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些細だけれど重要なこと
( 19990918 )

Japanese/English

5年半住んだ名古屋を離れるということで送別会があった。一つは初級シスアドの家庭教師の「生徒」で今は情報2種を目指している人。もう一つは会社の同期。

家庭教師の「生徒」は、もういつ会えるか分からないのだから、昔をふり返ったりして、もうちょっとしんみりして欲しかったのかもしれないけれど、基本的に僕は照れ屋で、思っていることを正直に表現しないのでそんなことはできるわけがない。

彼女は、このホームページで僕が『タイタニック』をボロクソにこきおろしたことにたいする抗議の(?)メールをもらったのがきっかけで、去年の夏に初めて会ってから平均すれば一か月に1回は会っていたかもしれない。初対面のとき僕が一目惚れするくらいカワイイ人ではあったにしても、友達としても会う回数は少なかったし、そのほとんどは初級シスアドやら情報処理2種やらのお勉強に割かれた時間だった。

その程度の希薄な人間関係だったにしても、たぶん僕がその人間関係にこの1年数か月のあいだ見いだしてきた意味は、彼女が見いだしてきた意味とは大きく異なるはずだ。

誤解しないようにして欲しいが、たしかに一目惚れするくらいカワイイ人ではあったけれど、彼女は僕が恋愛の対象にならないとはっきり言ってくれたので、僕はあっさりとあきらめた。なので僕と彼女の見いだした意味の違いは「僕が片思いをしていた」という恋愛感情のすれ違いのことではない。

じゃあ何が違っていたのか。彼女にとって僕との人間関係は、他のいろんな友達との人間関係の中の one of them であって、その中でちょっと特殊だということにすぎない。そういう僕との1年数か月の交友関係であっても、これからはそう簡単に会えなくなるというのは確かに悲しいものだ。One of my friends とのお別れにしんみりするということは確かにあるだろう。

しかし僕にとって彼女との交友関係は一段階レベルが違っている。僕にとって彼女との交友関係は多くの人間関係の中の one of them ではなく、名古屋でほとんど唯一のまともな友人関係だったのだ。もし彼女があの日メールをくれなかったらと思うとぞっとする。ひょっとすると今僕は生きていなかったかもしれない、とさえ思うこともある。決して大げさではなく...。

食うための金を稼ぐという生活のレベルで、僕は生きることに困難を感じたことはあまりない。ただ、それが満たされた上で、じゃあ一体なんのためにわざわざ生きる必要があるのだ?という哲学的なレベルでは、僕にとって生きると言うことはとても困難なことだ。

しかし逆に、「なんのためにわざわざ生きる必要があるのだ?」という原理的に解決不可能な「不安」から自分自身を救い出す(ごまかす)ことは、かなり簡単なことだ。それには、平均すると1か月に1度しか会わないような希薄な交友関係だけでも十分すぎるほどだった。

普通の人は「なんのためにわざわざ生きる必要があるのだ?」なんていう「不安」に、ふだんの生活で突き当たることはあまりないと思う。たとえば喉に膿を作って「病気を苦に自殺する人の気持ちが分かるぅ!」と思った瞬間や、車に乗っていてほんのちょっとの差で九死に一生を得た瞬間など、特殊な瞬間にしか(ハイデッガーの言ったような意味での)「不安」に直面することはないと思う。

しかし僕のような人間にとって生きると言うことは、毎日そういう原理的に解決不可能な「不安」を、どうごまかしながらやり過ごすかという、とても困難なことなのだ。毎日が「賭け」であると言ってもいい。

そういうとても不安定な生活でも、それをあるていど安定させるということは、上に書いたように実はかなり簡単なことなのだ。ものすごく不安定な複雑系が、ちょっとした力を加えただけでたちまち安定な系に変わるように、ごく些細なことが僕の生活を大きく変化させる。

以上のように、彼女が僕との交友関係に見いだしている意味と、僕がそこに見いだしている意味とはレベルが違う。だから僕にとって「これからはそう簡単に会えなくなる」、しかもたかだか新幹線で2時間の距離だという程度なら、そんなことはまったく問題ではない。彼女はそんなことがどうでもいいくらい大きな変化を僕の生活に与えていた、という自覚は、たぶん彼女にはないだろう。

だから僕が彼女に対して別れ際に「僕も仕事以外の場でも役に立つんだなぁ、と思ったよ」と言ったことには、「そうでもなけりゃ、今ごろ生きてなかったかもね」ということも含まれている。

「ごく些細だけれど、とってもとっても重大なこと」。他人との関係というのは僕にとってはそういうものだ。名古屋と東京程度の距離なんて問題にならない。ブックマークをクリックすればいつでもそこにいるのだから。

そういう僕にとって本当の「お別れ」があるとすれば、それは「死」だけだ。死ぬときは本当にお別れしなきゃいけない。そう簡単に会えなくなるのではなく、二度と会えなくなるから。

それを思えば、しんみりする必要なんて全くない。生きている限りはその気になれば会える。現実には会うことが出来なくても、生きている限りいつか会えるだろうという「希望」は残る。その「希望」があるから人は生きていけるのではなかったか。


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