土曜の朝早く、歯医者の待ち時間に文庫本を持っていくのを忘れた。その時間つぶしに、待合室にあった週刊のマンガ雑誌を3種類『マガジン』『ジャンプ』『りぼん』読んでみた。まともに読むのは、小学生のころ書道教室の待合室以来だ。
このページでも少年マンガの悪口は散々書いているが、もし『華氏451度』のような世界が日本にやって来たら、『少年マガジン』は真っ先に焚書にしたいと思う。よくもあれだけ絵のヘタクソな漫画家ばかりそろいもそろえて、おまけにどこかで読んだようなストーリーやシチュエーションのマンガを書かせたもんだと、開いた口がふさがらなかった。僕と同年代の人間が仮に『少年マガジン』なんてものを読んでいたとしたら、そいつの人間性を疑ってかかりたくなるくらい完全な真空、からっぽのスカスカで再生紙90%使用とは言え、残りの10%の森林資源も惜しくなるほどの代物だ。
それに比べて『少年ジャンプ』のクオリティーの高さは天と地ほどの差がある。『マガジン』『ジャンプ』と並び称するのは明らかに何かの間違いか、単なる語呂合わせだろう。『ジャンプ』は作画力も確かな作家が多く、確かに『ドラゴンボール』や『キャプテン翼』の二番煎じのような作品もあるけれども、タイトルは残念ながら忘れたが、小学生は理解できないだろうと思われるほど非常に独創的なSFの世界を描いている作品が巻末近くにあった。
『マガジン』の最後のページを見ると、原稿の持ち込み歓迎という小さな記事があり、連載中のある作品も持ち込み原稿が採用されたものだという。その連載とは、カツオという名前の主人公が登場し、とにかくケンカするだけ、その描写もただグロいだけで何の独創性もない下卑た作品なのだが、こんな原稿を採用するようでは、『マガジン』の質が四流になってもおかしくはない。講談社の『マガジン』編集部員は良いものを正しく選択する能力を欠いているらしい。
一貫して少女漫画には肯定的な僕が、『りぼん』をほめるのは当然と言えば当然なのだが、やはり中には白馬に乗った王子様の到来を待ち続ける女の子というステレオタイプを反復しているだけの連載もあったようだ。
『ジャンプ』の連載の多くが、勝ち負けをテーマにしているのに対して、少女漫画は予想どおり、恋愛を中心にした対人関係を軸にした作品がほとんどである。とにかく勝てばよいという単純な発想の少年漫画から、いったい他人の心をおもんばかる想像力や、自分の心の動きに言葉を与えることを学べるだろうか?
ただ、繊細な絵の連載群はパラパラめくるだけでも食傷気味になるのも事実で、そのために『りぼん』には小休止的なギャグ漫画がほぼ等間隔で挿入されている。これが結構笑える。下らなすぎて笑える。
やはり少女漫画の笑いの神髄は、吹き出しの外にある脇台詞やオノマトペであることは、70年代も今も変わらないようだ。物語の本筋として描かれる、いわば正式の吹き出しに対して、少女漫画では作者自身のひとりごと(?)や脇台詞、オノマトペのたぐいが多用される傾向がある。これはいわばフィクションとしての作品に対する、メタフィクションの次元をわざと開く技法であり、ここでも少女漫画が、シンプルでおバカな少年漫画と一線を画している。
それより何より『りぼん』で驚いたのは、巻末の読者投稿作品に対する編集部のコメントのていねいさだ。『マガジン』の持ち込み原稿募集が小さな告知で、どんな作品が持ち込まれたかについて一切の言及がないのに対し、『りぼん』の読者投稿作品に対するコメントは、物語の組み立てから、登場人物の首の太さにいたるまで、微に入り細に入り記述してある。
そして、『マガジン』があくまで「持ち込み」を要求しているのに対して、『りぼん』の読者投稿は毎週大々的に郵便での募集が告知されている。投稿作品の作者の年齢を見ると、10代後半から20代後半まで、意外に幅広い年齢の女性が投稿しているようだ。
何ページにもわたる投稿作品評を読んでいて、僕は少年漫画と少女漫画の受容に決定的な違いがあるのに気づいた。少女漫画の読者は、すべて潜在的な作者でもあるのだ!少年漫画の読者は、ほとんどの場合永遠に読者でしかないが、少女漫画の読者は、熱狂的なファンであればあるほど、自分も作者になろうという気持ちが強いのではないか。
10代や20代の人間が、漫画に限らず何かの物語を創作しようとすれば、どうしても自分の私生活から題材を取らなければ、物語にリアリティーを持たせることができない(歴史物を描く余裕ができるのはプロになってからだろう)。創作のために、自分の日常の心の動きを、言語や絵にして再現する必要がある。
少女漫画を読むという行為は、少女漫画を描く行為と連続していて、自分の内面を分節するように強いられる体験でもあるのだ。だから少女漫画は常にそれぞれの登場人物の内的体験に焦点をあてる。
それに対して、少年漫画を読むという行為は、読む以上のことを意味せず、読者にとって漫画は自分の内面とは関係なく、目前で展開される見世物にすぎない。少年漫画にグロテスクな描写や暴力シーンが豊富なのは、そのようにして視覚上の刺激を追求しなければ、見世物として読者の目を引きつけ続けることができないからだ。
少年漫画と少女漫画の対照的な性格は、漫画を描くことそのものが女性の文化と見なされている限りは変わらないだろう。だから、出版社にはぜひ、装丁が露骨に女の子っぽくない少女漫画雑誌を創刊してもらいたい。そうして少年も堂々と少女漫画が読めるようになれば、少なくとも少年漫画的な発想を相対化する視点をもつことができるだろう。
少女漫画を読まず、少年漫画だけを読んで育った男性が、ウーマンヘイティングを助長する愚かな男にしかならないのは当然だ。少女漫画だけを読んで育った女性は、少なくとも一部の少女漫画のステレオタイプを、大人になって懐かしく思い出すだけの精神的な成熟を得るだろう。
うぎゃーっ!もぉぉー!ほんと『マガジン』ってあんなにひどいもんだとは思わなかった。