think or die :
1970年代生まれの
人たちのための
エッセー集
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情緒的安全弁
鷺沢萠『私はそれを我慢できない』
1998/11/15

このページでは「これからの時代を生きる者はこうあるべきだ!」なんて、しかつめらしいことを書きならべているけれども、四六時中そうしてひとりで気を張りつづけるのもかなり疲れる。

とくに今の僕には情緒的な安全弁になる人間関係がないので、ひとつのことを考えだすとそこからぬけ出せなくなったり、精神的な興奮状態がおさまらなくなったりする。そういうときに気軽に電話をしてぶちまける相手がいないし、お酒が飲めないので(飲めるようになりたいとも思わない)酔ったいきおいでグチるような相手もいない。

もともと僕はそういう親密な人間関係を求めていないところがある。会社の同僚にこんな人がいた。たまりにたまったウップンを独身寮のトイレにぶつけて、便器をぶっこわして始末書を書かされたというのだ。それは極端であるにしても、ひとりでウップンをなんとかできてしまう自分の性格をよろこぶべきか、恨むべきか、僕自身よくわからない。

いろんなことをひとりで完結できてしまうのは、10年近いひとり暮らしと、子供のころから「長男」として育てられてきたことで、なかば仕方なく身につけた処世術だ。ただ「自立とはひとりで生きることではない」という、どこかで聞いたような言葉が思い出されるたびに、こんなことでいいの?という疑念がわかないわけでもない。

どちらにしても、今の僕にはそういった「精神的な安全弁」になる人間関係がないので、心が疲れたときにはヘンに落ち込んでしまう前に気分転換をしないといけない。気分転換の方法として、ダウンタウンやナイナイが出るバラエティー番組や、女性作家の本がある。

バラエティー番組はまあいいとして、なぜ女性作家なのか?話し相手になってくれる恋人の代わりにということもあるけれど、男性作家の本はあまりに自分の現実とかけはなれているか、あまりにリアルでぜんぜん気分転換にならないかのどちらかだからだ。作家が性差別の権化みたいな人間だとはなから読む気もしない。逆にあまりに内省的で繊細だと、まるで自分が書いた文章を読まされるようでイヤになる。性差別的な文章にでくわす可能性がすくなくて、しかも距離をおいて読めるものということで、自然と女性作家の書き物になるのだ。

まえおきが長くなったが、今回は最近文庫化されて本屋で目につくところに平積みにしてあった鷺沢萠の『私はそれを我慢できない』に手が伸びてしまった。

そもそも「今の僕には情緒的な安全弁をはたす人間関係が存在しない」なんていうことをホームページで書かなければいけないとう僕の状況が、不健全きわまりない。インターネットがなかったら日記帳に書きつけるだけで、死ぬまでだれの目にもとまらずに終わっただろう。幸か不幸か今の僕にはホームページがあるし、まわりが女性ばかりの日曜日のオープンカフェで、こうしてエッセーを書くことのできるモバイルコンピュータさえある。こういう媒体を使う誘惑には、いくらストイックな僕でも(ホンマか)抗しきれない。

それを言うなら、鷺沢氏のこの本だって日頃のウップンをエッセーで晴らしているだけという気がしないでもない。有名雑誌のコラムという媒体を自由に使える立場なら、当然そこでウップンを晴らしたくもなるだろう。この本の中に、いざとなれば作家は「私には金はないけど、媒体があるのよ」という殺し文句が吐けると書かれている。インターネットの普及で媒体をもつことは作家の特権ではなくなった。現に僕もこうして媒体を持っている。

たまたま自由に使える媒体があるということの他に、その人がしゃべりを中心とする生活を送っているか、それとも書くことを中心にする生活を送っているかで、ウップンのはけ口も変わってくる。鷺沢氏はこのエッセー集の中で、ひとことも口をきかない日がよくあると書いているが、僕も週末はたいていひとことも他人と口をきかずにすごす。

作家でもなんでもない一介のサラリーマンとしては、ひとことも口をきかずにすごす一日なんて異常だと思われるかもしれないが、世の中にはしゃべりよりも読み書きを中心に生活している人間が存在する。それだけのこと。

そういうわけで、身近に媒体があって、なおかつ「読み書き生活」を送っている僕としては、日頃のウップンは媒体に書き込むことで晴らすしかない。もちろん有名雑誌のコラムと個人のホームページでは読者の数がまったく違う。けれどもこのさいそんなことはどうでもいい。自分自身という読者が一人でもいる限り、書くことにはなにかの意味があるのだ。

鷺沢氏のこのエッセー集には、作家という自由業ゆえの、そしてプラスアルファ、彼女自身のせっかちな性格ゆえの、ちょっとしたイライラごとが集められている。僕もかなりのせっかちである上に、サラリーマン的なクソまじめさとはほど遠い性格なので、「わかるわかる!」という部分があってかなり笑えた。街中のオープンカフェで鷺沢萠を読みながら笑いをこらえている独身男というのも、そうとうヘンな図だが...。

僕の日ごろのちょっとしたイライラの主な原因は、会社の独身寮に住んでいるところからくる。独身寮は各自の個室以外はすべて共用になっている。トイレ・洗面所・食堂・風呂はすべて共同である。しかし、こういう場所は人のプライベートな部分がモロに出てしまう空間である。それだけにイライラすることが多い。

僕が寮の他の住人よりイライラする割合が高いのは、「男らしさ」なんてものを完全にバカにしているということがいちばん大きいのではないか。たとえば、ドアがあけっぱなしになった他人の部屋が、とおりすがりにちょっとのぞけたりしたとき、その部屋がジャングルのようにちらかっているというだけでムチャクチャ不愉快になる。別に僕が粗の部屋に住むわけでもないのに。

各自の部屋には水道がひかれていないので、歯磨きその他もすべて共同の洗面所でやることになる。歯を磨くすがたにも個性があって、やたらハト胸で腰にてをあてている人、きっちりと肩幅に両脚をひらいた「休め!」の姿勢の人もいる。「もっとフツーに磨かれへんのか!」と無意識のうちにつっこんでしまう。

また、洗面所の鏡は男子の独身寮らしく、古くてうつりが悪い。なのに朝の忙しい時間にその鏡をのぞきこんで、シェーバーでヒゲをそっている人。あの鏡じゃちゃんとそれてるかどうか絶対わかんないよ。それに、ヒゲぐらい自分の部屋でそれ!鏡のひとつも部屋においてないのか!

ヒゲそりはおろか、朝のいそがしいときに洗面所で髪を洗う人もいる。「朝シャンだったらOKじゃん」というのはまだ早い。男性独身寮の洗面所にはシャワーみたいな気の利いたものはない(女子寮だったら絶対あると思うのだが、さすが「男らしい」独身寮には洗面所のシャワーもいらないというわけだ)。その人は、安物のリンス入りシャンプーで蛇口から流れるお湯で髪を洗っているのだ。僕は旅先でその安物のリンス入りシャンプーを仕方なく使ったことがあるのだが、せっけんで洗ったみたく髪がゴワゴワになった。シャンプーぐらい夜やっとけ!

トイレでもいやなことがある。トイレも共用なので男子の公衆トイレみたいに小便器と個室にわかれている。個室に入ると他人のうめき声が聞こえるのはしかたがない。腹が立つのは、小便器の足元にナニをこぼす輩が多いということだ。トイレは毎週月曜日に掃除されているのだが、水曜日にはもう小便器の足もとに点々と黄色いシミが広がっている。ネコのしつけじゃないんだから、ちゃんとねらいをさだめて便器の中に入れろ!

共用の風呂は小さな銭湯を想像してもらうといい。大きな浴槽のまわりに蛇口とシャワーがぐるりと並んでいる。ふつうならその蛇口の一つに陣取って、体や髪を洗うだろう。ところが、一人だけ湯ぶねのすぐ横に腰かけて、湯ぶねから直接、洗面器でじゃんじゃん湯をくみ上げるヤツがいるのだ。

僕は最初、水を節約するために湯ぶねからくむのだろうか、と思ってよく見ていたら、いざ自分が湯ぶねに入る段になると、しっかりくみあげた分の湯を蛇口からドバドバ足して入るのだ。それに湯ぶねのそばに腰かけられると、やたらと場所をとるので、その近辺のシャワーと蛇口が使えなくなってしまう。独身寮では長老格の人物だが、いい年をして人の迷惑をかえりみないジコチューなやつだ。

ところで朝晩の食事が出される食堂には、大きなテレビが一台置いてある。野球シーズンになるとかならず野球中継がかかっていて、野球にまったく興味なしの僕は食事中ひどく退屈な思いをする。だから食堂ではテレビを見ずにもっぱら読書をしている。

おもしろいのは野球のない日だ。食堂にはテレビのいちばん近くにすわっている人がチャンネル権をもつという不文律がある。逆に言えばそのときかかっている番組はテレビのいちばん近くに座っている人間の趣味ということだ。

ある日、食堂に入っていくと僕のほかに一人しかいなかった。その人はもちろんテレビのいちばん近くに座っている。そしてテレビの画面には、現阪神タイガース野村監督の婦人がドアップで映っている。番組のタイトルは『快傑熟女』。独身男が食い入るように見る番組か!

その他、胸にミッキーマウスのついたボーダーストライプのぴちぴちTシャツを部屋着にしている男、中庭で大型バイクの暖気運転をする男など、言い出せばきりがない。

僕自身も他の人間からすれば、付き合いは悪いし笑わないし「男のくせに」きれい好きだし、かなりの変人扱いされているに違いない。でも人に迷惑をかけるのだけはやめてほしい。

てなわけで情緒的な安全弁をホームページに求めたけっか、いつもの約2倍の分量のエッセーになってしまった。たしかにインターネットに依存するのは危険だ...。