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『御直披』

板谷利加子『御直披』(角川書店)

1998/02/07

『御直披』という本を読んだ(角川書店)。神奈川県警警察本部性犯罪捜査係長である板谷利加子という人の書いた本だ。「御直披」とは「親展」と同義で、「あなただけに読んでいただきたい」という意味で封筒に記される言葉。

別のページでも少しふれたけれど、学生時代の僕は「フェミニズム」問題にかかわっていた。小学生のころから自分が男性であることについて抱きつづけていた違和感が動機にだった。

しかし、しばらくしてそういう活動から立ち去った。自分の行動に大きな欺瞞を感じた最大の理由は、「性」の問題である。

そのころの僕が観た映画に、『声なき叫び』というカナダだったかの女流監督の作品がある。レイプの被害者である一女性の、事件後の生活を追ったドキュメンタリー映画だ。生きる希望を取りもどしてほしいという願いから、監督はカメラを回しつづけていたが、その願いも虚しく彼女が睡眠薬で自殺したという知らせをうける。

この映画は、ベッドの上で永遠の眠りに入った彼女に、天上からまっ白な光が差してくるという美しいイメージで終っている。事件の後も恐怖に襲われ、そこから逃れることができなかった彼女に、せめて希望に満ちた彼岸があってほしいという監督の祈りがそうさせたシーンである。

しかし、僕がひとりの男性として、たとえばアダルトビデオのレイプシーンなどに性的な興奮を覚えるのもれっきとした事実である。自分が男性であることに違和感を感じてきたと言いつつ、実際にはしっかり「男性的」に育てられている人間が、フェミニズムにかかわることなどできるだろうか?

いまだに僕は、自分が男性であることにぬぐい去れない罪の意識をかかえている。もちろん、こんな罪の意識そのものがとんでもない欺瞞であり、こんなことをホームページのような半ば公の場に書き記すことも欺瞞である。

『御直披』という本は、レイプ事件の被害者が、婦人警官である著者とやりとりした書簡集である。この本は、著者との心の交流のなかで、彼女が生きる希望を見出していく「魂の救済」(この本の帯から引用)の物語として編集されている。

たしかにこの本には、あの『声なき叫び』という映画が全編ににじみ出させていたような救いようのない絶望感は薄いように読める。

しかし「回復」と題されている最終章でさえ、彼女はこう書いている。
平凡な結婚をして、子供を産むことが夢でした。夕方のにわか雨にあわてて洗濯物を取り込んだり、部屋中に散らかった子供のおもちゃをため息をつきながら片付けていく、平凡な毎日にほんの少し物足りなさを感じながらも、溢れだした洋服の収納に頭を悩ませる、そんなささやかな夢が、一番の望みでした。そんな小さな夢さえ木端微塵に壊されてしまいました。

彼女がこう書かざるをえない現実に、「魂の救済」とはどういう意味か?と問わずにはいられない。

レイプの被害にあった女性は、その後も社会的な偏見という第二のレイプに襲われるという。その社会的な偏見に、僕は遠くから加担していながら何もすることができない、というより下手な行動を起こしてはいけない。

同じく最終章で、被害者は帰郷した実家の洗面所で、偶然実の父親の裸体を目にしてしまう。その裸体に、父もまた男なのだ、とショックを受け、一晩中輾転反側し、彼女は明け方に家を飛び出してしまう。

僕はあの『声なき叫び』という映画を観て以来、そしてフェミニズムの場から立ち去らざるを得なくなったとき以来、いまだに、自分が男性として存在することに嫌悪感を抱いている。そして、自分の周囲に存在する男らしい男にも、理由のない嫌悪感を抱いてしまう。

男性として自己肯定することは、人が思うほどかんたんではない。自分が男として男らしく成熟することに、何の疑問も差しはさまずにいられるはずがない。少なくとも僕個人はそう思っている。

この被害者の女性は、自分と同じ性犯罪の被害者に対して、自分はなにかしてあげられないだろうかと考え、同じ境遇にある女性たちへあてた手紙を著者にたくしている。

そして、僕が学生のころ読んだ『レイプ・男たちの告白』という、レイプをめぐる男たちへのインタビュー集のあとがきには、男たちがこの問題に関してできることは、「何もしないことだ」と書かれてあったように記憶している。

「何もしない」というのはとても難しいことだ。僕ら男性は、黙って普通に生きているだけで、あるシステムに加担していることになる。そのシステムは、レイプの被害者を消え去らない恐怖や、場合によって自殺に追い込んでいる。

アダルトビデオを1本借りるごとに、「この金は結局、レイプの被害者に冷たい今の社会を固定するための資金に還流するんだなぁ」と思いながら、ビデオを借りつづける自分がいる。

僕は今日『御直披』という本を読んだ。

で、「何もしない」とはどういうことだろうか?

まず、彼女たちの「声なき叫び」と彼女たちの置かれている現実を知ること。彼女たちの活動を邪魔しないこと(こちらは善意のつもりでも、間違った意味での「フェミニスト」的言動になっている場合が多い)。

そして、考えること。

けっして、安直に行動することではない。行動ではなく、考えることだろう。自分が当たり前に男として生きていることが、ある女性たちにとってどれほどの恐怖になっているかを。男としての自己肯定が、実はいかに難しいことであるかを。

それでもなお僕は、自分が男であるという現実から逃れることはできないのだが。



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