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![]() 闇に咲くバラ ( 20021203 ) JR駒込駅から北に向かって道なりに10分ほど歩くと旧古河庭園にゆきつく。11月末から12月上旬にかけては紅葉が見頃だということでカメラをもって出かけたが、例年より早く寒波が訪れたせいか赤く染まった葉ははや褐色に枯れ始めていた。かわって来園客の目を楽しませていたのは正門を入ってすぐ、洋館の前庭に咲くバラの花々だった。 ただ濃密な存在感で花弁を重ねるバラを、次から次とマクロレンズでのぞきつづけると、いい加減食傷気味になってきて、バラ園から降りる階段で日本庭園の翳りへとすすんだ。庭園全体は中央の山水を取り囲んで、林をぬう小径が迷路のように巡っている。子供が「こっちは迷路1番」「こっちは2番」とはしゃいで駆けていった。 小径の空は常緑樹の枝でふさがれ、すでに黄色みを帯びた初冬の午後の日差しが暗い地面にまだらを描いている。マンションが防音壁になっているせいか、すぐそばを走っているはずの幹線道路の騒音はとどかず、ただひそやかに話す来園客の声と自分の足音だけが木々の幹にとけこんでいく。 目前の小さな流れに木漏れ日がスポットライトのように落ちている。その静かさにカメラをかまえたとき、後ろで人の立ち止まる気配がした。みるべきもののないこんな場所で立ち止まるのは、自分と同じようなアマチュアのカメラマンであろうと、かまわずシャッターを押してからふりかえった。 意外なことにそこに立っていたのは中折れ帽を目深にかぶり、右手でステッキをもち、ふくらはぎほどまである黒のロングコートという嫌に時代がかった洋装の紳士だった。僕がいまレンズを向けていたのと同じ方に視線を落としている。 「この光線の様子はなかなか面白い」 洋装の紳士は誰に言うともなくつぶやいた。僕は何か相づちをうったものか迷ったが、迷ったときには何も言わないのが常で、ふたたび薄暗い林の小径を歩き出した。 「バラ園はごらんになりましたか」 あたりには僕と紳士の他に人は誰もいないのだから、その紳士は自分に話しかけているに違いないのだが、その言葉は独り言にしか聞こえない。疑問文なのに誰かに問いかけるというよりは、自分自身にたしかめるような抑揚の弱い調子だ。 「あれだけたくさんの種類を世界中からかきあつめて、せまい前庭に咲き乱れさせて。あまり趣味がいいとは思われませんな」 やはり独り言のように紳士はつづけた。僕は多少気味が悪かったが、逃げるように立ち去れば立派な身なりをした紳士に恥をかかせることになると思い、仕方なく彼に半身を向けたまま立ち止まった。 「人はあのバラ園を見て、ただ美しいと思うだけかもしれませんが、なぜあんなことをする必要があったのかと考えてみるべきでしょう」 考えてみるべきだ、と問いかけられると、僕は自動的にバラ園の存在理由について考えださざるを得なくなった。最初に浮かんだ答えはひどく陳腐なものだったが、見知らぬ人に最初にかける言葉は、たいていの場合、陳腐なほうがよい。僕にとっても好都合だった。 「人の目を楽しませるためでしょう」 その僕の答えは紳士の期待どおりだったらしく、帽子のつばの下で薄い唇がかすかに左右に引かれて微笑んだ。 「しかし一般に公開される前、あのバラ園を見ることができたのは洋館の住人だけだったはずです。家族だけが日々ながめる庭としては、バラ園は派手すぎるでしょう」 何が派手で何がそうでないかは個人の趣味だ。洋館の主人はたまたま派手好きだったというだけではないか。この紳士、外見はまともだが、じっさいは心を病んだ孤独な男で、話し相手欲しさに入園料をわざわざ支払ってまでこの庭園を徘徊しているのではないか。いよいよ気味が悪くなって僕は紳士に横顔を向けたまま「少し急ぎますので」というつもりで軽く会釈してその場を足早に立ち去ろうとした。 すると紳士は帽子のつばを軽く右手の指先で摘んでうなずき「お邪魔立てしました」とやはり独り言のようにつぶやくときびすを返して歩み出した。この庭園と外界とのつながりは正門だけで、また園内のどこかで鉢合わせしないとも限らない。もう少し議論に付き合うのがよかったかと思いながらも僕はふたたび写真を撮り始めた。 午後の日にあざやかな紅色を透かしている葉に幾度もシャッターを切るうちに、いつの間にかバラ園にもどっていた。家族だけが眺める庭としてはたしかに絢爛すぎ、美しさを通り越して悲しみさえ感じられる。たとえば開園時間が過ぎて人気なく静まり返ったバラ園を想像してみる。それでもまだ太陽の残っているうちは都会のカラスをなぐさめるかもしれない。カラスが色盲でないとしての話だが。 しかし真夜中、闇の中に咲き乱れるバラはいったい何のためだろうか。そう考えると一日のうちの半分以上の時間をバラは誰に見られることなく暗がりに身をひそめ、本来なら感嘆の声を誘うだろう美しさを無為にさらしているのだ。さきほどの紳士はそこまで考えを及ばせるなら、バラ園がただ人の目を楽しませるためにだけあるのでないのは自明だと言いたかったのではないか。 では闇に咲くバラは何のためか。何のためでもなく自らの美しさに自足すると言えるのは野に咲くバラだけで、人為的に蒐集された無数の花は何かのためでなくてはならない。紳士は自分がそれを知っていると主張していたのだろうか。 そこでふと思い当たったのは、これほどの美の過剰は大きな美の喪失の代償ではないのかということだった。バラ園を臨む洋館は嫌でもロマンチックな想像をかきたてないわけにはいかないが、たとえば、である。この洋館の主人が若くして伴侶を亡くした悲しみを忘れるために前庭をバラで埋めたのだとしたら。 その死の以前、医師はすでに余命の長くないことを主人に告げていたが、妻に恢復を信じさせようと千羽鶴を折るように庭に一本ずつバラを植えていったのだとしたら。ベッドから窓越しにバラ園を見つめる伴侶の視線は、彼女の死の後も花の一つひとつに注がれていると主人は信じ、バラを植え続けたのではないか。 そう考えると夜の闇に咲くバラも無為に咲いているのではなく、たしかに見つめられている。そこに存在している限りは生前の幸福な時間を思い出させるために咲いていると言える。だとすれば僕にはいくらバラの花々が過剰なほど色鮮やかな花弁を重ねていようと、十分すぎるということはないように思えてきた。一日の大半を闇の中に埋もれていようが、その美しさについて「美しすぎる」ということは言えないように考えられる。 ふと我に返った僕はかなり長い間、淡い黄色のバラをぼうっと突っ立ったまま眺めていたらしい。 「あなたのお考えは、おおかた正しいようです」 またあの紳士の声だ!独特の憂いを含んだ声のする背後をふり返って見ると、早くも暮れかけた空を映して洋館の窓がまぶしく輝いているだけだった。 無断転載禁止
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