新幹線のトンネル壁崩落事故(1999/06/27〜)、東海村臨界事故(1999/09/30)H −Uロケット打ち上げ失敗(1999/11/15)、M5ロケット4号機の打ち上げ失敗(2000 コミでもさかんに議論されてきた。
このページでも「愛と苦悩の日記(1999/12/22)」で「日本にアングロサクソン風 の制度を無理やり接ぎ木したことによる弊害ではないか」という具合に、欧米風のトッ プダウンによる研究開発体制の導入に無理があったと論じたが、今週の『The Economis t』誌(2000/03/04〜10号)はむしろその不徹底を非難している。
一連の失敗の背景には、コスト削減圧力と、「カイゼン」の限界という2つの要因 があるとされている。前者については長引く不況と規制緩和によるコスト削減圧力のた め、日本の製造業は研究開発費の削減や作業の効率化を強いられている。それがトンネ ル壁の手抜き工事や、JCOの手抜き作業の遠因になっているということだ。
後者の「カイゼン」の限界について、同誌は1970年代にトヨタ自動車が開拓したカ イゼンに見られるボトムアップによる漸進的な品質改善手法が現代のハイテク産業では 通用しないと断じている。ハイテク分野の技術革新は平均的な従業員に追いつけないほ ど速くなっているので、専門家の書いた分厚いマニュアルをトップダウンで展開するや り方でなければ無理だという。
そうすると僕自身の主張と『The Economist』誌の主張は同じことを両面から論じて いるだけ、ということになりそうだ。日本企業はTQCの成功体験から抜け出せず、現 場偏重の考え方を引きずっているために、欧米流のトップダウンアプローチを導入しよ うとしても無理が出てきてしまう。
同誌は僕のように日本の将来を悲観するのではなく、現在進行中の行政改革に技術 立国日本の復活へ希望をつないでいる。それは次の3点、省庁再編にともなう科学技術 庁の改革、産学協同研究に関する制度改革、国有特許の無償提供(「産業技術力強化特 別措置法案」)だ。
いずれも科学技術の専門家が主導権を握ることを前提としている制度改革と言える 。科技庁の改革は従来のように官僚ではなく専門家が国家プロジェクトの予算配分と優 先順位を決めるようになることを意味し、産学協同研究は「象牙の塔」にいた学者が民 間企業の研究開発に参加するようになることを意味し、国有特許の無償提供は大学や民 間企業の研究者が特許活用の主導権を握ることを意味する。
『The Economist』はこれらの制度改革が素早く根付けば日本の技術力が復活するの も夢ではないと楽観的だが、日本の組織における「責任」の構造を考えると、そんなに スムーズにことが運ぶだろうか、と考えざるを得ない。
専門家が主導権を握るということは、そこに新たな利権が発生するということだ。 そして利権の発生するところには必ず腐敗が生まれる。特定個人の責任を徹底的に追及 する考え方が日本の組織に浸透していれば腐敗に対する抑止力も働くだろうが、決して そうではない現状を見ると、単に別の種類の「官僚」が生まれるだけではないかと思っ てしまう。
現に専門性の高い医学における医療ミスや薬害エイズ訴訟を見てみると、高度な技 術力をもった専門家が日本的な組織で権力を握ることの危険性が如実にあらわれている と言えないか。現場偏重のTQCは、専門家に対する盲従と表裏一体になってこれまで の日本大衆の「中流意識」を支えてきている。こうした構造は崩れつつあるけれど、腐 敗した専門家のカウンターパートとしての市民団体はまだまだ弱い。
民間企業における現場偏重、国家組織における貴族主義(専門家や官僚への盲従) と、今までうまく切り分けられることで辛うじてバランスを保っていた日本の社会構造 が変化しつつある。そこへ『The Economist』誌のように欧米的な発想で「専門家のイ ニシアチブ」を無条件に望ましいものとして持ってこられても困るのだ。「専門家のイ ニシアチブ」が機能する前提として、専門家の責任を問える法律制度が存在しなければ ならない。
そういう意味で、専門家復権というシナリオは日本については楽観的すぎるのでは と思うが、どうだろうか。