think or die :
1970年代生まれの
人たちのための
エッセー集
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諫早に置き忘れたもの
早朝の諫早市を歩く
1999/12/05

二十世紀も終わろうという時代に地縁で生きている人間がいるはずはないし、「ふるさとの喪失」などと口幅ったいことを言うにおよばず東京で暮らす人はみな帰るべき場所を持たない。だから場所の代わりに「誰か」を帰るべきところのように思いなして遊牧民としての孤独をまぎらす。僕がたとえ生地の大阪へ戻ろうとも自分がよそ者のような感覚を抱かざるを得ないのもそのせいだ。だがそれは同時にどんな土地でも帰るべき場所になりうるということでもある。初めて立ち寄る町のたとえ一泊の宿をとるだけでもその場所を探して歩くに値するわけだ。ビジネスホテルで朝食を済ませてから仕事が始まるまでのわずかの間、これは仕事ではないという言い訳にスーツではなく防寒に持参したポリエステルのパーカーを着こんで、吐く息も白く諫早の朝の町を歩き出す。ホテルの目の前には有明湾へ注ぐ本明川が流れ、諫早橋がかかっている。この橋の両岸はそれぞれ新天街と本町・栄町というアーケードの商店街になっているが、まだ8時前でどの店もシャッターを閉めたままだ。制服を着た中学生が道のこちら側に一人、向こう側に一人、背中を丸めて急ぎ足に歩いている。体を温めるために自動販売機でコーヒーを買い、飲みながら人気ない商店街を抜けると一転して自動車がにぎやかに往来する道路に出た。目当ては有明湾そのものだったがどちらが海の方角かまったく分からない。海の気配すらない。仕方なく道路沿いに歩き始めるが仕事の時間を考えるとそう遠出するわけにも行かない。どうせなら写真でも撮って帰るかと思ってコンビニを探すけれど、東京ではないのだからそう簡単に見つからない。時計を気にしつつアーケードのとなりの筋を本明川の方へ引き返そうと角を折れたところへ、ようやくローソンが見つかったので「撮りっきりコニカ」を買った。店を出てからそのローソン諫早八坂町店(長崎県諫早市八坂町167−1)を振り返って最初の一枚。このエッセーを読むかぎりこれが三枚目の写真であるかのように見えるが、実際にはこれが一枚目。さすがにゆったりと道幅のあるアーケード付き商店街は地方都市らしさを隠しおおせないが、このローソンの看板の入った写真だけ見れば旧甲州街道の多磨霊園あたりですと言ってもだれも気付かないかもしれない。ただ往来する自動車の中でひとり異彩を放つのが長崎県営バスだ。写真ではわかりにくいが車体が真っ赤だ。バス停に止まるたびに通勤・通学らしき客を数人乗せて走り去っていく。地元の人にまぎれてそのままバスに乗ってみてはどうだろうか。心あてに降りたはいいが帰りのバスがいつまでも来ないまま、ひとり見知らぬ町に取り残されて、ホテルではいったいあいつはどこへいったのかと小さな騒ぎになる。日が中天にさしかかっても有明湾の見えるどこかしらに座って、悪名高い干拓事業ですっかりひび割れた干潟をぼんやりと眺めている。ただ耳には風の音しか入らず、そうして少しずつどこの人でもない人になっていくのだ。僕がさっきまで住んでいた時間は僕をおいて勝手に流れ続けて、僕だけは眼前に広がる干潟よろしく死んだように止まったまま...。そんなことを空想しているといつの間にか本明川にもどっており、まだ時間に余裕があったので今度は向こう岸へわたってそのまま歩き続ける。ほどなくして西へ向かってゆるやかな坂になっている道路に突き当たる。やはり自動車の往来がにぎやかな通りで真っ赤な県営バスが走り去る。東へ向かって走るバスの先にひときわ空がぽっかりと開けているのを不審に思っていたのだが、帰って調べてみるとやはりそちらが有明湾の方角らしかった。いったいこのバスはどこへ連れていってくれるだろうかと、まだ夢想の完全に解けない僕は路線図を見るけれど、土地勘もないのでは何も分かるはずはない。ただ聞いたこともないような地名だけがならぶこの路線図は、もしかするとそうあるべきだった僕にとっての故郷のようなものかもしれなかった。今まで記憶喪失だった人が一つひとつ記憶の糸をたどるように、この路線図の一つひとつの駅にあるはずの思い出を思い出していく。しかしそうして全ての思い出を思い出したときには、この路線図も僕にとってすっかりどうでもいいものになり下がってしまうのだが...。いよいよ時間がなくなってきたのでふたたび本明川に方向を変えた。川岸に行き着くとさきほどまで青かった朝日に黄色味が差しはじめている。西の方角には小高い丘が遠くに見渡せる。川岸にはいかにも観光地らしく中途半端に古風なたたずまいの旅館が数件ならんでいる。そして観光客用にやはりつくりものの長崎情緒をかもし出す欄干をした橋が架かっている。しかし川岸に出された「もやすごみ」(東京のように「もえるごみ」ではない)の袋の山に向かって電線に休んでいた黒いカラスの群が降り立ち、するどいくちばしで袋を破って中身を食い散らしてはまた飛び発つ。そうして少しずつ生ゴミが醜く崩れていくのは早朝の歌舞伎町とそう変わりはない。不思議なほど人気のない川岸でも、いとなまれている人間の生活は穏やかで、同時に醜い。ホテルに向かって歩き出す空はいっそう明るさを増して、否応なしに間もなく始まる仕事のことを思い出させる。仕事が終わって長崎を発つとき、空港でホテルに何か大事なものを忘れてきたような気分が拭っても拭ってもとれなかった。長崎に限ったことではない。つい2か月前まで住んでいた名古屋にも、6年前に住んでいた東京にも、20年前に住んでいた大阪にも、今からでも探しにいけば置き忘れてきた何かが見つかるかもしれない。その見つかった何かで今まで失われていたすべて、とはいかなくても幾分かは埋め合わせがつくかもしれない。そう思ってじっさいに探しに出かけることもあるのだが、今まで見つかったためしがないのだ。いったいどこに置いてきてしまったのだろうか。