think or die :
1970年代生まれの
人たちのための
エッセー集
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ぶっちゃけタウン
違いを笑いとばす街・大阪
1999/12/31

生地の大阪を離れて10年近くになるとたまに帰ってきても「異邦人」感覚のほうが勝ってしまう。そのせいか年を追うごとに東京との違いがますますはっきり感じられるようになる。新大阪で新幹線を降りて真っ先に感じるのは風のなまぬるさだ。東京がいくら湾を抱いているとはいえ、淡路島で太平洋と完全にへだてられている大阪の風は柔らかい。東京の風が肌を刺すというのは単なる比喩ではないのだろう。

大阪に住んでいたころ新大阪に出るのに地下鉄御堂筋線をつかっていたクセで、たまに帰省すると新大阪から難波まで出るのにわざわざ地下鉄に乗ってしまって後悔することがしばしばあった。今回は大阪区内の乗車券を使いきるべく新大阪で神戸方面行きに乗り換えておとなりの大阪駅で降り、さらに大阪環状線に乗る。

山手線の感覚で大阪環状線を待っていると本数の少なさに驚く。それに同じホームに行き先の違う電車が次々と入ってくる。東京で言えば埼京線や京浜東北線と山手線が同じホームになっている感じだ。路線案内図にも現実には一本の難波へ出るには本当は大阪駅から西半分を回ったほうが早いが、なかなか電車が来そうにないので東半分の京橋方面に乗ることにした。

西半分とか東半分とかいうまどろっこしい書き方をしているのは、実はいまだに「内回り」「外回り」を覚えられないからだ。大阪環状線は時計回り・反時計回りのそれぞれが「内回り」「外回り」と別の名前で呼ばれている。どうしてこんなに覚えにくいネーミングにしたのだろう。単純に「時計回り」「反時計回り」でもいいし、「東下り」「西下り」なんかでもいいような気がするが。

それでも京橋方面行きホームに最初に着いた電車は行き先が「天王寺」となっていて環状線を半周しか走らない。仕方なくやり過ごすと次にようやく「大阪環状線」が入ってくる。電光掲示板にも行き先として「環状線」と書いてある。終着駅がないのだからそうとしか表示しようがない。

東半分を回って南に向かうと僕が生まれた鶴橋あたりを通過する。すでにこのページのエッセーでも書いたように鶴橋近辺は日本有数のコリアン・タウンで、鶴橋駅で電車のドアが開くと焼肉の香ばしいかおりが車内にあふれる。これはデフォルメではない。じっさい高架下や環状線沿線に本格的な焼肉店が軒を連ねているのだ。

ところで僕は出歩くときMDやCDを聞くよりもFMを聴くことを好む。自分で聴きたいと思う音楽よりも自分の意思と無関係に選曲される音楽の方が作為がなくて楽しめる。そういうわけで環状線の中でもFMラジオを聴いていたが、チューニングしているうちにヘッドホンからパキスタンのポップスが聞こえてきた。4小節ごとにきれいに区切られている欧米のポップスとは違って7小節ごとに男女の掛け合いが繰り返される。

平成6年に開設された「FM CO・CO・LO」の多国語放送である。パキスタンの他にも中国、韓国、スリランカ、フィリピン、インドネシア、インドなどの言葉で関西に住む外国人のためのプログラムが組まれている。FM放送で使われる英語といえばもっぱら英語が分からない日本人が分かったような顔をして聴くことで英語コンプレックスを慰謝するためのものだが、FM CO・CO・LOの外国語放送は本当に関西で生活している外国人のためのものだ。

ウルドゥー語のポップスを聴きながらふと中吊り広告を見上げた僕はわが目を疑った。液晶画面がカラーになったJ-PHONEの広告で、その画面にはめ込まれている写真がフェイ・ウォンに酷似している。思わず立ち上がって細かい文字を読んでみるが、それが彼女であるともないとも書かれていない。

J-PHONE '99 AUTUMN-II後で実家の近くにある携帯電話店に入ってJ−フォン関西のカタログを手にとった。表紙を飾っている精悍な表情はまごうことなくフェイ・ウォンである。つい最近J-PHONEからH”に買い換えたばかりなのだが、もしJ-PHONE東京が藤原紀香なんていかにも東京の「お上りさん」向きのキャラクターではなく、アジアの広大な大地を感じさせるフェイを登用していたら解約者を少なくとも一人は食い止められたのに。

J-PHONE '99 AUTUMN-IIそう、東京では北京生まれのフェイを携帯電話のイメージ・キャラクターにすることなど考えられない。このこととFM CO・CO・LOのような多国語放送が関西に存在し得ることとは無関係ではないだろう。東南アジア的な率直さ、開き直り、寛容さは東京には決して存在しない精神性だ。

実は今仕事の関係で、東京本社の企業と大阪本社の企業とではプレゼンテーションの受容に明らかに違いがあるということが話題になっている。東京人のカッコ良すぎるプレゼンに大阪人は生理的な嫌悪感を抱くのだ。東京に本社をおくコンピュータ・メーカーが、大阪でも東京流のカッコ良いプレゼンを押し通す法はない。大阪人に向かっては「ぶっちゃけトーク」のプレゼンをすべきだろう。

藤原紀香が闊歩するJ-PHONE東京のテレビCMは東京人には功を奏して関東地区のシェアを伸ばしているという。J-PHONE関西のフェイ・ウォンは成功しているのか失敗しているのか知らないが、関西人が「すました東京人」を受け入れないことだけは確かだ。

グローバル化と口うるさく言いながら国内の地方色を軽視するのは東京の欠点かもしれない。あまりに「地方」すぎて東京中心主義に従順な地方であれば問題は顕在化しないが、大阪のように確固としたプライドを持っている「地方」に対しても東京はあまりに鈍感すぎやしないだろうか。首都移転問題で石原都知事が反対の気炎を上げているのに対して候補地住民が意外に冷淡なのも、東京の自意識過剰ぶりがよく表現されている逆説だ。

地方色に鈍感であるということはつまり国と国との違いにも鈍感だということになる。FM CO・CO・LOの例だけをとって関西の外国人受容が成功しているとは決して言えないが、東京に集まる地方出身者は地域差を隠蔽するのに必死になっているだけに、東京人はみんな東京人であるという「同一性」に閉じこもりがちであることは否めない。東京人という同一性には実は何の根拠もないので、気まぐれで米国、フランス、イタリア、インドなどといった外国文化がそのときどきの同一性確認の手段として選ばれる。

たぶんそのむなしい同一性こそが東京の魅力になっているのだろう。大阪人が「濃い」と言われるのは初めから大阪でないものとの差異に意識的であるからで、逆に東京人が「冷たい」と言われるのは差異にあまりに無頓着だからだろう。広告媒体のキャラクターにフェイ・ウォンを選べない東京が少しだけ悲しくなった。


フェイ出演のテレビCMはJ−フォン関西株式会社のサイトから「CMプレビュー」の「スカイウォーカーマシンガン」篇、「ファミリーパック雑踏」篇をクリックすると観ることができます。