どうも法律について日本人と米国人は感覚がかなり違うようだ。法律を制定して公布するとき、日本人は無意識のうちに、制定してもすぐその法律を守った行動を現実にとれないのは当然だと考えてしまっている。
あるいは法律そのものが段階的な施行を前提に、小出し公布される。新しい法律ができたら、その法律の教育は、法律の公布そのものによって行うのがもっとも効率的だ、という考えがあるのだろう。法律は当初あまり守られなくても、法律ができたという事実そのものによってみんながすこしずつ教育され、最後には守られるようになる、という考え方だ。
日本人は公布前に法律の正当性を評価するのは無駄だと考えている。日本人にとって法律の正当性を決定するのは、法律自体の論理的な妥当性ではなく、人々がどの程度法律を受け入れるかである。法律がいくら論理的に正しくても、そのことはその法律が実際に適用できることの証明にならない。この点で日本人の法律観は米国人よりも実践的で実利主義的だ。
日本と米国の法律観のもう一つの違いは、日本の法律が命令ではなく倫理的なガイドラインであるという点だ。日本で最初の憲法を見ればこの考え方がはっきりする。今から約1400年前に日本で最初に制定された憲法は17の条項から成り立っている。第一条は日本人はみんな知っているが、「和をもって貴しとなす」と書かれている。これは旧約聖書の十戒と比べるとまったく異なる。「汝殺すなかれ。汝姦淫するなかれ」。日本の法律は漠然とした倫理ガイドラインのようなものだが、西洋の法律は何をすべきか、何をしてはいけないかを厳密に規定している。
実際に法律を適用するときにも、日本人と米国人の間には差異があるようだ。日本では法律を運用するときに官吏に事実上の裁量権が与えられている。
先日NHKの『プロジェクトX』で豊田商事事件の被害者に返還するための債権回収劇が包装されていたが、中坊氏は同社が国に収めた税金の返還を求めてお役所に日参し、ついに税金の返還を勝ち取ったという。しかし法律上返還の余地があるなら、わざわざ何年もかけて日参しなくたって初めから素直に返還手続きを始めればいいだけの話である。こういった正論が通らないのが、日本の法治国家たらざるゆえんだ。
この事例を見ればはっきり分かるように、日本人は法律を厳密に適応することは悪いことであり、場合に応じて最適な対策を見つけ出すことが良いことだと思っている。日本は明治時代に西洋諸国から法体系を輸入したが、いまだにテレビの時代劇に見られるような伝統的な法律観を捨てられないでいる。そのような時代劇では裁判官は主として自分の良心と一般に受け入れられている社会倫理にもとづいて判決を下すのであり、規定された法律にもとづいて判決を下すのではない。
米国人は守られない法律は作っても意味がないと考えるようだ。法律を制定して公布するからには、人々はその法律を守る用意ができていなければならない。そうでないなら法律は無視されるだけであり意味がない。それどころか「法律は守らなくてもいいものだ」という誤った認識をみんなにもたせることになり、負の効果を生む。これが僕の周囲にある数少ないサンプルから抽出した、米国人の法律観だ。
米国企業が社内だけに適用される「法律」についてさえこうした考え方をとるのは、従業員性悪説にもとづいているからであり、柔軟な労働市場を前提に違反した場合に簡単に解雇できるからだ。
他方日本では社員は退職まで同じ会社で働きつづける前提で働いている。これが日本のビジネスパーソンの勤労倫理の基盤となっており、日本企業が社員を解雇することは倫理的観点から非常に難しい。というのは単に解雇を示唆するだけでも社員のやる気をなくさせ、逆の効果として違法行為を誘発する可能性があるからだ。
米国人が違法行為を減らすには明白な懲罰が効果的だと考える傾向があるのに対して、日本人は人々を内部から規制する方が効果的だと考える傾向がある。日本人は人々の心の中の自発的な規制を生じさせて違法行為をさせないように仕向けようとするが、米国人は犯罪をおかせばどんな罰が待っているかをはっきり示す。
同じ会社で働きつづけようと思っている人をコントロールするには、内部からの自発的な規制が、外部からの強制的な規制よりも簡単で効果的だということを、日本人はよく知っている。もし会社に対して強い帰属意識を持つ人々に外部から規制を強制すれば、その帰属意識そのものを損ねることになる。そしてこの帰属意識こそが、その種の人々の働く倫理の基盤をなしているのだ。これは強制された規制が人々の倫理観を侵食することを意味する。強制された法律が違法行為を誘発することもあるのだ。
もちろん意図的にその帰属意識を裏切ることで、利益を得ようとする人を完全になくすことはできないが、会社が厳格な規制を強制しても、その人数を減らすことはできない。逆に厳格な規制は状況をもっと悪くするかもしれない。もし社員が会社から放り出されるかもしれないと感じたら、危険を冒しても意図的に会社に損害を与えようと思うのにも理由はある。その理由というのは、自分たちが会社のために人生を捧げているのに、会社は彼らを裏切ったのだから、復讐したいということだ。
ご存知のように日本人にとって私生活と会社生活に明確な区別はない。そして会社は大きな家族のようなものだ。日本人社員は自分たちを大きな家族のメンバーのように感じている。厳格な規制は家族のメンバーに何かをさせるときには、最後の手段であるべきなのだ。真に効果的な行動を起こさせるために、まず最初に厳格な規制を導入することは、日本人から構成される組織には適さない。日本の組織を管理するために最初に知るべきことは、当然のことながらその特徴なのだ。