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永遠の子供たち
( 20020115 )

Japanese/English

NHK総合2002/01/14放送分『視点・論点』で文芸評論家の三浦雅士が「文化としての年齢」と題して荒れる成人式についてコメントしていた。論旨は次のとおり。成人を祝う通過儀礼は世界中の民族・地域にある。それは人間は身体的・生理的に大人になることと無関係に、精神的・文化的な儀式がなければ大人になれないことを示している。先進諸国では医学の進歩で人間が長寿命化し、子供扱いされる期間も延びたが、それに対応する新たな文化がまだ産まれていない。現代の日本では年老いても「若い」ことが無条件に良しとされ、大人になることは肯定的に評価されにくい。高齢化社会は老人問題だけでなく「成人」という文化をも脅かし、「若者問題」も引き起こしているのだ。

なるほどと思いながら三浦雅士の話を聞いていた。荒れる成人式に関してあらゆる報道が「20歳になっても大人としての自覚のないけしからん若者たち」という観点しか取れないが、よく考えれば人間にとって生理的に20歳になるということと、精神的・文化的・社会的に成人になるということはそもそも無関係だったのだ。だからこそ昔から日本では「元服」などの大げさな通過儀礼を行なうことで、子供を無理やり大人にさせる行為が必要だった。

三浦雅士が番組の中で指摘していたことだが、現代社会は高齢者・中年層が厚いため、若者が社会に出て大人として活躍する機会が後へ後へと引き伸ばされてしまっている。若者に大人としての自覚が生まれないのは、高齢者や中年層が若者にバトンをわたすことをしぶっているからではないか、というのだ。

また、年老いてもなお「若い」ことが無条件に良しとされる文化では、若者が大人になることを拒むのも無理はない。老成することよりも子供のままでいること、少年・少女のような「純粋」な心をもちつづけることが良しとされる現代社会では、大人らしく現実主義的で、打算的で、世間ずれした精神性が評価されないのだ。

そのような文化の中で育った若者が大人にならないのは、むしろ必然の結果だと言えるかもしれない。三浦氏が結論としていたように、永久に若くあることを無条件に良しとする文化の中で、「大人になる」とはどういうことなのかを新しく定義しなおす必要があるだろう。

ではいったいどのように定義し直せばよいのか。それにはまず、どうして現代の日本は永久に若くあること、子供のように純粋であることを無条件に良いと考えるようになったのかを分析する必要がある。

三浦氏はこれを工業化社会が生産性市場主義だからではないかと分析していた。生産性を高くするには人間は永遠に若いことが望ましいためである。しかし、真に生産性が問題なのであれば、生産性のもっとも高い年齢へ全世代を文化的に矯正するのが妥当である。したがって子供がいつまでも子供のままであることの説明にはなりにくい。

僕個人の意見としては、大人であることが評価されにくいのは合理主義の反動としてのロマン主義的な発想がその背景にあるのではないかと考える。簡単に言えば「世の中はあまりに合理的になりすぎた。人間はせめて心の中に子供らしい純粋な部分を残しておくべきだ」というような考え方である。

合理性は本来人間を宗教や因習などの束縛から解放するものであり、合理的であるからこそ人間は自由であるはずだった。ところがその合理性が「合理的な組織」「合理的な法律」「合理的な社会」というかたちで疎外されるにしたがって逆に人間を不自由にしてしまった。工業化社会の合理性は人間が本来もっている未熟な部分、大人になりきれない部分、つまり野生に近い純粋な部分を抑圧し、自由を奪ってしまった...というわけである。

合理主義についてのこうした考え方が、人間は子供らしい純粋さや自然さ、野生に近い部分を取りもどさなければ自由になれないという、ねじまがった自由観を生み出してしまったのではないだろうか。工業化社会のベースにある合理主義は人間の自由を保証するものだったはずが、いつのまにか人間の自由を奪う悪者あつかいされてしまっているのだ。

大人であることが積極的に評価されるようになるためには、「合理的であること」「分別のあること」を評価する文化が生まれなければならない。こういう風に考えてみると、成人式を素直に祝う気持ちになれないのは、実は大人たちの方ではないかという気がする。大人は世の中が合理的になりすぎることを嫌っており、心の底では子供がいつまでも純粋な子供であることを願っているのではないか。

荒れる成人式に機動隊を入れるなどして、成人式という場だけ大人の「合理性」で乗り切ろうとしてもムダなのだ。日常的に子育ての場やマスメディアを通して「純粋さ」「素直さ」を求めるメッセージを与えつづけているのでは、矛盾しているのは大人たちの方だと言わざるを得ない。

本当に子供を大人らしくしたいのなら、大人たちの方こそいたずらに非合理性を称揚するような過度にロマン主義的な文化を捨てなければならないのではないか。


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