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エッセー集

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ミーちゃんハーちゃん

TVタレントとヒューマニズム

1998/03/26

たまには完全に中身のないページもあっていいかなぁ、と思って書いてみることにする。議論の焦点は、このページの筆者はいったいどの芸能人のファンか?ということだ。

このページの筆者は、小学生の頃「鍵っ子」だったせいで、かなりTVを見ている時間が長い。たまに会社の人間と酒の席で雑談したりすると、彼らがあまりに今の芸能界に疎いかを知って愕然とすることがある。

このページの筆者は、TVドラマやワイドショーの熱心なフォロワーをやるひまがあったら、本や映画でも鑑賞しているから、マスメディアに接している時間は、彼らよりも絶対的に少ないはずなのだ。

ところが、カラオケなんかで最新のヒット曲を歌ったりすると、「だれ?それ」と言われたりする。それはエレカシの曲だったのだが、エレカシも知らない、かといってこのページの筆者以上にまじめな本を読んでいる風でもないその人は、いったい普段なにをしてムダな時間をつぶしているのだろう?と思った。

ひとつには、たぶんこのページの筆者はひとりでほとんどの時間をひとりで過ごすため、自家用車でドライブに行ったり、恋人に重なって腰をふっている時間を、それだけマスメディアのために割くことができるという理由があるだろう。

ちなみに、今、「恋人に重なって腰をふっている時間」という露骨な書き方をしたのは、Coccoの「強く儚い者たち」という曲からの引用である。おそらくエレカシを知らなかった彼は、Coccoも知らないだろう。この曲の該当の部分の歌詞を引用してみる。


固い誓いを交わしたのね そんなの知ってるわ
”あんなに愛し合った”と 何度も確かめ合い
信じて島を出たのね
だけど飛魚のアーチをくぐって
宝島に着いた頃 あなたのお姫様は
誰かと腰を振ってるわ
人は強いものよ とても強いものよ

(C)1997 by ステイゴールド

話しをもとにもどして、このページの筆者がどの芸能人のファンか?というミーハーなテーマについての真剣な議論の続きをやるが、20代も後半になって思うことは、当然のことかもしれないけれど、中高生の頃みたいに特定の芸能人に夢中になることがなくなったなぁということだ。

中学時代のこのページの筆者は、おニャン子クラブのコンサートに2回行き、森高千里が『非実力派宣言』でブレークする前のデビューイベント(いわゆる握手会)にも参加した、結構なミーハーだった。その頃はおニャン子クラブの「なかじ」に夢中で、「夕焼けニャンニャン」の最終回を特別な感慨をもって見ていたりもした。

そんな昔語りはこのあたりで止めておくことにして、現在のこのページの筆者はどの芸能人のファンか?という議論にもどろう。このページの筆者は男性の異性愛者だから、女性タレントでは誰のファンかということから議論は始まるわけだが、いちばん分からないのは鈴木紗里奈のファンだという男の存在だ。

彼女自身は決してそうではないが、世の中には「バカっぽい女が好きだ」という男性がいるようで、彼女のファンだという男性も彼女が現実にはどうであるかにかかわらず、外見からバカっぽいと考えて魅力を感じているらしいのだ。

このページの筆者は、バカっぽい女性が好きだという男性の心理を理解することができない。このページの筆者は、相手が男性であると女性であるとにかかわらず、自分より頭のいい人間の方が好きだ。

同じように分からないのは、このページの筆者が男性の異性愛者だから当然といえば当然だが、反町隆史がどうしてあんなに人気があるのか、ということだ。反町隆史も、彼が現実にはどうであるかにかかわらず、バカっぽい。もっといい表現を使えば、野生的である。

しかし、かつて角川映画の肉体派アクションスターでいかにもバカっぽかった真田広之を、このページの筆者が「こんなに魅力的な俳優だったのか」と再発見したのは、TVドラマの『高校教師』だった。同じように、織田裕二もバカっぽくていやだったが、『踊る大捜査線』なんかを見ているとなかなかいい味を出している。

このページの筆者が好きな男性の俳優は、『ラスト・エンペラー』で主演したジョン・ローン、『恋する惑星』に出演し、ポカリスエットのCFにも出ていた金城武、ちょっと渋いところでは、本物の教養人である石坂浩二。彼は映画『細雪』のラストシーンではらはらと涙を流すシーンがよかった。役所公司は言わずもがなだ。

また議論が前後しているようなので、女性タレントでは誰のファンか?という話しにもどそう。雛形あき子のファンだというのもよく分からない。彼女の『めちゃイケ』におけるコメディアンとしての活躍には目をみはるものがあるが、彼女のファンはおそらく体にひかれているのだろう。

しかしこのページの筆者にとって、スタイルがいいということは二次的な問題である。人間は個性的でなければならないが、その個性は精神的なものである。無難な性格なんていうのは唾棄すべきものだ。人は普通であることを憎むべきだ。

いかに他人と違っているか、そこに自分が自分である意味がないとすれば、いったい人はなぜ今・ここに生きているのか?他人と同調するためなら、あなたはあなたである必要はまったくないのではないか?

したがってこのページの筆者にとっても、タレントは個性的かつ理知的な教養人でなければならない。重要なのは体ではない(タレントであるからには外見は必須条件だが)。

このページの筆者は、いかなる意味でも他者に安らぎを求めようとはしていない。自分を高めるための理想を見ようとしている。タレントは文字通り優れた才能の具現化であり、人に生きようという力を与える存在であるべきで、決して気休めのために存在するのではない。

以上のような理由で、このページの筆者は最近、遠藤久美子のファンである。

(そんなオチかい)



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