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『虚妄の成果主義』

如何にして日本企業は競争力を失うか

2004/02/01

先日(2004/01/19)成果主義に対する根本的な批判の書が出版された。この『虚妄の成果主義』(日経BP社)という本は高橋伸夫著で、著者は1957年生まれ、現在東京大学大学院経済学科教授で、経営組織論が専門である。ほとんどの日本人が成果主義システムに違和感を抱いているにもかかわらず、日本企業はこのシステムの導入を進めており、その違和感をまだ明確にできないでいる。本書は成果主義の誤りを様々な経営論の歴史成果、例えばアベグレン、チャンドラー、デシ、ドラッカー、マズロー、ペンローズ、テイラー、ブルームなどに基づきつつ厳密に論理的に検証している。このエッセーでは彼の成果主義システムに対する批判の核となる論点をまとめてみたい。

高橋氏の成果主義の定義は非常に広い。本書でいう成果主義は、過去の業績をできるだけ客観的に測定しようとするすべての考え方、または、「成果」と言われる何らかのものに結びつけられた給与によって人々を動機づけようとするすべての考え方を意味している。成果主義システムをできるだけ広く定義することで、高橋氏は非常に広範な「成果主義システム」と呼ばれるシステムを批判の対象としている。以下では彼によって論証されている成果主義システムの欠点を見てみたい。

第一に、成果主義システムは短期指向であるため組織内のあらゆる変革を妨げる。組織内のあらゆる変革は短期的に効率性や生産性を低下させるが、成果主義システムは社員が一年以内に所定の成果を達成することを要求するため、誰も変革を受け入れなくなる。したがって成果主義は社員に変革に反対するように動機付けする。短期指向はまた、社員の長期的なキャリア設計を妨げる。結果として社員は所属する組織の長期的な将来像を考えることもしなくなる。

第二に、成果主義システムの導入によって、社員は一年以内に容易に達成できるように設定目標を低く設定しようとする。これは誰も最善を尽くさなくなることを意味する。成果主義のこの欠陥については、では経営層が社員の目標を毎年徐々に上げていけばよいのではないかという反論があるかもしれない。しかしそうすれば、高くされた目標を達成したとしても、同じ努力あたりの給与が毎年減少することになる。フレデリック・テイラーはすでに100年以上前に、経営層が社員の目標を引き上げると、組織全体の怠業を引き起こすことを証明している。一生懸命働こうが働くまいが、同一努力単位の給与単価が減り続けるためだ。逆に経営層が目標を引き上げなければ、目標は毎年少しずつ低く設定され続けることになる。

さらに、経営層によって目標がトップダウン方式で設定されるため、社員はもはや自分自身で自分の目標を設定することができず、社員の自主性と独立性が長期的に損なわれる。目標が現場の社員自身によって設定されていたころは、目標設定のプロセスがボトムアップの意思疎通のプロセスになっていた。つまりこのプロセスを通じて、経営層が現場でいったい何が最も重要なテーマになっているのかを認識することができたからだ。しかし成果主義は社員の目標をトップダウンのプロセスで設定することを要求するため、経営層にとって最も重要なテーマは徐々に現場にとって重要なテーマから乖離を起こす。これは結果として経営層と現場の意思疎通を悪化させる。ところで日本企業の競争力は経営層と現場の一体感だった。成果主義はこの競争力を年々損なわせる。

第三に、成果主義システムはセクショナリズムを悪化させ、長期的にチームスピリットを損なわせる。このシステムの下では、事前に設定された目標の設定が最優先される。目標がトップダウンで設定されるため、その目標の範囲は自分自身の部署の内部に限定される傾向がある。このことは全社員が自分の部署に限定された仕事に集中することを意味する。さらに、仮にある目標が他の部署の協力を必要とするものであれば、その目標を達成することが難しくなる。したがって社員は目標設定の際に、他部署とのやりとりが最小限になるように設定する。このようにして目標設定のプロセスの中で、他部署とのやりとりの必要な目標は年をおうごとに排除されていく。これは全社の一体感という日本企業のもう一つの競争力の源泉を損なうことになる。

第四に、成果主義システムは、動機付けのシステムとしては日本的年功制よりも非効率である。成果主義システムはすべての社員の評価に差をつけようとする。しかし本当に差をつける必要のある社員は、実際には非常に少ない。ほとんどの社員は評価の中間層に位置し、それほど厳密に評価される必要がない。最上位層の社員と最下位層の社員だけが、非常に厳密に評価される必要がある。最上位の社員は将来の経営陣になる可能性があるからであり、最下位の社員は組織から退出すべきかどうかがかかっているからだ。中間層の社員を非常に厳密に評価することは、組織全体の効率性に対してほとんど何の意味もない。この不必要な厳密さによって増加する評価の作業量に、その作業に見合う効果はない。したがって成果主義システムは評価手法として非常に非効率である。逆に、日本的年功制は最上位層と最下位層の社員だけについて差をつけようとするもので、中間層の社員に対しては、年齢に応じて自動的に算出できる若干の昇給を毎年行うだけにとどめる。

さらに、成果主義システムは社員に差をつけるために、日本的年功制よりも大きな給与の差を必要とする。日本的年功システムでは、同じ年齢の社員は給与が同じであるという大前提がある。この「同一ベース」という考え方があるため、たった1000円程度の給与差でも、同じ年齢層の社員の間に強い競争心を引き起こすのに十分である。日本的年功制は同一年齢層の社員の間のライバル意識を最大限に活用している。他方、成果主義システムでは、すべての社員が毎年の成果に基づいて給与差がつけられると定義されている。したがってすべての社員に他の社員との差を認識させるためには、日本的年功制よりも大きな差異が必要になる。このことは悪循環を引き起こす可能性がある。給与差を広げていけばいくほど、そこから起こる刺激の効果が弱くなっていく。そしてこのシステムでは社員同氏のライバル意識を活用できない。つまり、長期的に成果主義システムが、日本的年功制よりも、優秀な社員を動機づけるためにより多くの財務的資源を必要とするのだ。

この成果主義システムの第四の欠点については、もう一つの論点がある。いちど低く評価された社員は、そこから復帰するように動機付けることが非常に難しくなる。組織の中での他人からの評価が存在するためだ。他の社員はその社員の復帰を助けようとしても、そのことはまったく評価されない。したがって一度でも低く評価された社員は、成果主義システムにおいてはいつまでも低く評価され続ける傾向を生む。仮に、一度でも低く評価された社員のほとんどが評価が低いままにとどまるとすれば、企業は不稼動の人的資源を年々、少しずつ多く抱え込むことになる。成果主義システムはできるだけ多くの社員の潜在的な能力を最大化するという点では、非常に弱点のあるシステムなのだ。

第五に、成果主義システムは部下に対する管理者の責任感を損なう。このシステムはすでに、洗練された、いわゆる「客観的な」社員評価の方法論をいろいろと持っている。管理者は所定の手続きに従いさえすれば、ある程度までそれぞれの部下の評価結果を得ることができる。「客観性」の名の下に、成果主義システムは評価プロセスを、管理者が部下の日々の仕事から得る日常的な印象から引きはがす。評価プロセスから「主観的」要素を排除するために、評価手法を洗練させればさせるほど、管理者は部下の評価に当たって責任感を失っていく。さらに、評価手法の客観性は管理者と部下の間の意思疎通のチャンネルを減らす場合もある。「客観的な」評価は必ずしも適切な評価ではない。

第六に、成果主義システムによって、企業は若手社員を育成する動機付けを失う。このシステムの下では、若手社員を育成することが企業のリスクを大きくしてしまう。まず一つには、成果に基づいて給与を決定する必要があるため、若手労働者についての人件費が増加する可能性がある。日本的年功制においては、企業は大量の優秀な若手労働力を低い給与で雇用することができたが、成果主義システムが導入されると、企業にはもう若手社員の給与を低く抑えるための言い訳がなくなる。たとえばいくつかの日本企業は新卒の初任給を能力にもとづいて差別化することをすでに決めている。もう一つには、若手社員に教育投資することで、企業は優秀な若手社員から失う可能性がうまれる。成果主義システムは終身雇用を社員に保証しない。したがって成果主義導入前の状況と比較すると、優秀な若手社員が一つの企業で働き続ける確率は低くなるだろう。これは、企業が若手社員の育成投資をする動機付けがより少なくなることを意味する。日本的年功制では、企業は社員が自ら退職することを期待できなかったため、固定費としての人件費をムダにしないように、できるだけ効率的に若手社員を教育しようとしてきた。さらに、成果主義システムの下では、社員は若手社員の育成のために時間をムダにしたくなくなるので、企業は低コストの育成方法であるOJTに頼れなくなってしまう。OJTの代わりに、企業は社員育成を専門とする部署を立ち上げなければならなくなる。成果主義システムは、日本的年功制よりも社員教育のためにより多くの費用を要求する。したがって成果主義システムは企業にとって社員育成への動機付けを失わせる方向に働く。

第七として、成果主義システムは職務遂行と社員の満足感を切り離すことで、自分自身の基盤を侵食する。成果主義システム導入以前は、社員の満足感は職務を遂行することと直結していた。エドワード・デシはこの状況を「内的動機付け」の状況を名づけた。この状況においては、社員は何らかの業務を遂行した、達成したという事実だけによって満足感を得ることができる。しかし成果主義システムはこの満足感を、職務の遂行から切り離してしまう。高橋が引用しているように、デシはこのことを以下のような事例で示している。第一次大戦直後、あるユダヤ人が米国南部の小さな町に仕立て屋を開いた。しかし貧しい少年たちが店にやってきて、「ユダヤ人!ユダヤ人!」と叫んで彼を困らせた。ある日店主は少年たち一人ひとりに、彼を侮辱することに対して1ダイムを支払うことに決め、実際に支払った。少年たちは満足して次の日も叫びにやってきた。店主は支払いを1ニッケルに減らし、次の日にはさらに1ペニーに減らした。最後には少年たちは叫ばなくなってしまった。この店主は少年たちがユダヤ人を差別することによって得ていた満足感を、お金を与えることで、叫ぶ行為そのものから切り離すことに成功したのだ(つまり「職務遂行―賃金―満足感」という関係)。したがって、支払いが止まると、人は職務の遂行を止めてしまうようになるのだ。同じことが成果主義システムにも当てはまる。成果主義システムの導入によって、いちど社員の満足感を給与に結びつけることで、職務の遂行そのものから切り離してしまうと、社員はもはや何かを達成したということ自体からは満足を得られなくなる。したがって満足感を得るために、職務に応じた給与を要求するようになる。もし彼らが給与に満足しなくなると、職務の遂行をやめてしまうのだ。というのは、いまや社員の満足感が何かを成し遂げるということから切り離されてしまっているからだ。このことは、成果主義システムが社員に満足感を与える手段を、たった一つの手段、つまり給与に絞り込んでしまうことを意味する。このことは、成果主義システムの導入前に比べて、同一の成果を生み出すための人件費を明らかに増加させる。日本的年功制は社員に満足感を与え、職務をなし遂げる動機付けをあたえるために、複数の手段を持っていたが、成果主義システムはたった一つの手段しか持たないのである。

以上述べてきたような成果主義システムの欠陥を、以下にまとめてみよう。成果主義賃金システムは、

  • 社員が変革を受け入れることを妨げる
  • 社員が会社の将来を考えることを妨げる
  • 社員が最善を尽くすことを妨げる
  • 社員が怠業をするように仕向ける可能性がある
  • 社員の自発性と独立心を損ねる
  • 管理者層と部下の意思疎通を悪化させる
  • セクショナリズムを悪化させる
  • チームワークを損ねる
  • 人事評価プロセスを非効率にする
  • 社員を動機付けるのに徐々に多くの資金を必要とする
  • 評価の低い社員を鼓舞することができない
  • 管理者を人事評価プロセスについて冷淡にさせる
  • 企業が若手社員を育成することを妨げる
  • 社員の満足感を職務遂行から切り離す
  • 動機付けの手段としての給与の有効性を、継続して減じる

    これらの欠陥のほとんどは日本的年功制の導入によって解決できる。しかし高橋氏は日本的年功制の復活に一つの条件をつけている。それは「適切な運用」である。高橋氏は日本的年功制を適切に運用するために以下の3点を示している。第一に、管理者が部下を育てる意思を部下に対して明確に示すこと。第二に、管理者が定期的な人事異動などさまざまな人事的手段を最大限に活用して、それぞれの部下に適切な仕事を割り当てるようにすること。第三に、経営トップは将来のトップと目される優秀な社員すべてにつねに注意を払うこと。もしこれが出来ないのであれば、そのような経営トップは引退すべきあること。

    日本企業はみんながそうしているというだけの理由で、次々に成果主義を導入している。しかし、以上のようにこのシステムの負の側面を考えれば、日本的年功制の復活そのものが、すべての企業にとって強力な競争優位になりうることがわかる。日本企業は長期的な競争力を再び手に入れるために、日本的年功制を再導入してみてはどうだろうか。



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