think or die :
1970年代生まれの
人たちのための
エッセー集
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最後の時
ある夢見の悪い朝
2002/05/06

耳をふさいでも中庭で人間の頭蓋骨を吹き飛ばす銃声ははっきりと聞こえてきた。部屋の中にうずくまって頭を膝の中に隠すようにしていたが、その銃声から逃れることはできなかった。逃れることができないのは分かっていたが、逃れられるものなら逃れたいと、毎日こうしてうずくまっている。

僕がうずくまっている場所はビジネスホテルのツインルーム風の清潔な部屋、その中庭に面する窓の真下の壁際である。この建物は平屋で、同じような部屋が十以上は一列に並んでいるだろうか。この部屋に住んでいるのは僕だけではない。僕と同じ境遇の人間が5〜6名暮らしている。今日、また一人減ったので、結果として5〜6名になったということだ。

不思議なことに同居人の性別は判然としない。僕も含めてみなおしなべてボタンダウンの長袖シャツに薄汚いジーンズという似たようなかっこうをしている。シャツは一様にくすんだ色合いで、ジーンズもデニム生地がところどころすり切れそうになっている。この部屋の調度類もありきたりの色合いで統一されている中に、一つだけベッドのシーツが臙脂色の毛布でできているのだけが目立つ。

もともとこの場所が僕らを歓待されるために作られているわけではないのだから、当たり前といえば当たり前である。僕らはここに強制連行され、最後の時を迎えるまでここから出ることはできない。中庭に面した窓や、入口のドアにとりたてて頑丈な鉄格子や錠が付けられているわけではないのだが、たとえ窓から逃げ出したところで、周囲には見わたす限り地平線の果てまでただ平原が広がっているだけ。夜陰に乗じて脱走したところで、早晩見張りに見つかって背後から一撃。それをあえて選択する者もいないわけではないが、僕はあまり気が進まないらしい。

なぜここに連れてこられるはめになったのか、僕自身もよく分からない。僕が過去に行ったことがこの場所を管理している人々の気にさわったことだけは確かなのだが、それが死刑に値するものである理由はよく分からない。分からないのは当然で、僕は自分が過去に一体何をしでかしたのか思い出せないのだ。一つだけ確かなことは、僕が生きている世界が何らかの戦争状態にあり、戦争状態であるからには、お互いに対立している二つ以上の勢力が存在し、この施設を管理している人々はその一方に、僕はその他方の勢力に与していたということなのだろう。ところが僕自身、どうして初めからこの施設を管理している人々の味方にならなかったのか、あえて敵対する道を選んだのか、さっぱり思い出せない。ただここに連行されてきて初めて、自分の行った選択の重大さに気づかされたのだ。

それぞれの部屋の住人から毎日1人が任意に選択され、中庭で処刑されることになっている。誰が選ばれるかはそのときになってみなければ分からない。予告は一切ない。この施設を管理している人々は余程周到なのか、人の選択について何かの規則性を見いだせるようなパターンも一切なさそうなのである。だから自分がいつその立場に立たされるかは、ほとんど予想不可能だが、いつかはその立場に立たされるということだけは百パーセント確実なのである。

僕は別にこんなところに連れてこられなくとも、老いてゆけばいつかは死ぬ運命だったわけだ。いつかは必ず死ぬという意味で、ここで生活する前も後も変わりはない。しかもその日がやってくるのは、たとえ普通の生活をしていても本質的に理不尽なものである。自殺でもしない限りは自分で自分の死ぬ日を決められるわけではない。それはこの施設に生活していても同じことである。にもかかわらずここで迎える死に理不尽さがつきまとうのは、それを選択するのが自分と同じ人間だからかもしれない。

それを選択するのが自分と同じ人間であってみれば、もしかするとそこから逃れられるかもしれないという希望を抱いてしまうのだ。僕はこの部屋のベッドで眠りに入る前に、自由をつかもうとしている自分を想像してみることがある。この施設の駐車場に停めてあるトラックの荷物に紛れ込んで、高速道路のような道を走っている様子を。荷降ろしの時、いったいどうやって彼らに見つからずに逃げ出すことができるか。あるいはこうして走っている間に荷台を降りて、トラックの側面を伝って地面とすれすれの裏側にクモのようにへばりついておこうか。握力がとぎれれば一巻の終わり。その危険を冒してまで荷降ろしのときに見つかる危険を回避する価値はあるか。しかしそれが単なる夢想に過ぎないという現実に覚めて、無駄なため息をつく。明日も同じような夢想をもてあそべるとは限らないのに。

いっそのこと自ら志願するというのはどうだろうか、と考えたこともあるが、彼らが事務的に断るだけだということもわかっている。ある日、隣の部屋からそのような声が聞こえてきたことがあるからだ。ただ彼らは毎日、決まった時間になると各部屋の誰だかを呼びにくるのである。

そうして今日も何発かの銃声が中庭で響いた。

(この文章は筆者が見た夢を脚色したもので、当然のことながら単なるフィクションです)