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困難な手紙
( 19990814 )

Japanese/English

ビジネス書ばかり読んでいると思考力が鈍る。ビジネス書とは当たり前のことができない人たちに、いかに当たり前のことをさせるかという目的で書かれた啓蒙書だからだ。残りは純粋に情報を入手する目的でしか読むに値しない。

そういうわけで盆休みのまとまった時間にまともな思考力と批判力を取り戻すべく東浩紀『郵便的不安たち』を読み始めている。ちゃんとした書評は読み終えてから書くが、とりあえず最近考えていることとあわせて「印象」だけを書きたい。

高橋哲哉や東浩紀の本を読んで痛切に感じるのは、サラリーマン生活が僕に与える最大の害毒は倫理的使命感を麻痺させる点にあるということだ。

この書物に収録されている講演で、東氏のキーワードである「郵便的」という言葉にまつわるある種の倫理的使命感のようなものについて話している。「象徴界」の弱体化したポストモダンの世界において、「日本」や「国家」といった共同体主義に回帰しようとする論客に組みせず、象徴界の裏付けを必要としない横断的なコミュニケーションの回路を見つけだそうとしている点だ(『存在論的、郵便的』のパフォーマティブな側面)。

東氏は触れていないが、共同体主義への回帰の他の形態として「グローバル資本主義」があげられると僕は考える。東側世界の崩壊の上に「資本主義」という大きな物語を復活させ、それによって「象徴界」をねつ造しようとする試みが世界規模で押し進められている。

もちろんそれに対して別の物語(共産主義)を持ち出すのは完全に無意味だが、バブル崩壊後の日本は東氏のいう象徴界の弱体化(=ポストモダン化)をそのものとして受け入れる誠実さを持っていないことは確かだ。新保守主義の論客が共同体主義へ回帰する以前に、日本は「グローバル資本主義」という大きな物語に加担することでポストモダン化という事態を隠蔽している。

たとえば「グローバル市場での競争」という大義名分があればあらゆる差異(各国の文化的差異)などいとも簡単に縮減してしまえると考えることなどである。たまたまNHKで日本と韓国の新しい関係について特集番組があったのだが、外資系日本企業が韓国に進出して労使関係の違いに大変な苦労をしているというレポートがあった。

そこで日本から派遣された日本人の経営者が、韓国人の幹部を集めた合宿で、グローバルな競争に生き残るためには、韓国の儒教的・家族主義的な企業観を根本から変えなければならないと語る。その経営者の手法は徐々に受け入れられ、業績も改善し、労働組合の幹部も日本人経営者の合理的手法に理解を示し始める。もちろん日本人経営者は自分の考えの正しさをつゆも疑っていない。

ひょっとするとこれはたまたま韓国がまだ近代化の余地を残しているから「グローバル資本主義」という象徴界がうまく機能しただけのことかもしれない。しかし明らかに日本はもはや「グローバル資本主義」という物語で社会全体を織り直せるほど単純な状況にはない。

日本がポストモダン的な状況に陥ったきっかけは「経済成長」という大きな物語を失ったことであるのは疑いない。だとすると「グローバル資本主義」というのも戦後日本の近代性を支えていた「経済成長」(「エコノミック・アニマル」としての日本人)という大きな物語への回帰にすぎないのではないか。韓国だって実はすでにポストモダン的状況に置かれていて、日本もろとも回帰の夢を見ているだけかもしれない。

新保守の共同体回帰と同時に「グローバル資本主義」の物語によって日本はポストモダン的状況に対する誠実さを欠いている。東氏が批評をつづける倫理的使命感は、回帰という安易な方法ではなく、ポストモダン的な状況をさらに強化した先に閉塞感をうち破る困難さをあえて選択しているところに現れている。

僕はクルーグマンの「グローバル資本主義」批判も同じ使命感に根ざしていると考える。つまり「グローバル資本主義」信奉者たちは「グローバル資本主義」こそポストモダンなのだと主張するが、クルーグマンはモダンの出来損ないだと反論する。

ところで僕は日々サラリーマンとしての生活で「グローバル資本主義」を所与の条件として行動するように迫られている。いまだにエコノミック・アニマルであることが無条件に善であるかのように振る舞うことを求められている。

ただそういう自己分裂的な状況こそが、僕の倫理的使命感を刺激し続ける棘になっている。たとえば「グローバル資本主義」の最もホットな市場である情報技術は「グローバル資本主義」そのものを無効にする批判的な力を持っている。

その力が何であるかまだ正確に指し示すことは出来ないが、一見「グローバル資本主義」に加担するかのような身振りで情報技術の進展を後押しすることで、最終的には新しい回路を開けるかもしれない。僕はどこへ届くか分からない手紙を出していて、そうするしかないということだ。


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