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![]() リンゴとオレンジ ( 19980320 ) 無性に果物を食べたくなるときがある。 個人的にはリンゴが大好物なので、今も近くのコンビニに走ってリンゴの2個パックを買ってきたところだ。ただ、一人で2個パックを食べるのはつらいものがある。コンビニなら1個パックで売って欲しいものだが。 リンゴは、なしほどじゃりじゃり粒だってしないし、バナナのようにパサパサでもない。果肉をかみしめるときの歯ごたえと、たっぷりとした濃厚な果汁がいかにも食べたという満足を与えてくれる。 ふつうリンゴというと、「ふじ」のように大玉のものを思い浮かべるだろうけれど、僕が一番好きなリンゴは、紅玉である。残念なことに紅玉を売っているコンビニはまずない。スーパーに行っても、5個パックくらいでしか売っていないので、めったに紅玉を食べることはできない。 紅玉は小さく身がしまっていて、そのまま食するには酸味が強すぎるので、ふつうはジャムやパイなどの調理用として使われるらしい。しかし、そんな紅玉をそのまま味わうところに、リンゴ通のリンゴ通たるゆえんがある。 リンゴのうんちくを傾けている場合ではない。リンゴは別にして、もうひとつ僕の大好きな果物がある。それは、オレンジだ。みかんではなくて、オレンジである。温州みかんのような横に平たい楕円形の断面ではなく、縦長のアメリカンフットボール型をした、あのオレンジだ。 手でむいて食べるには皮が厚すぎるので、夏みかんを食べるときのようにナイフで皮に切れ目を入れるか、いっそのことまっぷたつに割いてしまう。温州みかんのように唇でかんたんにつぶれてしまわないところに、出自に関するオレンジの自己主張があって愛らしい。 オレンジという言葉が僕にとって特別の魅力で響くのには、もちろん理由がある。子供の頃、僕は遠足に行くのに、自分で食べもしないオレンジのキャンディーを、自分のおやつ代から買っていた。 バスの中で、友だちにたのんでいつも隣の席に座らせてもらう。同じクラスの中で、それは暗黙の了解だった。「食べる?」とそのキャンディーを差し出す。「ありがとう」と彼女。大阪人はだれもが「おおきに」と言うなんて思ってもらっては困る。もっとも彼女は父親の転勤で、しばらく東京に住んでいたのだが。 こんなところに僕の東京への執着があると思うと、人間の人生はそれほどまでに幼時のささいな想い出に規定されてしまうのかと、そら恐ろしくなる。 彼女が流感で学校を休んだある日、僕は放課後スーパーマーケットに行って、オレンジを1個買った。彼女が好きなのは、飽くまで「みかん」ではなく「オレンジ」なのであり、勘違いして「みかん」を買って行くほど、小学生の僕は野暮ではなかった。 オレンジ1個だけじゃ、自分のお見舞いの気持ちの表現としてははなはだ不十分だと感じた僕は、あわせてお手製の「新聞」も持っていった。記事の大半は記憶の彼方だが、ひとつだけ覚えているのは、「ジャイアント馬場の足・16文の大きさ!」という特ダネだ。 えっ?ジャイアント馬場の足が16文だなんて、誰でも知ってるって?当時大のプロレス・ファンだった僕がこだわったのは、誰もがその事実を知っているということではなく、流感で一日家の中に閉じこもりきりで、退屈している彼女を楽しませることだけだった。その証拠に、その「新聞」には、実物大のジャイアント馬場の足が描かれていたのだ。 ただ、お手製の「新聞」を持って彼女の家の玄関にたどりついたころには、たぶん僕の体温でオレンジはすっかり温まっていたのではないかと思う。 あれから17回の冬が過ぎて、喫茶店の紅茶についてくる輪切りレモンを皮ごと「ぱくり」と食べる彼女の磁場にまだ囚われているのか(?)、風邪を引いたらビタミンCがいちばんだよと、事あるごとにふれまわっている自分が、いる。 無断転載禁止
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