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集団監視の町
( 19981213 )

Japanese/English

うちの会社と同じような大企業に勤めている友人から、メールでとんでもない話を聞いた。

彼は僕と同じく、会社の独身寮に住んでいるのだが、最近、寮に女を連れ込んでるヤツがいるらしい。そこで彼の寮の管理人さんが怒りの貼り紙を掲示した。「この近辺は××村です。皆さんを見ているのは私だけではありません」(××というのは彼の勤めている会社の名前)。

この話を読んで、僕は言葉を失った。彼の寮の近辺には、たしかに会社関係の寮や社宅が密集しているようだ。中には顔見知りの人たちもいるだろうから、事実上の集団監視下に置かれていると言っても過言ではない。

しかし事実上そうであることと、それを寮生にルールを徹底させるためのダシに使うのとでは大きな違いがある。この貼り紙は「寮生の皆さんにプライバシーはありません」と言ってるのと同じことだ。

この貼り紙は、たとえば「寮生の中に在日外国人の方がいるようです」と書くのと人権意識の低さにおいては同じレベルだ。残念ながらこの管理人さんは、日本国憲法よりも、一企業の一独身寮のルールの方が上だという、とんでもない勘違いをしている。

独身寮に住んでいるだけで、寮生はプライバシーを侵害されても文句は言えないのだろうか?そんなことは絶対にない。おまけに貼り紙の文句には「村」と書かれてある。まさに日本人的な村落共同体意識。

こういうとんでもない人権無視を、何の罪の意識もなく、むしろ「皆さんが悪いのです」という口調で貼り紙に書いてしまう50代がいること自体、いかに戦後日本の民主主義教育の質が悪かったかを物語っている(その管理人さんは50代らしい)。

始末が悪いのは、管理人さんはこの貼り紙をおそらく「善意」で書いてるということだ。「会社にはナイショにしておいてあげるから、この貼り紙を見て自分の胸に手を当てて反省して下さい」という意図で書いている。だが「善意」で刑務所みたいな集団監視体制をほのめかされたんじゃ、住んでいる方はたまらないだろう。

さらに彼のメールは続く。実はこの管理人さん、困ったことにこれが最初ではないようなのだ。以前、国際電話のテレクラというのがマスコミで話題になったけれど、これを使っている寮生がいるらしいと分かったらしい。

そのときこの管理人さんは、何と寮生の一人ひとりに電話をかけて「独自捜査」をやらかしたという。最終的に「犯人」は見つかったようだが、単なる管理人が一般市民の私生活にふみこんで、逮捕状もないのに「捜査」する権利があるだろうか?

たとえばあなたが普通のマンションに住んでいたとしよう。ある日、マンションの管理人さんから電話がかかってきて、「あなた昨日ディノスのテレフォンショッピングで電気毛布3枚セットを買いませんでしたか?」と聞かれたらどうだろうか?気味が悪いだろう。管理人にそんなことを聞く権利がないのは当たり前のことだ。

このテレクラの件でも始末が悪いのは、やはり管理人さんがおそらく「善意」だったということだ。「会社にはナイショにしておいてあげるから、これからはテレクラは使わないで」という温かい「善意」である。しかしとんでもない人権無視の「善意」だ。

女を連れ込む件にしても、テレクラの件にしても、正しい対処方法は、まず会社の総務に連絡して、職場の上司経由で注意してもらうなど、あくまで一企業内のルールの水準で解決することだろう。

おそらくどの企業の寮生も、独身寮にルールがあることを承知で住んでいる(たとえば僕の会社の場合、退寮は自由、寮を出た場合は住宅手当も付く)。だからそれを破るのは就業規則を破るに等しい。たしかに寮生にとっては総務に連絡される方がキツいが、法的には正しい処置である。

ところがこの管理人さんは、「総務部に連絡するのはかわいそうだ」という間違った気のまわし方をした結果、逆に寮生のプライバシーを侵害するという、もっとヒドいことをやらかしてしまっている。

でも、この手の勘違いをしている日本人はとても多いのだ。私的なルールを守る一方で、公的な法律を平気で破る人たち。政治家や官僚の汚職も同じ背景だ。政界や官界独自のルールを守った結果、公的な法律で裁かれている。

校内暴力もそう。学校内で起こった事件は内部のルールで内密に処理する。「校則」も私的なルールが公的な法律を平気で無視している典型だ。

なぜそういうことになってしまうのか?背景には日本的温情主義がある。政治家や官僚へのお手盛りも、学校の内密な処理も、内部の人間を公の厳格な裁きから保護してやろうという、閉鎖的な共同体の温情主義からくるものだ。

しかし閉鎖的な共同体でしか通用しないルールは、いつか破綻する。今、日本全体がアメリカ型の市場経済の波に洗われながら、ローカルなルールの破綻を経験しつつある。その意味で、クリントン大統領の弾劾騒ぎを笑う資格は、日本人にはない。

彼の寮の管理人さんも、ローカルな温情主義のぬるま湯につかってきた日本人の一人だから、とんでもない貼り紙をするのも仕方ない...と、許してしまうことこそ、ローカルな温情主義を温存することになってしまうのだが、残念ながら僕にはここに書くことしかできない。

彼も会社の人たちが上に書いたような理屈を理解できるかどうか、疑っているようだった。「せっかく管理人の方が善意で書いておられることに、つまらない反論なんかして。君は入社5年目のブンザイで何様のつもりか!」と、逆に叱責されるのがオチだろう、と書いていた。

彼も僕も「サラリーマン」という人種の理性を信用していない点では同じである。サラリーマンは理性ではなく利害で動いている。そんな人たちの理性を安易に信用するほど、僕らの理性はサビ付いてはいない。


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