「保健室」というタイトルだった。
この年でどうして『中学生日記』かと自分でも思う。親の立場で見るわけでもないし、自分が中学生そのままの自意識過剰なアイデンティティーの問題をかかえているわけでもない。
同じ日の教育テレビで『共に生きる明日』という番組も見てしまったが(僕は意外にテレビ好きだ)、インターネットメールで悩みを打ちあけあう男女や、不登校児のための学習塾が紹介されていた。タイトルは「心のいやしを求めて」だ。
ここまでやられると食傷ぎみの感もあるが、その不登校児のための学習塾のレポートにあらわれた塾講師が、『中学生日記』を見る僕の視点にいちばん近いんだろうと思った。
ちなみに『中学生日記』はNHK名古屋の制作だが、最近、名古屋のいいところはこういうところかなぁと思う。つまり、あまりに保守的すぎる(悪名高い管理教育もその一端)ので、社会の矛盾がはっきりと現れる点だ。
僕自身、東京ですごした大学時代、3つの学習塾でアルバイトをやっていた。なかでも印象深かったのが一橋ゼミナールという塾ですごした2年間だ。
塾講師として子供に勉強を教えるときの基本は、まず信頼関係。やる気のない子供でもきめられたカリキュラムを根気よく教え、けっしてアルバイトだからっていい加減にやらない。そうすれば子供はかならず信頼してくれる。
で、教え方で大事なのは、子供がすでに知っていることを手がかりにすること。ソクラテスの産婆術ではないが、中学生レベルの勉強なら、日常生活でだれもが経験することに理解のヒントがいくらでも隠れている。それを抽象化したものが勉強であるにすぎない。教えるのは経験から理論を抽象化する手続きだけで十分。
...ちょっと待った。このホームページは「塾講師になる方法」じゃなかった。
一橋ゼミナールの日野校(JR中央線の日野駅前にあった)で僕が受けもった生徒に、小学校6年生の男の子がいた。この子がぜんぜん勉強しない。
教科書を読ませようとしても、5分と集中力が続かない。きめられたカリキュラムはまったく進まない。でも、塾長は遊んであげる感覚で構わないという。なぜか。この子は勉強のためだけに塾に来ていたわけではなかった。
その子は両親が離婚したあと、母親に引き取られたひとりっ子だった。僕は兄貴がわりでもあり、部分的には父親の役割も果たしていたのだろうか。
授業中にすごろくなんか作ったときもあったし、教室をとびだして追いかけっこしたときもあった。僕が不思議だったのは、僕自身、自分のことを(なんせイヤミなくらいの学歴なので)とっつきにくい人間だと思っているのに、その勉強ぎらいであばれんぼうの男の子が妙になついてくれたことだ。
事情があってその塾をやめた後も、同僚の先生方(といってもみんなバイトの大学生だけれど)とは付き合いがあったが、ある先生の話によると、その男の子は僕が塾をやめたことを知って教室で泣きじゃくっていたらしい。
あの男の子にとって、なにかの精神的な支えになれていたのかもしれないと、その話をきいてはじめて思った。と、同時に、僕自身、あの男の子と接することで「いやされて」いたのだと。
くわしい事情は話せないが、大学2年生ごろの僕は最悪の精神状態で「不登校」になっていた時期もあった。それでもなんとかなったのは、塾で子供とふれることが僕自身の「いやし」になっていたからに違いない。
このページの鷺沢萠の書評にも書いたが、私立探偵になりたいという中学3年生の女の子の「進路指導」までやったこともあった。
電話帳で探偵事務所のページをさがして、「探偵は自分が探偵だってことを知られちゃいけないんだよ」とか、よくわからないことを授業が終ったあとも塾が閉まるまで話し合っていた。
その女の子をふくむ中学3年生の女子グループに、僕のテンポのいい授業は評判がよく、意外なほど意気投合できたものだ(彼女たちが今二十過ぎだと思うとゾッとするが)。
学習塾で教えるときに僕が自分できめていたルールは、自分が某国立大学の学生だということを明かさないことだ。子供との間では、その学歴はマイナスにしか働かない。
たしかに子供たちは学習塾に勉強しにきているのだが、リラックスするためでもある。矛盾しているけれど、いい学校に入るためという建前とは別に、塾は、学歴専制政治下の学校とはちがった文脈で勉強を再発見する場なのだ。その意味で、塾こそ(といっても補習塾にかぎられるだろうが)、第二の「保健室」になる場だろうと思う。
そこで大切なのは、講師と生徒のコミュニケーションであって、勉強はその口実にすぎなくてもいい。とにかく今のこどもには学校以外の「場」が必要だ。
健全なアイデンティティーは、いろんな文脈のなかに自分を置きかえてみることではじめて育つ。ある文脈で不利な立場でも、別の文脈では評価される場合がある。そこから自分の土台をかためていく。
もちろんこれは現在の僕のようなサラリーマンにも当てはまる。自分がだれかという問題について、職場という文脈に依存しすぎるのはきわめて危険である。
さまざまな文脈、さまざまな場所に、自分を相対化しながら生きていく。それが今のこどもにとっての息苦しくない生き方だし、今を生きる知恵でもあるだろう。
友だちのささいな一言に傷ついて、保健室登校をするようになってしまった女の子が、その友だちと和解することで立ち直るきっかけをつかむ。その和解の舞台が学校の保健室である。
『中学生日記』の「保健室」の物語は、教室という文脈が、保健室という別の文脈ではじめて相対化されることを示している。教室という文脈では、友情さえぎすぎすしたものになってしまう。友だちへの単純なあこがれが、嫉妬になり、憎しみにかわる。
しかし、一杯のココアでほっと一息つける保健室という文脈ではじめて、それが単なるあこがれであり、敬意でさえあることを素直にみとめることができる。
傷つけた友だちも傷つけられた女生徒も、はじめからそれを知っていたわけではなく、文脈の転換ではじめてそれを発見するのである。
ほんとうは教室こそ、そうした発見の場であるべきなのだろう。日常生活のなかでは当たり前のことと見過ごしていたものを、「そうだったのか!」というおどろきとともに見出す。絶えず変化し、自分自身との差異をつくりだしていく、ダイナミックな場であるべきなのだ。
ところが、今の教室はわざわざ保健室や学習塾というかたちで自分の余剰をつくりださなければ、自分自身を相対化することさえできない。
いや、むしろそれは歓迎すべきことで、教室だけにしばられない多様な文脈を、子供の世界に生み出すきっかけになっているのかもしれない。
うーん、僕が教えた生徒たち、いまごろどうしてるかなぁ。とくにあの男の子...。50過ぎたら会社やめて学習塾でも経営するかぁ。